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第151話 大王即位

 ウィレムとイージンは二十日ほどでサルタクの本営(オルダ)に着いた。昼夜問わず馬を駆り、数頭の馬を走り潰したため、行きよりも時を掛けずに戻ることが出来た。

 涙目のアンナに迎えられ、()り落ちるようにして馬から下りる。久し振りに平らな大地に足を着けると、膝が震えて真っ直ぐに立つことが出来なかった。目眩(めまい)を覚えて倒れ込むウィレムの身体を、アンナの腕がしっかりと受け止めた。



「そんなにアンナの胸が恋しかったか。生きてた甲斐があったな」



 イージンの意地の悪い冗談に反論する気力もない。そのまま(まぶた)を閉じれば、すぐにでも深い眠りに落ちてしまいそうである。



「そう言うアナタも、足下が覚束無(おぼつかな)いんじゃない。それに、死人みたいな酷い顔。いつも以上に悪人顔が極まっているわよ」



 ウィレムに代わってオヨンコアが言い返す。イージンは忌々(いまいま)し気に彼女を(にら)んだが、すぐにわざとらしく身体を左右にくねらせた。



「おいらもくたくたでね、心優し女が肩でも貸してくれると有り難いんだが」



 イージンの反撃に、()かさずオヨンコアは、



「心優しい女性って、ワタシのことかしら。お褒めの言葉とっても光栄ですけど、でもお生憎様(あいにくさま)。私はウィレム様の従者ですもの。私の思いやりは全てご主人様のためのもの。(なぐさ)めが欲しいのなら、余所(よそ)を当たって(いただ)けるかしら」



 そう言って、ぷいとそっぽを向いた。イージンの舌打ちを聞きながら、ウィレムは無事に戻れたことを心の底から安堵した。


 翌日、ウィレムはサルタクの大天幕に呼び出された。

 イージンとともにケウの本営での出来事を話していると、取り次ぎの者が血相を変えて駆け込んできた。彼が言うにはケウの使いがやって来て、サルタクとの面会を望んでいるとのことだった。サルタクは焦る様子一つ見せず、黙って使者との面会を受け入れた。


 ウィレムたちが調度の陰に身を隠し、なめした馬革を(かぶ)って息を(ひそ)めていると、白い馬乗服の男が現れた。

 使者は天幕内の一同を眺めながら悠々と歩を進め、用意されていた腰掛けを(また)ぐと、そこからさらに、二歩、三歩と進んだ。動揺する周囲を尻目に、彼はサルタクの手前でようやく止まり、勢い良く腰を下ろした。

 部下の何人かが鬼の形相(ぎょうそう)で膝立ちになるのをサルタクが手を上げて制す。恨めし気な男たちを見て、使者は不遜な笑みを浮かべた。


 馬革の下では、ウィレムたち四人が継ぎ目をこじ開けて、(わず)かな隙間から外の様子をうかがっていた。



「あんな態度が許されるのかい。サルタク殿は大王の御子息なんだろう」

彼方(あちら)さんは、もう大王(ハーン)の勅使の気分なんだろうよ。サルタクがおいらたちって弱みを抱え込んだんで、ケウは既に大会議に勝ったつもりでいんだろうさ」

「二人ともお静かに。使者が話し始めましたよ」



 オヨンコアの言葉に従い、ウィレムは外の音に意識を集中した。


 使者は無礼な態度を崩さずに、ケウの言葉を述べていく。

 三角耳を(そばだ)てて聞いていたオヨンコアによれば、ケウの要求は二つあった。

 一つは、ケウを襲い、逃亡したヤン・イージン、及び、彼に捕らえられ人質となったガリアの修道士ウィレム・ファン・フランデレン。サルタクが保護する二人の身柄を引き渡すこと。

 もう一つは、近く開かれる大会議(クリルタイ)のために、急ぎ()せ参じることである。



「お前、おいらに拉致(らち)られたことになってるぜ。どんだけ捕まり上手なんだ」



 話を聞いたイージンが皮肉混じりにこぼす。ウィレムが文句を言う前に、アンナが彼の鼻先を人差し指でぱちんと(はじ)いた。乾いた破裂音は馬革の内だけに木霊(こだま)し、イージンも声を上げなかった。外の者が気付いた素振りはない。ウィレムは胸を撫で下ろした。



「これって、まずいんじゃありませんか」



 何食わぬ口調でアンナが切り出す。



「まずいって、何がだい」

「サルタクの奴がおいらたちを引き渡すんじゃねえかってことだろう。ケウの要求に応じて言うこと聞いときゃ、命までは取られねえかもしれんしな。奴が大王を望まねえなら、それも十分有り得るこった」



 驚いたウィレムが思わず立ち上がるのを、三人が見事な連携で押さえつけた。



「あまり暴れないで下さい、ご主人様。そういう可能性もあるという話しです。今、見付かってしまっては、別の道も途切れてしまいますよ」

「そういう阿呆(あほ)みたいに動揺するところは本当に成長してねえな」

「安心して下さい。ウィレムさまとオヨンのことは私が絶対に守りますからね」



 耳元で口々に(ささや)かれ、ウィレムは大人しく身体を縮めた。どうにも()(たま)れず、出来ることならば、すぐにでもその場を離れたい気分だった。


 黙って聞いていたサルタクは、使者の話が終わるとすくと立ち上がり、のしのしと歩を進めて男との距離を詰めた。彼の巨体を前にすると使者も堪らずに身体を仰け反らせる。不遜な笑みは強張(こわば)っていた。



『ケウの言葉、確かに受け取った』



 太く伸びる声が大天幕の丸天井に反響する。その場にいる誰もが息を呑んだ。

 サルタクの(ひげ)の間から白い歯が覗き、それを見て、使者の表情が僅かに(ゆる)んだ。



『だがなあ、我が(ふところ)に入ったものは、なんであれ我のものだ。それを易々(やすやす)と手放すというのは気の向かん話しだな。使者殿もそう思わんか』



 サルタクの分厚い手が男の頭をぽんぽんと叩く。驚いて頭を上げた使者の顔が、見る見るうちに青くなっていく。


 首筋の産毛(うぶげ)()げるような錯覚を伴って、テムルの言葉が蘇る。

「貧者の(たち)」、その一端が彼の言葉からうかがえた。


 サルタクは大して力を入れる様子もなく、男の頭を押さえつける。使者の身体は徐々に折り曲げられ、地面に擦り付けられた顔は赤黒く変色していた。



『それよりなにより、叔父の我に対して、礼儀を欠き過ぎているんじゃないかあ。あんたもそう思うよな』



 使者は言葉を返さず。ヒツジの鳴き声のような(うな)りを上げるだけだった。次の瞬間、鈍い音が鳴り、使者の白い馬乗服に赤い斑点が飛ぶ。唸り声は止んでいた。


 そこからのサルタクの動きは速かった。

 使者が乗ってきた馬に(つぶ)れた頭を(くく)り付けると、それを草原に解き放つ。タルタロスの馬は自分の戻る場所を覚えており、乗り手がいなくとも、勝手に帰って行くのだそうだ。使者を殺して送り返す、サルタクなりの宣戦布告なのだろう。

 そして、戦仕度(いくさじたく)調(ととの)えると、すぐさまその馬を追って本営を出発させた。



「どう見ても感情任せの行動だったよね。勝てる見込みはあるのかな」



 馬上のウィレムがイージンに尋ねる。



「敵さんは有力者の大部分を味方に着けてんだ。まともなら、勝てんだろうな」

「なに悠長なこと言っているのさ。そうなったら、僕らの身も危ないんだよ」

「まあ待て、行き着く先はまだわからねえさ。おいらは仕事を果たした。後はお前の言葉が少しでも()いてりゃ、一発逆転もあるかも知れねえぜ」

「この前から言っているそれ、一体何を隠しているのさ。そろそろ教えてくれても良いんじゃない」



 ウィレムが幾ら尋ねてもイージンは首を横に振るばかりで、余裕たっぷりの顔のまま、馬を進めた。


 やがて、サルタク軍の前方に敵の大軍勢が姿を現した。丘の向こうに上がる土埃(つちぼこり)をウィレムの目もはっきりと捉えた。


 明けて翌日、サルタク陣営が今まさに出陣しようと言う時、相手陣営から一頭の馬が近付いてきた。弓の間合いに入っても、その馬は止まらない。(いぶか)しんだサルタクは、一矢(いっし)、馬の足下に射掛(いか)けさせたが、人馬ともに焦る様子一つ見せなかった。サルタク軍の先陣を前にして、馬はようやく脚を止める。



『天下の大将軍にして、聡明な賢人たるサルタク殿に申し上げる。どうか弓を収め、(われ)とともに来て頂きたい』



 若いが良く通るその声は聞き覚えのある声だった。



『死を恐れず、我が面前まで来たことだけは褒めてやろう。だが、我を害しようという者がいる限り、(つが)えた矢筈(やはず)を外すことは出来ん。戻って(あるじ)にそう伝えろ』



 陣の奥からサルタクが応じる。こちらの声も負けず劣らず良く通る。



()きみは亡きチノ・ハン陛下のみ。また、貴方を害する者は最早ない。証を示そう。しかと御覧(ごろう)じよ』



 青年が馬の背から何かを投げた。それは緩い放物線を描き、陣のなかほどにごろりと転がった。一拍置いて、兵の間から引き()ったどよめきが上がる。サルタクはすぐにそれを運んでこさせた。


 それは、二つの首だった。

 一つはウィレムも知るケウの首、もう一つは中年の女性の首である。



『その者らは恐れ多くも大王に毒盛った大罪人。サルタク殿を亡き者にしようとしたのも、この者らだ。その女から取り上げたこの小瓶に、毒の水が入っていた』



 青年の声が熱を帯びる。



『その罪、到底(つぐな)い得るものではない。(しか)れば、その者らの有する最も価値あるもの、命を(もっ)(あがな)いとした。これに連なる者たちも吾が名において刑に処した』



 ウィレムの位置からは青年の顔立ちまではわからない。だが、その声が誰のものであるか、既にウィレムは気付いている。



「どうやら上手くいったようだぜ。あの小瓶はおいらが奪ってラシードに渡したんだ。そんで、お前の言葉が奴の背を押した。ここまでお膳立(ぜんだ)てしてやりゃ、流石に覚悟も決まったろうさ」



 そう言ったイージンの声は、そこはかとなく沈んでいた。顔を見ると表情もどこかぎこちない。



『吾が名はアルタン・テムル。タルタル族の末永い安寧のため、どうか私に、サルタク殿のお力を貸して頂きたい』



 テムルの言葉はそこで終わった。形勢は既に決していた。

 サルタクはしばらく馬上のテムルを見つめていたが、振り下ろすべき相手を失った拳を地面に思い切り打ち付けた後、全軍に戦備(いくさぞな)えを解くよう命じた。


 後日、アルタン・テムルとサルタクの連名で開かれた大会議において、テムルは大王に即位した。

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