表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
133/159

第132話 迷走

 ヴァルナラムが振るう刃をウィレムは懸命に受け続けた。鋭い太刀筋と抗し難い圧力を前に、彼の脚は徐々に後ろへ下がっていく。

 息吐く暇もない。止め()ない連撃にさらされ、ウィレムの顔が苦悶に歪む。こめかみを伝う汗はべたついていた。



「どうしたウィレム。腰が引けているぞ」



 ヴァルナラム渾身の打ち下ろしを受けて剣は震え、手には痺れが残った。彼の剣には嘘がない。予想した軌道を剣先が正確になぞる。だが、わかっていても容易に(かわ)すことは出来ない。鳥瞰(ちょうかん)とは相性の悪い相手だった。

 二人の剣が交わる度に金属音が尾を引いて玉壁に弾けた。その音に引き()られるように、二人は岩窟の奥へと潜っていった。



「威勢が良いのは初めだけか。俺のやり方が気に入らないのだろう」



 どれだけ挑発的な言葉を浴びせられても、ウィレムは守りの姿勢を貫いた。致命傷でなければ傷はすぐに治ってしまう。互いに条件は同じなのだから、先に隙を見せた方が負けに近付くことは明らかだった。

 待つ時間は果てしなく長い。ヴァルナラムが隙をつくるまで、ひたすら耐えなければならない。しかも、それまでに一つの間違いも許されないのだ。ふと、終わりなど来ないのではないかと思うこともあった。そんな絶望を振り払い、ウィレムは目の前の刃に気持ちを集中する。


 二人の刃に映る光の色は壁の玉に応じて美しく移り変わった。赤から白、白から青。世界が明滅し、ぶつかり合う二人を鮮やかに彩る。いつしか二人を包む光は深い(あお)を示していた。


 腹を蹴られたウィレムが碧玉の床を転がる。追撃を恐れ、ウィレムはすぐ頭を上げたが、来るはずの一撃が彼を襲うことはなかった。



「素晴らしい。この世のものとは思えんな」



 奥の院に踏み入り、一面碧の部屋を目の当たりにして、ヴァルナラムの口からため息が漏れた。



「その美しいスメールを、貴方が台無しにしたのです」

「俺とて、神からの(たまわ)り物を血で(けが)すのは本意ではない。だが、邪魔者を黙って見逃すほどお人好しでもないんでな。役割を全うしない者など、害悪でしかない」

「ここの人たちは違う。貴方が殺した人の多くは(よこしま)な心など持っていなかった」

「俺の邪魔をするなら同じことよ。奴らが向き合うべきは人の世ではなく、神だ」



 幾ら言葉を交わしても、ヴァルナラムの意思が揺らぐことはない。それが思い上がりから来るものならば、自信を挫けば止められる。だが、信念ならば留めることは容易ではない。殊に、彼のような強情な者ならば。



「僕は意味も無く人が死ぬところを見たくありません」

「意味ならある。奴らが去ればこの世界はあるべき姿に近付く」

「例えそうだとしても、貴方のやり方は間違っている」

武人(クシャトリヤ)が剣を取って何がおかしい。お前も俺が気に入らないのなら、力尽くで止めて見せろ」



 言葉のやり取りは敢え無く終わった。再び剣と剣が交わる。

 一度は緩んだ身体に、熱と緊張が戻ってきた。

 突きからの()ぎ。打ち下ろしからの強引な押し込み。容赦のない攻めが続く。

 瞳の奥が重い。こめかみが締め付けられ、鳥瞰を保てない。

 一瞬、目の前が暗転した。意識を呼び戻したのは首への激しい痛みだった。

 ウィレムの口から声にならない叫びが上がる。喉の奥が燃えるように痛い。苦しさに息を吸おうにも、口に入った空気は胸まで落ちず、どこかへ消えてしまう。



「首の皮一枚で生き残るとはやるではないか。それとも、お前の運が良いのか」



 遠くから聞こえるヴァルナラムの声。(かす)む視界の中で碧い床に赤が飛び散り、不気味な混色をつくっていた。血はウィレムの首から流れ続けている。

 手脚を振ってその場を離れようとしたが、思い通りに動かない。酒を飲み過ぎた後のように、意識と身体が切り離されている。



「お前との(たわむ)れはそれなりに楽しかったぞ。最後まで(あらが)ったことは褒めてやろう」



 首の痛みは消えかけていた。息苦しさも多少は楽になっている。だが、意識だけが(もや)のなかにあって未だに判然としない。

 生きなければならない。その気持ちだけがはっきりとしていた。ルイに任された仕事が残っている。イージンとの約束もある。何より、ウィレムが死ねば、アンナが泣く。それだけは絶対に嫌だった。


 身悶(みもだ)えするウィレムの腹をヴァルナラムが踏む。重さを乗せて動きを封じ、逃れられぬよう床に貼り付ける。ウィレムの肋骨が乾いた音を立てて(きし)んだ。

 ぼやけた視界の中にヴァルナラムの刃が閃く。振り下ろされた剣が徐々に大きさを増していく。避けようにも、身体は自由に動かない。


 目の焦点が剣先に合った。首のすぐ横で剣は止まっていた。

 見上げるとヴァルナラムの脇腹から(くろがね)の刃が突き出ていた。

 彼は蹌踉(よろ)めき、傷口を押さえて倒れ込む。刃は背中から入り、腹を貫いていた。



「いざとなったら、助けてあげるって言ったでしょ」



 ヴァルナラムの後ろから、愛らしく微笑むシャクティが姿を現した。その笑みと彼女の手を濡らす返り血がどこまでも噛み合わず、ウィレムは何度も(まばた)きをした。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ