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第25話 彼女を探せ

 ウィレムは小走りで、広場(フォルム)へ続く道を急いだ。

 昼下がり、人々は昼食後の(いこ)いのひとときを過ごしているというのに、彼だけが、羊を追う犬のように、せかせかと動き回っている。


 すれ違いざま、肩がぶつかった男が怪訝(けげん)そうにウィレムの背中を眺めていたが、何も言わずに行ってしまった。

 広場は人であふれかえっていた。すごろくや球技に興じる若者、噂話に花を咲かせる婦人たち、日陰では、老人が午睡に浸っていた。だが、その中に、アンナの燃えるような赤い髪を見つけることは出来なかった。


 広場で探すのを諦めたウィレムは、次に教会へ向かうことにした。広場の周りには公共の施設が集まっている。役所に裁判所、水汲み場に、市場の建物も並んでいた。当面の目的地であった教会も、広場の周辺に建っていた。


 調度若い神父が外に出てきたので、ウィレムは彼を呼び止めた。

 ウィレムを同じ聖職者だと思ったのか、教会のなかに誘われたが、悠長に話をしている余裕はなかった。

 手早く用件だけを伝える。赤い髪の女性が教会には来ていないか尋ねたが、神父は首を横に振った。もし、自分と入れ違いでアンナが訪ねてきた時には、教会に留めておいて欲しいと頼むと、神父は快く引き受けてくれた。その上で、外から来た人には物珍しいだろうからと、市場の方へ行ってみるよう助言してくれた。


 実際に行ってみると、石の列柱に平らな屋根を乗せた市場に、人は(まば)らだった。

 ほとんどの店が店仕舞いの準備に取りかかっており、まだ開いている店も、屋台の奥で、店主が鼻提灯を膨らませていたりする。

 屋台の間の狭い通路を通りながら、道々で人に声を掛けたが、有力な手掛かりは得られなかった。なかには、情報と引き換えに売れ残りの商品を買わせようとする者もいたので、ウィレムは、薄めた葡萄酒や、ルーシ地方のお守り、下層階の珍しい鉱石など、不要な物を随分と買わされそうになった。


 じきに建物の奥まで来てしまったが、屋台群はそのまま外の通りまで続いている。戻って別の場所を探そうかとも思ったが、好奇心に忠実なアンナならば、通りの屋台の方へ行きそうな気がした。少し考えてから、ウィレムは路地の奥へと進んだ。


 路地の店々は、表の市場とは雰囲気が違う。日射しが少ない所為もあるかもしれないが、陰鬱としていて、怪しい空気をかもし出している。

 路上に倒れている酔っぱらいや、博打に負けて悲鳴をあげる者たちに近付かないようにしながら、ウィレムは慎重に進んだ。彼らに声をかける気にはならなかった。


 黒ずくめの老婆に緑色の不気味な軟膏を売りつけられそうになるのを何とか断り、逃げるように進んだ先は、小さな広場になっていた。

 広場に人の気配はなく、周囲の高い建物に日光が遮られ、ほのかに肌寒い。

 広場の中央には、屋台が一台。その後ろに、二頭立ての荷馬車が止まっていた。

 不思議なことに、店の入口は幕を下ろしていて、なかの商品が隠されていた。

 見たところ、突き当たりで、別の道と通じているようでもない。

 肩を落として来た道を戻ろうとすると、急に腕を引かれた。



「へへ、あんた、お客様でしょう。うちの店はちゃんと開いてますから、帰らないでくださいよ」



 振り向くと、小太りの中年男が、口だけで笑いながら腕を掴んでいた。男は着飾っているわけではなかったが、上品な服装に身を包んでいる。市場で見た商人たちよりも、裕福そうだった。



「さあ、こちらですよ。どうぞ、どうぞ」



 店主はウィレムの腕を引いて、店の中へ引き入れようとする。拒もうにも、男の力は予想外に強かった。


 入口の幕が開く。ウィレムの直感が、男の笑顔から良くないものを感じ取っていた。口は笑っていても、その目は冷たい光を宿しているように見えたのだ。



「こちらがうちの商品です。頑丈なのから、賢いのまで、()()見取(みど)りですよ」



 店主の示した先に陳列されていたのは、性別も、年格好も、体格も、髪や肌の色も違う、大勢の人間たちだった。

 種々の瞳が、ウィレムを見上げる。

 集まった視線に反応して、心臓が鼓動を一つ打った。



「どんな商品をお探しですか。こちらは、酒樽十二本を積んだ荷車を、三日三晩引き続けられますよ。こちらの男は、頭が良い。一度聞いたことは一言一句逃さずに覚えることが出来ます。それとも女がいいですか。こいつなら大人しいから、簡単に思い通りに出来ますよ。ぐひひ」



 次々に“商品”を紹介する店主の声が、遠くの方で聞こえている。それ以上に、眼前の人々の視線が無言のうちに語る声が、ウィレムの心により強く突き刺さった。

 敵意、期待、諦観、恐怖、虚脱とさえ言えないような灰色の瞳。そして、その後ろには、街道の教会で見た女性たちの影が浮かび上がる。



「どうしたんです、お客様。すごい汗だ」



 肩を揺すられて、ウィレムは我に返った。

 店主は眉だけを器用に動かして、心配そうな表情をつくっている。だが、その下の目だけは、相変わらず冷淡なままだった。



「済まない、少しぼうっとしただけだ」



 ウィレムが服の袖で額の汗を拭く姿を、店主は念入りに眺めていた。売り物を紹介しながらも、客を品定めするような不快な仕草だった。



「ここにいる奴らじゃあ、お気に召しませんか。それじゃあ、特別に、他のを御覧に入れますよ。きっとお客様も気に入ると思いますよ」



 ウィレムが目の前にある“商品”に興味がないと勘違いしたのか、店主は再び腕を引くと、奥の馬車の方へと連れて行った。

 (ほろ)を被った荷台には見覚えがあった。先程、大通りでぶつかりそうになった、あの馬車である。



「お客様、旅の人でしょう。どこまで行くんですか。お供はいかほど」

「タルタロスまで、伝道の旅をしている最中なんだ」



 ウィレムを荷台に引き上げながらも、店主の口は動き続けている。相手の勢いに押されるまま、余計なことまでしゃべらされてしまった。



「そりゃ、大変な旅になりますな。それじゃあ、こいつなんて、おすすめですよ」



 店主の指差す先には、一人の男が座っていた。暗い幌の中でもわかるほど、身体が大きい。首が太く、胸の肉も厚かった。頭の毛は全て剃られている。この男だけが、手脚に(かせ)をはめられていた。



「こいつは、王国さえ扱いに困っていた暴れ者でねえ、盗賊団一つ、一人で潰しちまったこともあるんですよ」



 言われるまでもなく、ウィレムは男の力を感じ取っていた。この種の男には鼻が利く。目の前にいるだけで、肌がぴりぴりと痺れ、毛が逆立っていた。


 ウィレムが一歩退くのに合わせて、服の裾を引く者がいた。

 踏ん張りが利かず、膝から仰向けに倒れる。

 荷台の底で強打すると思われた後頭部が、柔らかなものに受け止められた。首筋で感じているのは間違いなく人の体温。そして、目の前には、心配そうに見下ろす女性の顔があった。

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