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第118話 道理よりも重いもの

「いま言ったのは本気かよ」



 細い目を細いまま見開いて、イージンはウィレムの顔をのぞき込んだ。息が掛かるほどの近さにいると、彼の三白眼が(せわ)しなく動いているのがわかる。相手の態度を細かく観察し、言葉の真意を見定めているのだろう。


 ヴァルナラムの部屋から戻って三日間、ウィレムは考えた。そして、無憂城(アショカプラ)を出ることを決めた。そのことを仲間たちに伝えたところである。



「あの人のやり方をこれ以上見ていられない。僕があの人の吉兆だというのなら、早く側を離れないと、犠牲になる人がもっと増えてしまう」



 ウィレムが考えている間に、ヴァルナラムの軍勢はさらに一つ聖塔(ストゥーパ)(おとしい)れた。戦闘により多くの死傷者が出ている。それでも彼が出兵を止める様子はない。



「元々僕らは旅の最中なんだから。一所に長居してどうするのさ」

「ウィレムさまが許してくださるのなら、お供させてください」

「ワタシも構いませんよ。この城の血の臭いにも耐え兼ねていたところですし」



 アンナとオヨンコアはすぐに了承した。

 イージンは口を(つぐ)み、腕組みをしたままウィレムを見つめている。彼だけは未だに首を縦に振っていない。



「ここに居りゃ、タルタロスまでの道が開けるんじゃねえのか。お前の気分のために、危うい道を渡る必要があるのかよ」



 彼にとってはウィレムをタルタロスまで無事に送り届けることが勤めである。それは、ウィレム本人の気持ち以上に優先すべきことなのだろう。



「ここに居れば僕らの望みが叶うというのは、あくまでシャーキヤ聖仙(リシ)の言葉だろう。他人の言うことを鵜呑みにするなんて、イージンらしくもない」



 敢えて挑発めいた言葉を選んだ。イージンを説得することが最も難しいことは、ウィレムも良くわかっている。彼を納得させなければ、力尽くでウィレムの出発を妨害し、無憂城に縛り付けることも十分に考えられた。敵にはまわしたくない相手だからこそ、なんとしてでも説得する必要がある。



「慣れないことすんじゃねえよ。そんなんじゃ、おいらを納得しないぜ」



 イージンの口に薄ら笑いが浮かび、すぐに消えた。いつもの(あざけ)るような態度は鳴りを潜めている。



「おいらだって半信半疑なのは確かだ。だがな、他にここを出る方法に心当たりがあんのか。山の向こうのことを知ってる奴自体、ほとんどいないんだぜ」



 現行のやり方に不満があるならば、対案を出せというのが彼の言い分だった。何の糸口もなく、見ず知らずの地に飛び出すのは確かに無謀である。ウィレムが無憂城を離れられなかったのも、それが理由だった。だが、それも昨日までの話である。



「イージンはモハンムーラ殿の話を覚えているかい」

「ジョアンとかいう奴がこの地をつくったって話か。それがどうした」

「その前の話だよ。シカンデーラのことさ」



 その場にいなかったアンナとオヨンコアは二人の話に付いていけず、きょとんとしている。ウィレムは、モハンムーラの(いおり)で彼から聞かされた伝承を改めて話した。西方から侵入したシカンデーラと呼ばれる一派が、その地を蹂躙(じゅうりん)してまわったという話である。



「その話が本当なら、外からこの浮島に入り方法があるってことじゃないか」

「そんな迷信に頼るのかよ、阿呆らしい」

「君にとっては聖仙の予言も似たようなものだろう。どちらも信用ならないなら、少しでも気が楽な方を選ぶべきじゃないか。それともイージンは、ヴァルナラム様のやり方に賛同するっていうのかい」



 ウィレムの眼差しを受け止めて、イージンはしばらく黙って考え込んでいたが、「仕様がねえな」と呟くと普段の表情に戻った。



「そこまで言うなら、王宮を脱け出す方法は考えてあんだろうな」

「隙を見て、門から出れば良いじゃないかな。君、そういうの得意だろう」



 ウィレムの提案に、イージンは絶句して頭を振り、アンナはうつむいた。予想外の反応にウィレムが狼狽(うろた)えていると、オヨンコアがため息混じりに説明を始める。



「ご主人様の考えは恐らく上手くいかないと思います。ワタシたちの周りには常に二人以上の兵が張り付いていますから。今も扉の所に二人、窓の下に二人います」



 オヨンコアは鼻と頭巾の下に隠した三角の耳とを上下に動かした。

 見張りがついていることに全く気付いていなかったウィレムは、仲間たちの顔を見回した。皆一様に視線を合わせようとしない。見る間にウィレムの耳が真っ赤になった。



「皆、知ってたのかい?」

「お前って、本当におめでたい奴だな」



 この時ばかりは、イージンの嘲笑に反論する者は誰もいなかった。



「お遊びはここらにして、脱出方法を考えねえとな」

「あの、夜陰に紛れて脱け出すというのは如何でしょう」



 アンナの提案にすぐさまイージンが頭を振った。



「ここの兵士は夜だろうと気を抜かねえよ。ちょっと調べてみたが、交替も抜かりねえ。どいつもこいつもきっちりしてやがる」

「イージンは人に暗示を掛けられるんじゃなかったけ」

「ありゃ、下準備が必要なんだ。誰もがお前みたいに単純な訳でもないしな」



 ウィレムは再び顔を赤くし、背を丸めた。


 皆が黙り込むなか、オヨンコアがすくりと立ち上がり、耳を動かして辺りの様子をうかがうと、その場にいる者にだけ聞こえる声で(ささや)いた。



「道義を(かえり)みないのであれば、ワタシに考えがあります」



 彼女のつぶらな瞳が真っ直ぐにウィレムを見つめる。ウィレムが唾を一つ呑んでゆっくりうなずくと、オヨンコアの表情が安心したように少し緩んだ。



「人質を取りましょう」



 小さいが、はっきりとした声。ウィレムは目を見開いて彼女を見つめ返し、アンナは不安そうに瞳を(うる)ませる。イージンだけが表情を動かさなかった。



「軽蔑して下さって結構です。ですが、この方法なら、皆無事に脱出できます」



 そう言いながらも彼女の眉頭はハの字を描く。ウィレムは慌てて表情を直した。それでも、内心では彼女の対する不快と戸惑いを抑えることが出来なかった。



「それはおいらも考えたが、多分駄目だな。女中どもじゃ人質の価値はねえし、男連中は人質になるくらいなら、決死の覚悟で抵抗するだろうよ」



 一人冷静なイージンがオヨンコアの提案に対して問題点を指摘する。

 その時、ウィレムの頭に一人の人物が思い浮かんだ。人質としての価値があり、抵抗も少なそうな人物が、無憂城の王宮には一人だけいるのだ。



「なんだ。考えがあるんなら話せよ」



 ウィレムの様子を察して、イージンが発言を促す。だが、ウィレムは尻込みして言い出せない。何度か口を開けては、何も言い出せずに口を閉じた。



「今更、道義だなんだってのに固執してんのか。ここを出て行くってのはお前が言い出したことだろう。自分の手を汚す覚悟くらい、さっさと決めやがれ」



 イージンの言葉が重くのしかかる。オヨンコアは嫌われることを承知で提案を出した。自分も彼女の思いに対して誠実でありたいと思ったが、道理が邪魔をして、なかなか言葉が口を出ない。

 自分の目的を果たすため、他人の命を盾にしてそれを(あがな)うというのは卑怯である。外道の行いである。しかし、それで自分と仲間の安全が守られるのだ。アンナの安全と他人の命を比べれば、自分にとってどちらが大切なのかは火を見るより明らかだった。だが、それを天秤に掛けること自体が不届きなことに思える。



「人質の命までは奪わないで欲しい」

「約束は出来ねえ。まあ、頭の隅に留めておくさ」



 イージンの返事に小さくうなずく。



「一人、心当たりがあるんだ」



 ウィレムはゆっくりと話しはじめた。

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