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第147話 邂逅

 チノ・ハンの本営(オルダ)に迎えられたウィレムとイージンは、翌日の昼頃、大天幕に通された。サルタクのものを上回る巨大な天幕に、ウィレムの心臓も俄然(がぜん)鼓動を高鳴らせる。目の前にあるフェルト製の扉の向こうには陰謀渦巻くタルタル王室の大立て者がいると思うと、呑み込んだ唾もなにやら(ねば)つく。


 扉が上がり案内人に促されるままに天幕のなかへ入る。敷居だけは踏まないよう注意すると、視線は自然と下へ向いた。

 天幕内部の様子に始めに反応したのは、目ではなく鼻だった。脂の燃える甘い匂いに頭を上げると、無数の灯が光帯を放ち、幾重にも交わって、(まぶ)しく輝いていた。屋内であることを忘れそうな光の束に包まれて、ウィレムは四方に影を伸ばしながら静々と進んだ。

 頭上には天幕の骨組みを覆って青地の壁布が広がっている。布は見事に裏打ちされていて、内側から見ても縫い跡一つ見つからない。白と金の糸で刺繍された鮮やかな大布が空のようにウィレムを包み込んでいた。


 天幕の中央付近で先を行くイージンが脚を止めた。それを見てウィレムも脚を緩める。地面を覆っていた敷物は彼の足下で一旦途切れ、その先からは別の布が敷かれていた。黒縁(くろぶち)に金糸の刺繍で周囲を飾り、赤、黄、緑など様々な色の唐草文様が布の上を躍る。極彩色の敷物が、その先が特別な領域であることを告げていた。



「くれぐれも抜かるんじゃねえぞ」



 小声で念を押すイージンに、ウィレムは一呼吸おいてからうなずいた。


 歩き出してすぐにウィレムは奇妙な気配を感じた。誰かに見られているような気がしたのだ。その気配は(はばか)ることなく、ウィレムに視線を注ぎ続けていた。

 歩幅を縮め、気配のする方向を慎重に(うかが)い見る。ウィレムの正面よりもやや左に()れた辺りに、注がれる視線の源流があるように思えた。


 ゆっくりと動かした視界に人影が映る。途端に、ウィレムの頭が跳ね上がった。

 年齢よりも若く見えるタルタル人にあって、それを勘定(かんじょう)に入れても、目に入った男の容貌は少年の面影を色濃く残していた。眉頭がつんと上がり、(すぼ)めたような小さな口と相まって気難しそうな印象を受ける。背はウィレムと同じ程度で、ゆったりとした馬乗服の上からでは、肉の付き方は判然としない。

 そんな、何の変哲もないはずの青年の姿に、ウィレムの脚は止まっていた。

 首筋に凍った待ち針を差し込まれたような感覚。身体は動かなくなっていた。ウィレムの身体が感じ取ったのは、青年のまとう独特の雰囲気だった。ルイとも、ロマノス王とも、ヴァルナラムとも異なるが、それは間違いなく王気とでも呼ぶべきものだった。

 二人の視線が交わる。何かを訴えるような丸い瞳に射貫(いぬ)かれ、ウィレムの膝が彼の意思とは関わりなく勝手に地面に伏した。



「何してやがる、そっちじゃねえ。(ひざまず)くなら正面だろうが」



 イージンは(ほう)けるウィレムの肩を掴むと強引に身体の向きを変えた。視界のなかから青年が消え、ウィレムは我に返る。


 気が付いたウィレムは次に首を(かし)げたくなった。

 代わって彼の正面に現れたのは、口を解いた荷袋のような男だった。肉が垂れ、表情にも締まりのない小男が、不釣り合いに豪奢な出で立ちで、ぼんやりとウィレムたちの方を眺めている。


 困惑したウィレムがイージンを見ると、彼もそれを察したように、固い表情を返した。



「正面のがチノ・ハンの長子ドルジの嫡男(ちゃくなん)、ケウだ。お前が会いに来たのはあいつだよ。隣のは腹違いの弟でテムルってんだ」

「それ、本気で言っているの」

「お前の言いてえことはわかるぜ。逆じゃねえかってことだろ。だがな、誰だって生まれる場所と時を自分じゃ選べやしねえ。こんな間違いだって起きちまうのさ」



 イージンの言葉に、再度、まじまじと二人の青年を見つめるウィレムを、相手も怪訝(けげん)そうにのぞき込む。奇妙な時間がしばし流れた。


 その後、ウィレムは丁重すぎるあいさつを述べ、自分の素性と旅の目的、そして、サルタクから預かった言伝をケウに伝えた。彼はことあるごとに不安そうに顔をしかめては、弟のテムルに何事か話しかけていた。

 イージンに彼らの話していることを教えて欲しいと頼んだが、タルタルの恥部だと言って最小限のことしか訳してはくれない。それでも、辛うじて耳が拾う言葉と目に余る落ち着きのない態度から、ケウが王位に相応(ふさわ)しい人物でないことを容易に推し量ることは出来た。


 ウィレムの話が終わると、ケウはガリア王の親書を渡すように求めた。



「こちらはタルタルの王たる方へ渡すように、ガリア王ルイ陛下から托されたもの。失礼ながら、即位前の御身に差し上げるわけには参りません」



 方便を使って逃れようとすると、ケウはあからさまに不機嫌な顔になった。そして、テムルに何事か耳打ちした。

 ウィレムが見ても、ケウは同盟を結ぶ相手としては心許なく思える。そうなると、大会議(クリルタイ)を先延ばしにして、サルタクに有利な状況をつくる方が、ガリアにとっては利があるように思えた。即位前のケウにルイの親書を渡せば、それはガリア王がケウの大王即位を認めた証となってしまう。それだけは避けなければならなかった。



「あちらさん、いよいよお怒りだぜ。お前をこの場に留まらせて、そのままサルタクの所へ本営ごと移動するって言ってやがる」

「そんなの(まず)いよ。なんとか足止めしないと」



 イージンの囁きに、ウィレムは慌てて言葉を探した。



「こちらへ至る途中、私共は大変困難な道行きを経て参りました。大地には(しも)が降り、寒風に身体は凍りました。震えは朝から晩まで止まりません。動物たちには厳しい寒さでございます。サルタク様の下へ向かわれるのは、春の訪れを待ってからでも(よろ)しいのではありませんか」

『うるさい。余は今すぐに大王(ハーン)になりたいのだ。サルタクが来られないのなら、余が奴の下へ行くまでよ。それに、お前にあれこれと指図される()われもない』



 イージンの翻訳を待つまでもなく、ケウが苛立(いらだ)っていることは明らかだった。ウィレムが次の言葉を口にする前に、彼は立ち上がると何事か大声で(まく)し立てた。すると、二人の男が現れ、ウィレムの腕を両側から取り押さえた。

 驚いて身体を(よじ)ったが男たちの手を振り払うことは出来ない。



()めてくれ。僕がなにをしたって言うのさ。イージン、黙ってないで助けてよ」



 エトリリア語の叫びは虚しく天幕内の空気を振るわせただけだった。イージンはウィレムに構うことなく、タルタルの言葉でケウと話している。


 男たちに引きれれて行くウィレムの耳にイージンの声が届いた。全ての言葉を理解するのは無理だったが、『おいらは特別』、『従わせたけりゃ、大王になりな』、そんな言葉の切れ端だけを聞き取ることが出来た。

 わけのわからぬまま、ウィレムは大天幕から連れ出された。暗い空から一粒の白い雪が振り、力なく彼の鼻先に舞い落ちた。

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