第18話 相談
ウィレムが自分の客室に戻ると、扉の前でアンナが待っていた。
一瞬、不吉な予感が走った。食事中、ウィレムがマリアの素顔に興味を持ったことで、アンナを怒らせたままだったのだ。
例え最愛の女性の前であっても、美しい女性がいると聞けば、そちらに気が向いてしまうのが男の性である。とはいえ、女性の方からすれば、不愉快極まりないことだということも、理解出来る。アンナが自分以外の男性に夢中になることを想像すると、ウィレムとて心中穏やかではいられない。
だからといって、そのことでいつまでもへそを曲げられていたのでは、堪ったものではない。
ウィレムは相手の様子をうかがいながら、慎重に言葉を選んだ。
「こんな夜にどうしたの。僕に用事かな」
ウィレムを認めると、アンナの顔がぱっと明るくなった。それを見て、ウィレムの肩から力が抜けていく。どうやら、もう怒ってはいないらしい。
「ウィレムさま、今晩はまだ早いですし、少しお話ししませんか」
珍しく遠慮がちな態度に不自然さを感じはしたが、ウィレムはアンナを部屋に迎え入れた。
四角い部屋には、粗末な寝台が二つあるだけだった。明かり取りから入る月光と、燭台の灯だけを頼りに、二人は寝台の縁に腰を下ろした。ウィレムから一人分空けた辺りにアンナが座る。
暗闇のなか、淡い光によって、アンナの姿がぼんやりと浮かび上がる。吸い込まれるような美しさだった。膝を合わせ、その上で優しく手を組む仕草は、黙っていれば、深窓の令嬢といった趣がある。
アンナと二人きりになるのは随分と久し振りな気がした。夜だからか、妙に気持ちが昂ぶっている。一度、深く息を吸い込んでから、ゆっくりと吐いた。
「それじゃあ、何の話をしようか」
「マリアのことで、相談したいことがあるんです」
ぎくり、不意を突く返答に心臓が脈打つ。今までおくびにも出していなかったが、アンナは未だに怒っているのか。頬の筋が引きつるのがわかった。
ウィレムの様子に首を傾げながらも、拒まれなかったと受け取ったのか、アンナは話を続けた。
「私って、我がままでしょうか」
普段は凛々しい顔が、悩ましげに曇る。
ウィレムは、即座に頷きそうになるのを堪えた。話の脈絡がつかめないため、簡単には答えられない。
見ようによっては、間違いなく、アンナは我がままである。だが、不道徳的な行為に走ったり、不義理を働くわけではない。何者にも縛られない奔放さは、彼女の魅力の一つであると、ウィレムは思っていた。
「それは、どういう意味。ちゃんと筋道立てて説明してくれない」
アンナが、言葉を選びながら、少しずつ語り出したのは、夕方、墓地でマリアと話した時のことだった。
男たちが穴掘りに勤しんでいる間、二人は木陰に入って休んでいた。アンナにとって、マリアは初めて出会った同年代の女性である。マリアと交友を深めたいと思っていた彼女は、この時、思い切って話しかけた。
二人が他愛ないやり取りを交わすなか、その言葉は唐突に発せられた。
「アンナ、はっきり言っておくけど、私は貴方が嫌いよ」
その言葉を聞いた時には呆然となったが、当然、アンナは素直に納得できない。まだ出会って日も浅い。お互いのことをもっと知れば、理解し合えると主張した。
理由を教えて欲しいと、むきになって食い下がると、マリアは淡々とその理由を述べ始めた。
我がままで、世界が自分の好きなようになると思っている。
ウィレムの騎士を気取ってみても、それは自分の欲求を押し通すための方便に過ぎず、「主人を守る騎士」という自分の姿に陶酔しているだけだ。そのくせ、主人を守るために、他のものを捨てる覚悟もない。
そういう自分勝手で無責任な様が、たまらなく不愉快だというのだ。
話しながら、アンナの顔は険しさを増していき、声は張りを失っていった。最後には、べそをかき始める始末だ。
悔しさなのか、悲しさなのか、はたまた別の感情に由来するものか、或いは、それら全てがない交ぜになった感情か。彼女の中に渦巻くものをウィレムは量りかねていた。ただ、自分が当面やらなければいけないことはわかっていた。
黙って彼女を抱きしめると、母がわが子にするように、優しく頭を撫でてやる。
腕の中ではアンナがむせんでいた。
きっとこれは、当人同士で解決しなければいけない問題である。外野がとやかく言うことではないように思えた。ウィレムに出来るのは、彼女の震える背を押してやることと、胸を貸してやることぐらいだった。