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第125話 決意の出陣

 七つ目の金剛杵(ヴァジュラ)が最後の山脈を突き通し、山肌に大穴を開ける。ヴァルナラム軍の前にスメール山まで通じる真っ直ぐな道筋が出来上がった。縦列した兵士たちはヴァルナラムの号令に応えて声を上げると、迷いなく大穴に向けて雪崩(なだれ)れ込んだ。

 水が抜けたばかりの泥濘(ぬかる)んだ海の底は、先頭の兵が走り抜けた跡からみるみる乾き、踏み固められて一本の道になる。その道を騎兵と戦車が歩兵の後を追って駆け抜けていく。


 ものの例えではなく、進軍は矢のように早い。ウィレムは自分の目を疑った。



「どうなっているんだ。こんなことってあるのかい」

「好き勝手やってくれちゃって。ここは活力(テージャス)が濃いもの。何でも出来ちゃうわ」



 ウィレムとシャクティが話している間に、軍勢は三つ目の山を通り過ぎた。

 (たま)らずウィレムは走り出す。だが、シャクティが服の(すそ)を踏んでいて進めない。



「行っちゃだめ。パドラセーナたちがなんとかしてくれるわよ」



 ウィレムは身体を振ったが、彼女は足を離さない。



「このままじっとなんて、していられないよ」

「危ないから、ここに居て。何かあったらどうするの」



 シャクティは口を尖らせる。ウィレムは彼女の方に向き直った。



「これがただの戦争だって言うなら、僕だって首を突っ込んだりしないよ。でも、ヴァルナラム様がやっているのは武人(クシャトリヤ)同士の戦争じゃない。あの人は自分の気に入らないものは全て力任せに壊すんだ。命を捨てる覚悟のない人まで無残に殺されるところなんて、僕はもう見たくない」



 だから離して欲しいと頼むウィレムをシャクティはじっと見つめた。



「わかった。でも、無茶しちゃダメよ。無理だと思ったら戻ってきて。いざとなったら、シャクティが助けてあげるから」



 可愛らしい口振りにウィレムは小さく頷いて微笑むと、部屋を出て走り出した。


 走るウィレムに廊下でイージンが声を掛ける。アンナとオヨンコアも一緒にいた。



「やばそうな雰囲気だ。とんずらした方が良さそうだぜ」

「ごめん。僕、行かなくちゃ。イージンは二人のことを守って」



 脚の動きを緩めずにそのまま三人の脇を通り過ぎようとする。そんなウィレムの前に、アンナが両腕を広げて立ち塞がった。



「戦場に出られるのですか」



 ウィレムは黙って顎を引いた。

 アンナはウィレムの胸に飛び込むと、両腕を彼の背中にまわす。途方もない力で彼の胴を締め上げて自由を奪う。



「いけません。もっとご自分をいたわってください」



 声に嗚咽(おえつ)が混じっている。



「ごめん。でも行かなくちゃ。これは僕自身が決めたことだから」

「それなら、私が行きます。ウィレムさまの代わりに戦います」



 アンナの肩が小刻みに上下する。背中の手も震えていた。

 ウィレムは彼女の額に手を置くと、ゆっくりと顔を上げさせる。長旅で痛んだ赤い髪は、それでも柔らかく手の甲を滑った。



「無理をしないで。今だって震えているじゃないか」

「でも……」



 アンナは尚も食い下がった。



「君が人を殺したことを忘れられないのは正しいことだよ。君がずっと向き合っていかなきゃいけないことだ。それに、僕を守るっていう約束を気に掛けてくれているのも嬉しいよ。記憶も約束も人にとって大切なものだもの。でもね、それで自分を(しば)るようなことをしちゃいけない。アンナはもっと思うままに生きて良いんだ」

「思うままに、生きる、ですか」

「イージンの受け売りだけどね。思うまま自由に生きる君は、きっと綺麗だよ」



 ウィレムは彼女の頬に軽く唇を落とす。彼女の身体から力が抜けた隙に、腕を振り(ほど)いて再び走り出した。支えを失ったアンナはぺたりと地面に尻餅を突いた。


 ウィレムが金と玉の間を走り抜けると、後ろから別の足音が付いてくる。彼の歩幅に合わせて同じ調子、同じ距離を保って追ってきた。足音以外に人の気配の類いは何も発さない。



「二人のことを頼んだろう。それとも、イージンも僕を止めようっていう気かい」

「お前に死なれて困るのは、何も(いと)しのアンナだけじゃねえんだぜ」



 イージンの声は広い天井に反響して、四方から聞こえる。声の出所は掴めない。



「止めても無駄だよ」

「今更そんなことするかよ。やる気なら、今頃、お前は手脚縛られて(おり)のなかだ」



 どこかで舌打ちが鳴った。



「イージンが味方してくれるなら、心強いな」

「おべんちゃらなんかいらねえよ。いいか、駄目だと思ったら、引き()ってでも逃げるからな」



 忌々(いまいま)し気なイージンの口調にウィレムは吹きだす。どこかでまた舌打ちがした。

 二人は階下へと脚を速める。ヴァルナラムの軍勢はスメール山の目の前まで迫っていた

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