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第126話 開戦

「貴方たちも戦うのか」

「戦力に数えてくれんでも結構だぜ。こちとら命懸けってわけでもねえ」



 出会(でくわ)したパドラセーナとイージンの掛け合いを聞きながら、ウィレムは水の退いたスメール山の外壁を進んだ。迫り来るヴァルナラム軍に気持ちは(はや)るが、焦って走ると藻草(もぐさ)に足を取られそうになる。もし滑ったなら、ほとんど垂直と言っていい斜面を真っ逆さまに落ちることになる。そうなれば一溜(ひとた)まりもない。慎重に足下を確かめながら進むしかなかった。



「勝てると思いますか」



 膨れ上がった身体に似合わぬ機敏な動きで山道を行くパドラセーナに、ウィレムは尋ねた。ヴァルナラム軍の強さは目の前で嫌というほど見てきた。スメール山にどれほどの戦力があるのかは見当もつかないが、厳しい戦いになることだけは予想できた。



「勝つ。誰もがそう思って戦いに望む。士気を下げるようなことは言うな」



 パドラセーナの口調は険しい。戦いを前にして張り詰めていることもあるが、ウィレムへの不信感も(ぬぐ)い切れていないのだろう。彼にとってウィレムは未だヴァルナラムの下にいた人間なのである。



「おい、でっかいの。あんまりこいつを(いじ)めんなよ。これが初陣(ういじん)なんだからよ」

「なんだって」



 思わず振り返ったパドラセーナは、眉をひそめてウィレムを睨んだ。思わぬ厳しい視線に晒されたウィレムは、苦し紛れにイージンを責めた。



「どうして僕が初陣だって思うのさ」

「んなもん、雰囲気でわからい。見るからに童貞って臭いがぷんぷんするぜ」



 イージンは鼻で笑った。彼には全く緊張がない。散歩にでも出掛けるような気軽さを漂わせる。不謹慎と思えるほどに自然体を崩さない。



「何故、戦うのだ。貴方には無理してまで戦う理由がないだろう。それとも、戦いを()めているのか」



 パドラセーナの声が圧力を増す。

 ウィレムは少し考えて言葉を探した。考えながら、思った以上に落ち着いている自分に気付き、不思議なおかしさを感じた。戦うことを自分で決めたからかも知れないと思った。



「人が酷い死に方をするところを見たくないのです」

「ならばすぐ帰れ。人の命など、風の前の羽毛より軽いものだ。特に戦場ではな」

「死が怖いわけではありません。それなりに人の死を見ました。それでも、誇り無き死、望まぬ死を無慈悲に押し付けられる人を、ただ見ているのが嫌なのです」



 ウィレムの答にパドラセーナは一言も返さず、静かに脚を速めた。



「認めちゃいねえが、止めもしねえってところだろうぜ」



 イージンの耳打ちに、ウィレムは踏み出す脚に力を込めた。



「流石にこの差は(まず)くねえか」



 イージンが苦笑いを浮かべる。(えぐ)れた山脈の間から敵の縦列が這い出てくる。スメール山の根元に展開する味方は見るからに数が少ない。



「数の差など考えるな。ここならば一太刀で頭を飛ばされでもしない限り、アシュヴィン双神の加護ですぐに傷は塞がる。(かす)り傷で逃げ出さない限り、負けはせん」

「あんた、前もそれで王さんに負けたくせに、何も学んでねえのか」



 (あざけ)るイージンを睨みつけ、パドラセーナは鼻から荒い息を吹き出した。



「今ならば、神に頼らぬ戦いでも遅れは取らん。それだけの鍛練を積んできた」



 彼が頭上に持ち上げた戦斧を回すと巻き起こる風でウィレムの頬が揺れ、戦斧を下ろすと石突きが地面深く潜り込んだ。揺れが伝わり、地面に散らばる小石が跳ねて音を立てる。



「精々、おいらたちの分も奮戦願いてえな。さあ、お()でなすったぜ」



 敵の先鋒は目と鼻の先に迫っている。パドラセーナの一声とともに、スメールの兵も前進をはじめた。武器も甲冑(かっちゅう)も貧相だが、士気だけは劣らない。


 ヴァルナラム軍は密集した歩兵を前列に配していた。改めてそのことを確かめたウィレムは、戦象部隊の不在に心底安心した。幾ら覚悟を決めようと、ゾウを相手に戦える気はしない。想像するだけで身の毛も弥立(よだ)つというものだ。



「馬鹿、余所見(よそみ)すんな」



 我に返ったウィレムの目の前で、飛んできた矢をイージンが切り落とした。



「あっ、ありがとう」

「治るっつっても、痛みはあんだろう。それに、奴の話をまんま鵜呑みにすんなよ。どこに落とし穴があるかわからねえんだからな」


 話ながら矢を(かわ)す。その間に前方では両軍の先鋒が衝突した。

 盾と盾が(うな)りを上げて()ち合い、槍と槍が激しく交わる。男たちの身体が汗を散らして組み合った。傷付けることが無駄だとわかると、戦いは押し合いに移った。

 スメールの最前列は善戦している。兵が死なないため、簡単に切り崩されることはない。それでも、数の差を埋め難く、徐々に押し負け、じりじりと後退した。


 ウィレムとイージンも隊列に加わり、前にいる兵士の背中を押した。腰を落とし、足の親指で土を噛む。味方の背に隠れて目には見えなくとも、敵の重量を(きし)む背中が感じていた。剣を振り、敵を斬る戦いとは違ったが、疲労は(いちじる)しかった。

 隊列が崩れ、(ほころ)びが出来れば、そこを突いて敵は一気に攻め込むだろう。そうなれば、スメール山を守るものは何もない。無防備なバラモンたちが残るだけである。


 時折降る敵方の矢が、掲げた盾の間を抜けて身体を掠めた。奥歯を噛んで痛みに耐える。前の兵を押す手が何度となく滑るようになった。それが自分の汗なのか、他人の汗なのか、最早わからなかった。


 押し合いがしばらく続き、気が付くと太陽が陰っていた。少しばかり、相手の圧力が弱まったように感じられた。



「おい、上見ろ」



 素っ頓狂(すっとんきょう)なイージンの声に見上げると、巨大な腕が頭上を敵の縦列に向けて伸びていく。しかも、その腕は一本ではない。空を埋め尽くす怪腕の群れが、ヴァルナラムの軍勢に襲いかかっていた。



「あれって」

「見間違うわけねえだろう」



 二人が振り向くと、スメール兵の後ろに多面多腕の怪物が八体、山を背にして居並んでいた。腕には様々な武器を携え、具足に身を固めている。

 鬼神(アスラ)はスメールの兵士を(また)ぎ、ヴァルナラムの軍勢を踏みつける。敵の隊列が崩れ、兵士は散り散りになった。



「好機だ。敵を蹴散(けち)らせ。確実に敵兵の命を奪うのだ」



 パドラセーナに率いられ、スメールの兵たちが混乱する敵陣に攻め入った。

 鬼神の登場により、形勢は一変した。

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