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第129話 戦場に帰る

 一面に広がるのは、飛び散る鮮血とはためく銀朱の髪。染め上げる赤を割って、鈍色(にびいろ)重剣デケンプレクス・アダマスが堂々とそそり立つ。

 アンナはウィレムに背を向けて、ラジャグプタの前に立ちはだかる。ゆったりと自然体で重剣を構え、顎を引いて相手を正視する。剣先から延びる線と彼女の視線がラジャグプタの顔の前で交差していた。



「ご無事ですか。ウィレム様」



 振り返らない彼女の背を、ウィレムは口を開けたまま見つめた。目の前の光景が信じられず、(しき)りに瞬きを繰り返す。



「あの、お返事いただきたいのですが。お怪我はございませんか」

「ご、ごめん。なんともないよ」



 慌てて立ち上がり、尻や膝を(はた)く。(ほこり)が舞うだけで、血の一滴すら混じらない。


 ウィレムは彼女の背に伸びる自分の手に気付き、その手を引っ込めた。戸惑いながら言葉を探し、躊躇(ためら)いつつも話しかける。



「本当にアンナなのかい。もう、大丈夫なの」

「私がアンナ・メリノ以外の誰に見えますか。長らくご心配をおかけしました」



 少しぶっきらぼうな答えが返る。だがそれは正真正銘、彼女の声だった。



「ここは私が(うけたまわ)ります。ウィレム様はお山に戻ってください」

「駄目だ。アンナ一人を戦場に置き去りには出来ないよ」



 彼女の肩越しに視線を送ると、ラジャグプタは既に体勢を整え、二人の方を油断なくうかがっている。先程斬り付けられた傷は跡形もなく消えていた。残っているのは服に浸みた血の赤色だけである。



「心配いりません。私もすぐに追いかけます。それに戦場というならば、もうスメールのお山も戦場です。オヨンコアとシャクティの所に行ってあげてください」



 アンナの言葉通り、既にヴァルナラムの軍勢はスメール山の内に大挙して入り込んでいる。スメール山の(ふもと)に残るのは、ウィレムたちを除くと、無憂城(アショカプラ)からヴァルナラムが連れて来た祝詞(のりと)を唱える一団くらいである。


 ウィレムは後方のスメール山を見て、再度アンナを見た。彼女の静かな呼吸に合わせて、身体がゆっくりと上下する。それは動揺による震えとは別のものだった。



「絶対に無理はしないで」

「心配症ですね。貴方のアンナはそう簡単には負けたりしません」



 彼女らしい勝気な言葉に懐かしさを覚え、ウィレムは思わず胸に手をやった。


 立ち去ろうとしたウィレムだったが、一度戻ってアンナを背中から抱きしめた。そのまま彼女の首に赤い首紐(くびひも)をかけてやる。



「ウィ、ウィレム様」

「アンナが僕を守ってくれるのなら、これは君が持っている方が良い。御利益は保証するよ。スジャータの祈りが君を守ってくれるはずさ」



 二人とも別れは言わなかった。

 ウィレムは転がっているイージンを引き起こすと、肩を貸して歩き出した。途中、何度か振り返ったが、アンナがウィレムの方に顔を向けることはなかった。見慣れたはずの彼女の背中は別人のようにも見える。一抹(いちまつ)の不安を振り払い、ウィレムは脚を速めた。


 アンナとラジャグプタ、戦場には二人だけが残った。



「私を相手に一対一とは、随分と余裕がありますね」

「そういうラジャグプタ様こそ、ウィレム様がいなくなるまで待っていてくださったではありませんか。余程、自信がおありのようですね」

「単に人を背中から斬る趣味がないだけですよ」



 いつの間にか二人の距離は縮まっていた。

 引き寄せ合うように、どちらからともなく互いの間合いに入る。

 歩みに乗せて、(よど)みなくラジャグプタが剣を振る。アンナも脚を止めずに動きのなかで刃を(かわ)した。呼吸をするように自然な動きで二人の戦いは始まった。


 ラジャグプタの双剣が死角からアンナを襲う。

 アンナは逃げることなく、大きく一歩踏み込んだ。相手の懐に入り込む。

 後方に跳ぶラジャグプタ。距離を取りつつ、離れ際に斬りつける。

 アンナが初めて重剣を振った。左右から襲う刃を容易(たやす)く弾く。

 ラジャグプタの両眉が上がる。驚きと感嘆、それと僅かな悔しさが混じる。


 間を置かずにアンナは前に出た。下がる相手を追って勢いのまま重剣が走った。

 一つ、二つ、澄んだ金属音が辺りに響く。

 重剣の重さに負けてラジャグプタの剣が跳ね上がる。

 懐が開いた。そこを目掛けて、真っ直ぐに重剣の切っ先が突き進んだ。

 ラジャグプタの胸の肉が悲鳴を上げながら裂けていく。

 だが、剣は彼の骨まで達しはしなかった。体を(ひるがえ)したラジャグプタは胸の肉と引き換えに、アンナの側面に回り込んだ。どれだけ早く重剣を引き戻しても、彼の一撃を防ぐことは出来ない。

 ラジャグプタの手のなかで刃が(ひらめく)く。

 勝ちを確信しても彼の剣は鈍らない。剣先は滞りなく喉元に迫る。

 その時、アンナの首に突き立つと思われた剣先に別のものが飛び込んだ。肉を裂き、骨を砕く濁った音。それはアンナの左手だった。

 彼女は迷いなく刃の根元まで手を推し込む。赤黒い裂け目が広がっていく。

 相手の指ごとつばと柄を掴むと、そのまま肩に背負って片腕一本で投げ飛ばした。

 だが、地面を打ったのはラジャグプタの剣だけだった。

 空中でとんぼを切ったラジャグプタは少し離れた場所に着地する。



「恐ろしい方ですね」



 一息吐いた彼の顔に笑みが浮く。



「私は怖いものなどありませんよ」



 アンナは眉一つ動かさずに淡々と返事した。彼女の瞳は、ぼんやりと(かすみ)がかかったように(うつ)ろだった。

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