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第1話 遠駆け

 ウィレム・ファン・フランデレンが王からの知らせを受け取ったのは、ちょうど狩りの最中のことだった。彼が王の使者に気付いたのと、アンナ・メリノの放った矢が猪の急所を射貫くのが、ほぼ同時だった。

 日は中天からやや傾き、からりとした風が梢をゆらす。しかし、穏やかに肌をなでる午後の風とはうらはらに、王からの召し出しは、ウィレムの心をそぞろにざわつかせた。


 使者と従者を先に帰らせた後、ウィレムとアンナは連れ立って家路についた。

 二人の馬がのどかな田舎道をゆっくりと進んでいく。ウィレムの馬は艶やかな青毛で、アンナの馬は鮮やかな栗毛。期せずして、二匹とも、乗り手の頭髪と全く同じ色だった。



「王様は無粋な方ね。せっかくの憩いの時間に水を差すなんて」



 アンナは、ユリの花を思わせる丸みをおびた唇から恨み言をもらした。

 身体を動かした後だからか、彼女の白い肌には朱がさして、いつもより、色っぽく見えた。狩りのために男装しているが、その美しさは寸分も損なわれない。

 視線をそらしがたく、ウィレムは終始アンナに見取れていた。彼女の話も半分ほどしか耳に入らない。


 急にアンナが馬を寄せてきて、ウィレムの脇腹を小突いた。上の空だった彼は、バランスを崩し、あやうく鞍から落ちそうになる。

 我に返って馬体にしがみつくウィレムを見て、アンナは小さくため息を吐いた。



「しっかりしてよ。あなたはもうじき私の旦那様になる人なんだから」

「ごめん、ごめん。君があまりにも綺麗だったから」



 こういう答えが返ってくると、今度はアンナが黙ってしまう。ウィレムにしてみれば、思ったことを口にしただけなのだが。



「それにしても、何だって陛下は僕みたいな弱小領主をお呼びになったのだろう」



 少々わざとらしく、話を元に戻す。いつまでもアンナにうつむかれていてはかなわない。



「心当たりはないの」

「全く思い浮かばないんだ」



 直接召し出されるような要件はないはずだった。少なくとも、賞賛されることも、怒りに触れるようなことも、記憶にない。



「でも、ウィレムのお母様は王様の遠縁で在らせられるのでしょう。あなただって、幼い頃に一緒に遊んだことがあるって言っていたじゃない」

「それは十年以上も前のことだよ。陛下が即位された今となっては、恐れ多くて口に出せない」

「もしかすると、単にあなたと昔話をしたいだけなのかも」



 どこからそんな突拍子もない考えが出てくるのか、ウィレムには想像もつかなかった。だが、そんな無邪気な突飛さも、彼女の魅力の一つだと思えた。

 アンナは昔から奔放で快活な女性だった。詩吟や針仕事よりも馬で野を駆けるのを好み、弓を取れば百発百中、剣を握れば並の男では敵わなかった。年の近いウィレムは、いつも彼女に連れまわされながら、一番間近でその勇姿を目の当たりにしてきたのだ。



「まだ日も高いし、バルコニーに出てみない」



 唐突な提案だったが、ウィレムはうなずいた。もとより、バルコニーには寄るつもりだったのだ。


 ウィレムたちは、巨大な塔のなかで暮らしている。世界を丸ごと詰め込んだような塔。その壁には所々に「窓」が開いていて、塔の外に出ることが出来た。塔の外には螺旋状のスロープが外壁に沿って設けられており、唯一外界に触れられるその場所を、住人たちはバルコニーと呼んだ。


 馬を駆けさせる間中、馬上で踊るアンナの長髪に、風を切るその姿に、ウィレムは胸を高鳴らせていた。隣にいる彼女は、叙事詩に詠われる英雄と同じように、彼の心を掴んで放さなかった。


 空の端から夕暮れが少しずつ染みだしはじめる頃、二人は「窓」に着いた。見上げた巨大な「窓」は固く閉ざされ、そびえ立つ門の趣がある。

 退屈そうにしていた馴染みの守衛に声をかけると、快く出入り用の小さな扉を開けてくれた。


 外のバルコニーは、大きな馬車が数台横並びに出来るほどの幅があり、その向こうには、橙色の雲海が視界の果てまで広がっている。

 少しツンとする夕方の空気を吸いながら、二人は並んでその景色を眺めていた。



「ねえ、ウィレム……」



 アンナがウィレムの正面に歩み出る。



「私、ここが好き。ううん、あなたと見るこの景色がとても好きよ」



 斜めの陽光を受けて、元々明るい彼女の髪は炎のようにきらめいていた。世界中の美しさは、今この瞬間に凝縮されていた。



「僕もさ。いつまでも一緒にこの景色を見ていたい。今日はね、アンナに渡したいものがあるんだ」



 ウィレムは懐から銀のブローチを取り出すと、アンナの胸にそれを着けた。中央に一角獣の模様が刻まれているブローチだ。



「これが君を(わざわい)から守ってくれるよ。アンナぐらい強いと不要かもしれないけどね」



 凛としたアンナの表情が、クシャリと崩れる。こういう子どもっぽい笑顔も、たまらなく愛おしかった。



「ありがとう。確かに頂戴したわ。ねえウィレム、約束よ。次にここへ来る時は、私はあなたのお嫁さんよね」



 そう言って笑う彼女の後ろで、黄昏が空を包んでいった。

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