第15話 旅人の死
旅は道連れとはよく言ったものである。
ウィレムがマリアたちと行動を共にするようになって、一週間近く経った。
ウィレムもアンナも、今まで旅などしたことがなかった。それに比べて、マリアとゲーヴはたいそう旅慣れていた。疲れる前に休息し、日が暮れれば、無理に進もうとはしない。水の確保はぬかりなく、道すがら、隙を見て食料を手に入れている。野宿となれば、熟睡することはなかった。大抵の場合、ウィレムが寝る時にはまだ起きていて、目が覚める時には二人とも既に起床していた。
ただ不思議なことに、彼女たちはあまり人里に近付きたがらなかった。
その日、ウィレムたちは街道沿いの村に差し掛かった。比較的大きな村である。教会の立派な尖塔が、だいぶ遠くからも見えていた。
まだ日は高かったので、先に進むのか、この村で宿を借りるのか相談していると、腐臭を漂わせた男が荷車を引きながら、一行の前を通りかかった。
「あんた、もしかして、神父さんかい」
男は、ウィレムの格好を見て声を掛けてきた。
鼻を突く臭いに内心不快に思いながら、ウィレムは男に応えた。
男は老人と言って差し支えない年齢で、日に焼けた浅黒い肌に毛は白く、曲がりきった腰と肉の薄い腕で、車を引いていた。額に刻まれた皺に沿って、無数の汗がすじをつくっていた。
彼が言うには、これから後ろの荷車に乗っている二人を埋葬するから、彼らのために祈りを挙げて欲しい、ということだった。
確かに車には二人の男の死体が乗せられていて、鼻を摘みたくなるようなひどい臭いを発していた。
断る理由も見つからず、僧侶の身分を疑われないためにも、ウィレムは老人の願いを受け入れた。
荷車を囲んで、五人は村はずれの墓地に向かった。
老人に代わってゲーヴが車を引き、ウィレムとアンナが後ろから押している。
畑に出ているのか、人影は少ない。
幼い男の子や老人ばかりが目に入った。不思議と若い女性を見かけなかった。
村はどことなく鬱屈としていて、活気が乏しいように感じられた。荷車の老人も声に覇気がない。
「こちらの二人は、どういった方なのですか」
暗い空気を打ち払おうと、ウィレムは老人に尋ねたてみた。
「知りゃあしません。村の外でくたばってたんで、せめて埋葬くらいと思ってね」
見れば二人とも旅装である。棺も無く、死に装束すら着せられていない。二人とも胸に刺し傷があり、その辺りに羽虫が集っている。
「終油の儀式もなし、告解もなしじゃあ、この人らも浮かばれんでしょう。縁もゆかりもありゃしませんが、お祈りくらい挙げてやりたいじゃないですか」
老人はしみじみと漏らした。
彼の真心にウィレムは心を打たれ、希望を叶えてやりたいと思ったが、一つ気にかかることもあった。
「お爺さん、何故、僕に祈りを頼んだのですか。この村にも教会があるじゃないですか」
老人の顔色がみるみるうちに青くなった。まごまごと口を開いたり閉じたりしながら、最後には、
「あんたがやってくれるんじゃあ、いけないんですかい」
などと言って誤魔化すようになる。
老人の態度に奇妙なものを感じはしたが、それで葬儀を断ることはしなかった。
旅の途中に知らぬ土地で不慮の死を遂げるなど、他人事とは思えなかったのだ。
村の片端にある墓地のさらに端、古木の傘に隠れた一体に、無縁墓は静かにたたずんでいた。
木製の鋤で穴を掘る。人間二人分の穴を掘るのはひと苦労で、男三人が交代しながら作業した。穴が十分な大きさになる頃には、太陽はだいぶ傾いていた。
男たちが穴掘りに精を出す間、アンナとマリアは木の下に座って何やら話しているようだったが、内容まではとどいてこない。女性同士の秘密の会話となれば、男たちが、その内容を知る由もなかった。
穴が出来ると、穴の底に旅人を寝かせ、上から土をかけてやる。穴が埋まると地面がこんもりと盛り上がっているだけで、人の痕跡は何も無くなってしまった。
人が死ぬというのは、こんなにも虚しいものなのか。ウィレムの心に何とも言えない儚さが去来する。誰にも看取られず、誰にも知られず、生きた証も、死んだ形跡も残らず、跡形も無く世界から消失する。そして、それがいつ降りかかるかは、誰にもわからないのだ。
ウィレムは、粛々と祈りの言葉を紡ぎ始めた。皆、それに合わせて黙祷する。
「天にまします我らの父よ、全能なる主よ。我らの祈りに御耳を傾け給え。願わくは、しもべの願いを聞き入れ給え。主よ、永遠の安息を彼らに与え給え。真の光を彼らの上に照らし給え。彼らが世にありし間、犯した罪を許し給え。塔の軛より放たれたるこの霊魂を、主の楽園に住まわしめ給え。かくあられかし」
目を開けると、そこにあるのは変わらない光景だった。影を伸ばす墓石の群れとそれすらない土の小山。魂が楽園へ向かう出発点にしては、あまりに蕭々としているように思えてならない。
「これで、彼らの魂も浮かばれるでしょう。それから、お爺さん。貴方の行為は、きっと主の御耳にも届いたことでしょう。正しくあろうとする心が、魂を楽園へ導くのです。これからも、慈しみの心を忘れずに生きてください」
自分が死者に何をしてやれたのかはわからない。ならばせめて、生者のために言葉を尽くすべきだと思った。
老人の手を取ると、彼は感極まったのか、頭を下げたままじっとしていた。
「あの子、やっぱり善い人間だったでしょ。そんな臭いがするもの」
マリアの発した言葉が、ゲーヴの耳にだけとどく。
「お前の鼻は、何時からそんなもんまで嗅ぎ分けられるようになったんだ。まあ、悪事を働ける奴ではないだろうな」
興味なさげなゲーヴの脇腹をマリアが肘で小突くが、反応はない。
「それより気付いたか、さっきの死体」
「ええそうね。あれは人の手で殺されたものだったわ」
ウィレムとアンナは気にも留めなかったが、二人は死体の不自然さに気付いていた。心臓へのひと刺しが死因であるが、抵抗した痕跡が見られなかったのだ。獣に襲われたなら、こうはならない。
マリアの顔に暗い影が差す。
同行者たちの異変に気付かぬまま、ウィレムは老人にその晩の宿を尋ねていた。