表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
27/159

第26話 再考人買い問答

「ダイジョウブですカ。おケガは、ありませんでしたカ」



 昨日の女性の声が耳に蘇る。

 宿屋の二階、木の(はり)が剥き出しになった天井を見上げながら、ウィレムは寝床の上で横になっていた。


 昨日、人売りの馬車のなか、倒れたウィレムを受け止めたのが彼女だった。ウィレムは彼女に膝枕されるような格好になった。

 灰色がかった髪の束が、肩から落ちて、ウィレムの顔に垂れる。彼女は慌てて、その髪をかき上げた。

 鼻筋がすっきりと通った整った顔立ち。愛嬌のあるつぶらな瞳を、長く伸びたまつげが飾っていた。魅力的な容姿に反し、着ている物は粗末な貫頭衣の腰をひもでしばったもので、髪の毛をくすんだ帯で束ねられていた。


 彼女が控えめに口角を上げた。

 その笑顔を見ると、急に額から汗が出始めた。動悸が起こり、妙な興奮が胸の奥から込み上げる。すぐに立ち上がると、挨拶もそこそこに、ウィレムは馬車から飛び出し、逃げるようにして、広場まで戻ってきたのだ。

 思い出しただけで、顔が熱を持つ。アンナに対する気持ちとは別の、正体のわからない高揚が胸を突き上げる。気を紛らわすため、ウィレムは寝返りを打った。


 昨晩から、ウィレムの頭を離れない考えが、一つあった。

 人売りの馬車に乗っていたということは、彼女も“商品”なのだろうか。金銭や別の品物と交換される存在なのだろうか。それは、代価を払いさえすれば、誰でも彼女を手に入れることが出来るということだ。

 自分の底の方で、先程までとは異なるもっと黒々とした感情が、(かさ)を増していくのがわかった。その感情が自然と舌を動かした。



「僕でも、彼女を買うことが出来る」



 口に出してから、直ぐに頭を振った。

 自分の声で言葉にすると、堪らなく気持ちが悪い。微かな高揚はありはすれども、それを大きく上回る不快感。腹の中のものが逆流してきそうなほどの嫌悪感。

 人買い・人売りなど、ガリアでも普通に行われていたことである。

 今までは、気にならなかった。

 いつから自分は変わったのか。



「人を、買うのかい」



 アルベールの言葉が、確かな実感を伴って、突き刺さる。

 そして、教会の女性たちの怯えた瞳が、自分に向けられる。

 人を買う、人を物として扱うということは、自分もあのフォースタス司祭と同じになるということだ。それはどうしても嫌だった。


 同時に、小賢しい言い訳を並べ立てる自分もいる。

 彼女を買うのは彼女を救うためだ。取引の後、彼女を自由民にしてやれば良い。そうすれば、彼女はあの汚い場所から解放され、明るい世界で生きられるのだと。


 だが、どんな理由を持ち出そうと、ウィレムが彼女を買うことに違いはない。それは、人間をモノとして扱うことをウィレムが肯定したということだ。突き詰めれば、自分自身をただのモノとして扱う、ということでもある。


 そんな一人問答を続けながらも、ウィレムのなかで、彼女にもう一度会いたいという気持ちが、消えることはなかった。


 扉を強く叩く音がして、ウィレムは我に返った。

 返事をするよりも先に扉が開き、アンナが勢い良く入ってきた。



「ウィレムさま、ご機嫌はいかがですか。よかったら昼食にでも出掛けませんか」



 アンナの無垢(むく)な姿を目にすると、ウィレムの胸には、罪悪感という名の小さな棘が、何本も刺さった。棘は皮膚を突き、肉を裂いて、臓腑に深い傷をつける。それでもまだ、膝枕の彼女に会いたいのだから、愚かしい。



「もうそんな時間か。僕は別に訪ねる所があるから、アンナは先に食べていてよ」

「それなら、私もご一緒します。用事が済んだら、二人で昼食にしましょう」


 アンナは掛けてあった外套(がいとう)を取ると、上体を起こしたウィレムにそれを渡した。

 昨日、広場で再会した時、体当たり気味に抱きついてきたアンナは、目を赤くし、鼻水を垂らしながら、二度とウィレムの側を離れないと宣言した。それ以来、彼女はウィレムの側を離れなくなっていた。最早、手を握ることも躊躇せず、人の多い所では、ウィレムの腕を掴んで放さなかった。

 その時の顔を思い出すと、自分の不埒(ふらち)な考えが申し訳なく、()(たま)れなくなる。



「いや、やっぱり、用事は後でいいよ。昨日、美味しそうな屋台を見つけたんだ。そこへ行ってみよう」


 ウィレムは寝床から降りると、促すように彼女の背を押して、部屋を出た。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ