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第146話 馬上問答

 サルタクの下に大会議(クリルタイ)招集の知らせが来てから二月(ふたつき)が経った。

 ウィレムはイージンとともに馬を駆り、凍った大地を進んでいる。季節は既に冬を迎え、斬りつけるような寒さが彼らを襲う。サルタクから贈られた毛皮の衣服に身を包んでいても、自然と身体が丸くなった。



「ようやく馬乗りが様になってきたじゃねえか。赤ん坊並みには乗れてるぜ」

「馬乗りの(たしな)みくらいあるよ。それに僕ら、一月ひとつき以上馬の上にいるじゃないか」



 先を行くイージンが馬の背で器用に振り返りながら話しかける。ウィレムは唇を尖らせた。口を開けると冷気が口内に入り、頬の裏側をひりつかせる。長く話していると口のなかが凍ってしまいそうで、ウィレムはすぐに口を閉じた。



「年明けまでには着きてえな」



  ふと、イージンがつぶやいた。


 二人はサルタクの本営(オルダ)を出て、一路(いちろ)、チノ・ハンの宿営地に向かっている。幾つもの駅站(ヤム)で馬を乗り換えて駆け続けた。初めは毎日のように尻を赤く腫れさせ、べろりと皮が()けることのあったウィレムも、その頃にはすっかり丈夫になった。長い距離を進む日は、途中で尻の位置をずらすだけで、(しび)れがやわらぐことも覚えた。



「今更、()くことじゃねえが、本当に良かったのか。取り返しはつかねえぞ」



 隣に馬を寄せ、ウィレムの馬と併走しながらイージンが尋ねる。ウィレムは返事をする代わりに、深く頭を下げてうなずいた。


 二月前、サルタクと二度目の謁見に望んだウィレムは、彼にある提案をした。

 大会議に対し、サルタクの欠席を告げる使者として、ウィレムがチノ・ハンの本営へ向かうという提案である。サルタクからの(しら)せを運ぶとは言え、ウィレムの立場はあくまでガリア王ルイ・ド・セーヌの使いである。相手も戸惑うであろうし、サルタクの家臣が行くよりも安全なはずである。一国の王になろうという者が他国の使者を無下に扱うとも思えない。まして、余程のことがない限り、命を奪われることはないはずである。

 サルタクは時間を手に入れ、ウィレムはタルタロスの有力者を直接見定めることが出来る。両者にとって悪い話しではなかった。



「場合によっちゃ、おいらが動いてやっても良い。こんな()まりのねえ面が相手なら、油断も誘えるってもんだろう」



 イージンの含みのある言い回しに、サルタクと臣下たちは口を閉ざした。ウィレムにも、彼が言外に言わんとしていることはわかる。だが考えはついても、自分から暗殺を持ちかけることは、やはり出来なかった。


 結局サルタクはウィレムの提案を受け入れ、必要な物を用立ててくれた。むしろ説得が難しかったのはアンナである。どうしても付いていくと言って聞かない彼女に、絶対に無事帰ると約束し、最後は(なか)ば言いつけるようにして、サルタクの本営に残してきた。



「あいつを連れて友好の使者だっつっても、警戒されるだけだろうからな。見る奴が見りゃ、千の精鋭よりも危険な相手だって、すぐにばれるぜ」



 そう言ったのはイージンである。

 仲間を置いて行くことでサルタクがウィレムを信用したところもあった。人質のような形になり、アンナとオヨンコアには済まない気持ちもあったが、サルタクは二人を丁重に扱うと約束してくれた。


 夜になり馬の脚を緩めると、風は()んで寒さはそれほど感じなくなる。

 馬の背にもたれ、ヤギの(チーズ)を口に含む。濃厚で癖がある味だが、慣れれば好ましく思えてくる。宿駅に辿(たど)り着けない日は酪と馬乳酒だけで食いつないだ。ひもじくはあったが、不思議と体調は悪くない。


「僕は断る理由の方が心配だよ。馬に流行(はや)(やまい)が出たからっていうさ」

「それこそ、最上の理由じゃねえか。この時期病にかかっちまうと、冬を越せねえからな。タルタル人に取っちゃ、馬は大事な友であり、武器であり、財産だ。それが危ねえって時に、大将が本営を留守にするなんざ、考えられねえ。地位や女や財宝よりも、まず、なにより馬ってこった」



 馬乳酒をちびちびとやりながら、イージンが応えた。相変わらず、口調からは本気なのか冗談なのか掴めないが、酔っているわけではないらしい。そのことがウィレムの心に細波(さざなみ)を立てる。



「女の人を物みたいに言うの、止めてくれないか」

「なんだ、怒ったのかよ」

「当たり前だろう。女性だって、僕ら男と同じ人間として創造されたんだ。動物や物とは違う、特別な存在なんだから」



 ウィレムの言葉にイージンの顔から薄ら笑いが消えた。その瞳はどこか冷めた色をしている。死んだキツネような目だ。



「お前がどんな正義を信じようが勝手だが、それを他人に当てはめて、杓子定規(しゃくしじょうぎ)で判断すんじゃねえよ。おいらに言わせりゃ、お前の信じてるもんなんざ、塔の片隅で田舎者が口にする世迷(よま)い言に過ぎねえんだぜ」

「今のは聞き捨てならない。神への冒涜(ぼうとく)だ。許されることじゃない」



 ウィレムは声を荒げた。だが、イージンはどこ吹く風である。



「だったらどうする。ばちでも落としてもらうか。お前の信じる神さんの威光がこのタルタロスまで届くってか。どんな脅しを掛けようが、信じてねえ奴には毛ほども響かねえんだよ」

「この異教徒め、それ以上口を開くと神罰が下るぞ」



 ウィレムが叫ぶ。

 隣を走るイージンは馬の背からするりと脱け出すと、ウィレムの目の前に現れた。自分の馬の背からウィレムの馬の背へ飛び移ったのだ。


 切れ長のイージンの目がウィレムの瞳を見据(みす)える。彼の手がゆっくりと伸び、ウィレムの下瞼(したまぶた)に触れ、眼窩(がんか)の縁にかかった。振り払おうにもウィレムの手は手綱を握っており、自由にならない。



「この目だ。ぎっちりと(しこ)ったうえに、どろどろに濁ってやがる。そんな目で何がわかる。この旅で見てきたものは、てめえの狭い了見で理解できることばかりだったか。なんなら、バクティ嬢ちゃんにもう一発引叩(ひっぱた)かれた方が良いじゃねえか」



 イージンに迫られ、ウィレムは言い(よど)む。確かに旅に出て以来、それ以前のウィレムの価値観では、はかりきれない出来事に幾つも出会った。聖書の言葉や教父の説教に照らしてみても、わからないことの連続だった。



「だったらどうしろって言うのさ。何が正しいかわからずに、どうやって生きていけば良いんだよ」



 涙が流れた。ウィレム自身も薄々気付いてはいたのだ。自分の信じるものが絶対ではないことに。だが、それを認めたくはなかった。足下の大地が崩れ去り、底のない泥沼に沈んでいくような気分だった。


 イージンが指を退()けて手を払う。指先に着いたウィレムの涙が夜の闇に散った。



「それこそ、自分で考えんだな。いつまでも借り物のお天道様(てんとさま)を拝むのは止めちまえ。見てて、いい加減鬱陶(うっとう)しいぜ」



 言い残すとイージンは自分の馬に音もなく飛び移った。二人ともそれ以上一言も発さず、馬を走らせ続けた。


 だが、静寂は長く続かない。大勢の人の声に、(ひづめ)と車輪の軋む音、それらが一緒くたになって大地を揺らしながら近付いてくる。二人は馬の脚を止め、音のする方向に目を()らした。



「クソッ」



 イージンがこぼす。



「奴ら、本営ごと大会議をここまで運んで来やがった」


 二人の目の前には、山と見紛(みまご)うほどの巨大な天幕が地響きを上げて迫っていた。

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