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第138話  "楽園"からの旅立

挿絵(By みてみん)



「ウィレムさま、後ろ、見てください。すごいですよ」



 前を行くアンナに促され、ウィレムは峠の(いただき)から眼下を眺めた。登ってきた山道の向こうに山の裾野(すその)が広がり、その先には金の砂漠と二本の大河が視界の果てまで続いている。川沿いに見える黒い点が人々の暮らす都市なのだろう。

 ウィレム一行は、シンドゥ川に並行に走る山脈の一角を登っていた。そこから見下ろすと視線を遮るものはなにもない。雲さえ(まば)らで、青味がかった灰色の空が遥かに広がっている。



「どの辺りにあったんだろうね」



 ウィレムがぽつりと呟いた。見晴らしの良い平らな大地に、少し前まで鮮やかな大山が確かにそびえていたのだ。既に崩れ去ったその山の痕跡(こんせき)を見つけることさえ出来なかった。初めからそこには何も無かったようにも見える。


 スメール山の崩壊に巻き込まれたウィレムは、生き埋めになっていたところをアンナに助け出された。最後に襲った全てを押し潰さんばかりの衝撃の後、外に出てみると山は跡形もなく消え去り、山肌を彩っていた金や玉は色を失って、ただの石に変わっていた。

 ウィレム以外にも生き残ったバラモンやヴァルナラム軍の兵たちが助け出されていたが、その中に髑髏(しゃれこうべ)の欠片を抱いた少女の姿はなかったという。


 (ふもと)を見下ろしながら、ウィレムは(おもむろ)に左腕を上げてみた。肘が胸よりも高くなると、腕に鈍い痛みが走る。顔をしかめる彼を、アンナが心配そうにのぞき込んだ。彼女の左目の下にも、細い刀傷が残っている。



「左腕、痛みますか。それほど深い傷じゃありませんが無理しないでくださいね」



 ウィレムは礼を言って、ゆっくりと腕を下ろした。


 スメール山の崩壊後、誰がどれだけ祈っても、神の加護は受けられなくなった。傷は治るまで安静にしなければならないし、火を起こすのも一苦労である。無憂城(アショカプラ)の兵力が残っていたならば、すぐにでも、全ての都市を占領できただろう。神の加護に頼らない(いくさ)が出来る都市は他にない。

 だが、それも余計な心配である。無憂城に他国を攻めようと考える君主は、もういないのだから。


 奥の院に入った無憂城の人間で、生き残ったのはラジャグプタだけだった。その彼も落石により両脚に深い傷を負い、立ち上がることの出来ない身体になった。

 出立前に一度だけ彼を尋ねると、髪は白くなり、顔は憑き物が取れたように晴れやかだった。ウィレムが左腕の傷を見せると、傷口を眺めながら長く沈黙した後、



「それだけ剣を振るえる方が、あのまま死んだとは思えませんね」



 と微笑した。

 ヴァルナラムならば、いつか不甲斐無(ふがいな)い自分を(しか)りに、どこからともなく帰ってくるのではないかとも言っていた。彼は主人の帰りを無憂城で待ち続けるのだろう。話したいこともあるに違いない。そう思うと、ウィレムは再度、半顔の青年に頭を下げずにはいられなかった。


 ウィレムの右手は最後の一撃の感触を未だに覚えている。突き出した剣先が人の肉を裂く感覚を。だが、それは明らかに浅かった。左腕を切られた痛みとふらつく脚が、最期の踏み込みを鈍らせたのだ。

 その直後、足元の床が崩れ、支えを失った二人は別々に落ちていった。その時もヴァルナラムは口元を吊り上げていた。生きている限り自分の勝ちだ、そう言わんばかりの表情だった。



「二人とも、何をしているんですか。先を急ぎますよ」



 オヨンコアの声が聞こえる。アンナはウィレムの手を引いて歩き出した。

 最後にもう一度だけウィレムは振り返る。

 その目に移る世界には、神もいなければ、超常の力も存在しない。ただ、人が、人として生きる、人のためだけの世界がそこにはあった。なにものにも囚われない、“あるべき世界”がそこにあった。

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