表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
118/159

第117話 強者とは

「貴方も誰かのために強くなったのではないのですか」



 ラジャグプタの言葉は、悩み苦しむアンナの心の中央に真っ直ぐ突き刺さった。そして、その答が自分のなかに無いことを知ると、彼女は深くうなだれた。



「私は強くなろうと思ったことなんて、一度もありませんでした」



 言葉にすると、虚しさはより一層濃くなった。


 強さを求めたことがないというのは本心だった。彼女はただ強かったのだ。

 剣も弓も、馬乗りも、思う(まま)になんでも出来た。他の子どもが半年かかって覚える技も、一目見ればすぐに真似することが出来た。それどころか、手本を見せた者以上に、上手くやれることがほとんどだった。

 だからこそ、困難な技を巧みに繰り出す者を見ると心は踊り、容易に勝てない相手との競い合いには血が沸いた。ただ単純に、戦うことが楽しかった。



「私は初めから強かったのです。それが当たり前で、強くあろうなんて考えもしなかった。だから、ウィレムさまに付いていこうと決めた時も、自分の力があれば、大丈夫だと思ったのです」



 ラジャグプタは彼女の正面に腰を下ろしたまま、黙って話を聞いている。半分の顔から、彫刻のような微笑みが消えることはなかった。



「でも、私は甘かった。どれだけ力が強かろうと、技が()えようと、そんなもの強さでも何でもない。以前も言われました。『主の命が危ういというのに、敵の命を奪う覚悟も決められない』と。実際、楽しさにかまけて、ナルセス様を殺した途端、私は戦うことが出来なくなった。全て、指の間からすり抜けていった。そんな私が、ウィレムさまの隣に居る資格なんて、きっと無いんです」



 取り乱すアンナを(なぐさ)めることもなく、ラジャグプタは腕を組んで考え込んでいたが、ゆっくりと立ち上がり、中庭の端の方へ歩いて行った。戻ってきた彼の手には、一本の木剣が握られていた。



「貴方がそれほどお強いというなら、一つ私とお手合わせ願えませんか」



 思いも寄らない申し出にアンナは思わず頭を上げた。(まつげ)に溜まっていた雫が勢い良く飛び散って、乾いた土の上に水玉の模様を描く。



「駄目なんです。剣を握るとあの感触を思い出すんです。ナルセス様の身体が、命が、簡単に潰れて弾ける手触りが」

「これは真剣ではありませんし、私はそう簡単に死にはしませんよ」



 微笑みを崩さずにラジャグプタは木剣の柄を差し出す。アンナが何度断っても、彼が諦めることはなかった。


 結局アンナは剣を受け取った。

 握った剣を軽く振る。

 手のなかの木剣は武器というには余りに軽い。命のやり取りをする道具を模してはいても、それが偽りものだということは振った手応えで十分にわかった。



「準備は良いですね」



 両手をだらりと下げたラジャグプタが庭の反対から声を掛ける。ウィレムと戦った時と同じ、無形の構えをとっていた。

 困惑するアンナの意思を置き去りに、彼女の身体は勝手に構えた。

 左脚を引いて半身になり、剣を握った右腕を水月の高さに持ち上げる。

 肘は柔らかさを失わぬよう(かす)かに曲げ、膝に余裕を持たせつつ、腰を落とす。

 以前と変わらない自分の構え。寸分違わず、ぴたりと合う。

 心にわだかまりが残っていようと、身体は戦いを忘れていなかった。


 少しずつ二人の距離が詰まる。

 ラジャグプタは迷いなく剣を振るった。

 考えるよりも先にアンナの身体が一歩踏み込む。懐にもぐり込んだ。

 普通の相手ならば、懐に入れば相手の剣は届かない。だが、ラジャグプタの剣は真後ろから飛んでくる。

 気配を頼りにしゃがむと、頭上を剣が通り過ぎ、同時に相手の膝が迫り上がる。

 身体を横に倒して膝蹴りを(かわ)すと、無防備な右脇が目に入った。

 好機。

 腕を振ろうとして、一瞬身体が固まった。その隙に相手の剣が降ってくる。

 躱しきれず、剣で弾いた。ラジャグプタが驚いたように眉を上げる。


 一合、二合、打ち合いになった。

 受けては返すと次が来る。息も()かせぬ連撃。集中を切らせば、そこで終わる。

 考える暇がない。鈍い意識に反して、身体の自然に動いた。

 理性では追い付かない。感性と本能の(おもむ)くまま、戦いに身を委ねる。

 息が苦しい。胸が焼け焦げる。

 長く忘れていた感覚だった。

 (わずら)いを全て投げ出し、自分が一本の剣になったような爽快感。

 アンナは気付かない。自分の唇の間から白い歯がのぞいていることに。


 剣を振った。木と木がぶつかる乾いた音が短く響く。

 手首を返し相手の剣を弾き上げる。

 返す刀で反対の剣を打ち()えた。

 胴が空いた。そこに肩から飛び込む。

 体当たりに相手の上体がぐらつく。

 剣を握る右腕を前方へ放り出した。

 アンナの剣先が相手の胸に伸びる。

 そこで勝負は着いた。



「何故、剣を止めたのですか」



 アンナの剣はラジャグプタの胸の前で止まっていた。

 アンナの首と腹にラジャグプタの刃が当たっている。無論、思い切り打ち付けたわけではない。


 木剣を落とし、アンナがその場に座り込んだ。胸のなかに空気が足りず、赤黒い顔で荒い呼吸を繰り返す。



躊躇(ちゅうちょ)しましたね」



 ラジャグプタの声は変わらず柔らかいが、口調がどこか寒々しい。アンナは苦しそうに喘ぎながら彼を見上げた。



「貴方はナルセスという方の命を奪ったと嘆いていましたね。でもそれは、悩むほどのことではありませんよ。単に弱かっただけのことなのです」

「そっ、そんなことはありません。ナルセス様はとても強かった」



 アンナは息も絶え絶えに反論する。

 ナルセスは間違いなく強かった。アンナがそれまでに戦った相手のなかでただ一人、彼女と同等に渡り合った人物だった。だからこそ、それまで経験することが出来なかった境地へ至れたし、だからこそ、二人の決着は相手の命を奪うことでしか着かなかった。



「勘違いしないでください。私が弱いと言ったのは貴方のことです」



 ラジャグプタの言葉にアンナは耳を疑った。少なくとも、彼女は彼と互角に戦ってみせた。とどめを尻込みしなければ、結果は反対になっていたはずである。

 眉を寄せる彼女に動じることなく、ラジャグプタは淡々と話し続ける。


「強いとは、相手を自由に出来るということです。強者とはあらゆる相手の生殺与奪を握る者。殺したくないならば、そうすれば良かったのです。殺す覚悟など必要ありません。相手を殺すことしか選択できなかったということは、貴方が弱いということですよ」



 ラジャグプタは、やはり、微笑している。

 アンナは、生まれて初めて人の笑顔を恐ろしいと感じた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ