第16話 最後の晩餐
ごくり。
巨大な一枚肉を前に、ウィレムの喉が鳴った。
盆の上では、栗色の焼き目が付いた赤身の極上肉が、白い湯気を立てている。ニンニクやローズマリーの芳香に負けない、芳ばしい肉の香りが食欲を刺激する。
右隣のアンナも、表面上は行儀良く繕っていたが、机の下では膝を落ち着きなく揺すっていた。
埋葬に携わった日の晩、ウィレムたち一行は教会に世話になることになった。
墓地で老人に尋ねた所、この村の司祭は旅人をもてなすのが好きだからと、紹介されたのだ。
訪ねた教会で四人を迎えたのは、にきび面の司祭だった。背は高くないが大柄で、丸く張った腹が僧衣の生地を押し広げていた。
フォースタスと名乗った司祭は、快く司祭館に客室を用意し、今、こうしてウィレムたちを夕食に招待しているのだ。
「さあ、冷めないうちに、どんどん召し上がってください」
気後れから皿に手を付けられないでいる客人たちに対し、向かいに座る司祭は、肉を頬張りながら促した。
促されるままに恐る恐る口に入れてみる。奥歯で強い弾力を噛み締めると、肉の間から濃厚な肉汁がしみだした。そして、食べ慣れた香辛料に混じって感じたのは、口の中を跳ね回るような強烈な刺激。ウィレムが食べたことのない味だった。
「こ、これは、何の肉なのですか。それにこの辛味は」
驚きのあまり、口の中に肉を残したまま、ウィレムは質問してしまった。これだけで相当なマナー違反である。口内の物が外に飛ばなかったのが、不幸中の幸いだった。
「お気に召していただけたようですな。これは牛の肉です。それから、辛味の正体は、これですよ」
司祭は丸々とした指で、自分の肉の上から黒い粒を拾いあげた。
「これは、“胡椒”というものです。下の階層原産の香辛料ですよ。実を挽いて料理に振り掛けるのです」
ウィレムたちの肉にも、黒い粒は満遍なく振りかけられていた。今まで耳にしたことのない品である。
肉にしてもそうだ。牛と言えば、乳で日々の糧をつくり、耕作を助ける役畜でもある。牛を殺して、肉を食べるなど、フランデレンでは滅多にないことだった。
ウィレムの反応に、司祭の舌は滑らかさを増した。
「いけませんなあ。我々、聖職者は民を幸福へと導くのが責務ですぞ。そのためには、自ら率先して幸福を享受しなければ」
自慢げに唾を飛ばす司祭に、ウィレムは苦笑するしかなかった。
司祭の相手をウィレムに押しつけて、他の三人は黙々と肉に舌鼓を打っている。
ウィレムの恨めしそうな視線に引っ張られて、司祭の視線も移っていった。
その目が、ウィレムの左隣に座るマリアの前で止まった。彼女は、自分の肉を、せっせと一口大に切り分けている最中だった。
「感心しませんな。食事中は被り物をお取りなさい」
司祭の指摘する通り、彼女は頭巾を目深に被ったまま食卓に着いている。今夜に限らず、一緒に旅をしている間中、マリアが頭巾を取る所を、ウィレムは見たことがない。
「許してやってくれ。これには理由があるんだ」
端に座っていたゲーヴが、マリアに代わって、抑揚のない声で応えた。
「納得いく理由を、聞かせてもらえるんだろうね」
つっけんどんな返答に、司祭は少々腹を立てたようだった。
「こいつはな、生まれた時に魔女に呪いを掛けられたのさ。十五になれば、国一番の美女になるが、その顔を見た男は、皆不幸になるっていう呪いだ」
この告白に、一瞬、場が静まりかえる。
ウィレムの中で、マリアの素顔への興味がむくむくと膨らみ始めた。見てはいけないと言われると、見たくなるのが人情である。国一番の美貌とはどの程度のものなのか、アンナとどちらが美しいだろうか、そんな考えが浮かんでは消えた。
少しくらいなら大丈夫だろうと高を括り、ウィレムがマリアの顔をのぞき込もうとした時、突然、右足の甲に激痛が走った。あまりの痛さに、脚を抱え上げると、机の天板に膝をぶつけそうになった。
犯人を断罪しようと右隣を向くと、アンナは何食わぬ顔で肉を口に運んでいる。だが、あの一撃は、間違いなくアンナの踵の仕業だった。
何事も無かったように食べ続けるアンナの態度は癪に障った。しかし、ここで怒っては、相手の思うつぼである。ウィレムは憤る心に何とか蓋をした。他人の家に招待されて、これ以上の醜態を晒すわけにはいかなかった。
司祭は、一人で百面相を演じるウィレムを不思議そうに眺めていたが、マリアの方に向き直った。
「お嬢さん、マリアさんと言ったかな。事情も知らず、差し出がましいことを言ってしまった。お詫びと言ってはなんだが、後で礼拝堂に一人でいらっしゃい。私がその呪いを解いてあげよう」
ふくよかな顔をにこつかせる司祭に、マリアは小さく頷いた。