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第134話 「楽園」へ至る道

 髑髏(しゃれこうべ)を抱き、恍惚(こうこつ)の表情を浮かべるシャクティ。それは異様な光景だった。だが、それ故に、それまでの違和感が全て胸に落ちる気もした。



「その骸骨(がいこつ)の替わりをやれってことは、僕は死ぬのかい」



 そう易々と殺されるつもりはないが、抵抗は出来ない。慎重に事態を見定め、その場を逃れる術を探す。ウィレムに出来ることはそれだけしかない。



「そんなことしないよ。ただ、ジョアンの仕事を替わって欲しいの」



 シャクティは高台の縁から身体を投げ、宙でくるりと一回転すると、ウィレムの目の前に降り立った。彼女の腕のなかから白い髑髏の真っ黒な眼窩(がんか)がウィレムを見下ろしている。



「なんにもわからないと怖いもんね。ジョアンのこと、少し教えてあげる」



 シャクティは膝を折ってしゃがむと、ゆっくりと話し始めた。それは五百年以上も昔、まだ楽園が塔の大地と地続きだった頃の話しだった。


 それは疾風の如く現れた。切り立った西の山脈、その間を走る細い峠を越えて、シンドゥ川の上流に姿を見せた馬上の一団は、瞬く間にシンドゥ・ガンガー両河川の流域を蹂躙(じゅうりん)した。

 彼らが何者かはわからない。盛んに叫んでいた言葉から、人々は「シカンデーラ」と呼んで恐れた。壊し、奪い、殺し尽くす彼らの所業に、神々さえも目を覆い、幽山深くに姿を隠したという。救いのない絶望の時代だった。

 しかし、しばらくするとシカンデーラは姿を消し、荒廃した大地だけが残った。


 その地に一人の青年が足を踏み入れる。白い肌に黒い髪、顔の彫りは深く、身体は痩せて、所々骨が浮いていた。歳よりも若く見える容貌は彼の悩みの種だった。

 彼が峠の(いただき)に立った時、斜面に程近い黒雲から雫が落ちた。雷鳴が轟き、風は強く吹き上げる。身体を打つ激しい雨に青年はただ立ち尽くしていた。



「ジョアンはね、感動して泣いてたんだって。おかしいでしょ」



 シャクティが遠い目で口元を(ほころ)ばせる。先程までの異様な気配はどこかへ消え、昔を懐かしむ在り来たりな少女の顔がそこにはあった。


 エトリリアから迫害を逃れて流れ着いた先で、ジョアンは激しい自然のなかに神の息吹(いぶき)を感じた。一度は彼を見放した神が、再び目の前に現れたのだ。彼は思わず両手を組んで、感謝の祈りを捧げた。

 彼は供の者たちと安住の地に辿(たど)り着いた喜びを分かち合った。だが、シカンデーラに踏みにじられた大地は、決して理想郷ではなかった。廃墟となった集落に人はおらず、田畑は荒れ果て、鳥の鳴き声だけが響く。林に隠れて難を逃れた人々を見つけたが、子どもたちは一切笑わなくなっていた。

 ジョアンは人々のなかへ入っていった。初めは拒まれ、追い返された。外から来た者に対して人々の警戒は強かった。シカンデーラと同じ白い肌も彼らを刺激したのだろう。殴られ、石を投げられても、ジョアンは林に入っていった。

 いつの頃からか、彼の側に一人の少女が付いてまわるようになった。神官の家に生まれた少女は神に仕える巫女だった。彼女が仲立ちとなることで、ジョアンたちは少しずつ人々に受け入れられていった。


 彼らは(やまい)を癒やし、荒れた土を(たがや)し、新たな家を建てた。元々暮らしていた貧しい土地よりも、その地は豊かで地力に溢れていたので、彼らの工夫により集落はすぐに蘇った。人々に笑顔が戻り、ジョアンも、少女も、大いに笑った。

 それからもジョアンは苦しんでいる人の話を聞いては西に東に駆けつけた。彼の隣には必ず少女が寄り添っていた。二人は引かれ合い、じきに恋に落ちた。

 だが、良いことばかりが続いたわけではない。ジョアンの到着が遅れ、救えなかった命が幾つもあった。その度に彼は苦悩した。



「ジョアンはとっても辛そうだったの。自分には神の声が聞こえて、その加護が受けられるのに、他の人にはそれが出来ない。自分が何人もいれば、全ての人を救えるのにって。隣で見ていられないくらい、苦しそうだった」



 シャクティの言葉から察するに、その少女が彼女自身なのだろうとウィレムは思った。目の前の女性が(よわい)五百を越えているとはどうしても信じられなかったが、彼女の話は単なる伝承というには、あまりに真に迫るものだった。



「ジョアンはね、偉い聖仙(リシ)とも話したの。自分の力が、広く皆に及ぶにはどうしたら良いかって。神さまの言葉を人に教えて、人のお願いを神さまに届ける、それが自分の役割だって、ジョアン言ってた。ジョアンは “司祭”っていうのをやってたんだって。それで色々勉強したの」



 そこでシャクティは言葉を切った。その先を話すことを躊躇(ちゅうちょ)しているのか、視線を落ち着きなく動き続ける。



「彼は言ったの。自分をこの地と一つにするって。そうやって、土のなかにも空気のなかにも自分がいれば、皆を見守ることが出来るって。自分の活力(テージャス)でここを覆って、人と神さまの意思をつなぐんだって。そうすれば、いつでも、誰でも、神さまを近くに感じられるって。手伝って欲しいって言ったのよ。嫌だなんて言えなかった」



 シャクティが息を詰まらせる。言葉の意味するところがわからないウィレムにも、彼女にとって悲しい結末が待っていることだけは十分にわかった。



「ジョアンは炎に飛び込んだ。彼の肉は灰になって空に溶けた。残った骨はシャクティが色んな所に埋めた。後になって、そこに聖塔ストゥーパを建てる人たちがいたわ。儀式のやり方は彼と一緒に来た人たちが教わってたの。その人たちの子どもが、今はバラモンって呼ばれてる」



 ウィレムにも大まかな事情は理解出来た。そして、ジョアンの替わりをして欲しいという彼女の言葉の意味にも行き着いた。



「この骨、見て。まだここにジョアンの魂は縛られてる。生きてはいても、話すことも出来ないし、シャクティの髪を撫でてもくれない。魂がここに在るから転生することも出来ないの」



 シャクティがウィレムの顔をのぞき込んだ。底無しの瞳は光を吸って、どこまでも暗く、深い。その目に飲み込まれ、どこまでも落ちていきそうな気分になる。



「ねえ、ウィレム。貴方がジョアンの替わりになってよ。ジョアンと同じ所から来たんでしょ。神酒(ソーマ)も飲んだから、活力も高まってるよ。それに素質もあると思うんだ。鳥瞰(ちょうかん)の術を覚えるなんて、簡単なことじゃないもの。ねえ、良いでしょ。シャクティ、一人でずーっと待ったんだよ。生まれ変わりでも良いから、ジョアンに会いたいの。ジョアンに触れて欲しいの。だから、ねえ、お願いを聞いてよ」



 口調が早まり、最後は(まく)し立てる調子になった。


 彼女に同情していた。愛しい人と会えない時間がどれだけ辛いかは知っているつもりである。そこまでして人を救おうとしたジョアンにも尊敬の念を禁じ得ない。

 だが、だからといって、彼の代わりに土に埋もれるつもりもなかった。ウィレムにもやるべきことが、そして、やりたいことがある。アンナに、シャクティと同じ悲しみを味わわせたくはない。

 生きる。その強い意思が胸の内を焦がしている。身体中に伝わる不思議な熱がウィレムの恐れを溶かしていった。

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