第114話 理想への猛進
強震は長く人々を地面に縛り付け、時を掛けて徐々に静まった。揺れが全く収まる頃には、空に宵闇が広がり始めていた。
崩れ去った聖塔の前にヴァルナラムは陣を張った。軍の主立った者が彼の幕下に集まった。男たちの発する熱で辺りは蒸し暑く、視界が霞み意識がぼやける。
ヴァルナラムは胡座を組んで座り込む。金剛杵による傷はアシュヴィン双神の加護をもってしても癒えきらないようで、彼の胸には幾重にも包帯が巻かれていた。彼の左右にはラジャグプタとダルマナンダが控える。ウィレムは幕の端に場所を得て、アンナたちと共に座っていた。
「バラモンたちは一所に集め、見張りを立ててあります。逆らう者は皆殺しにせよとのご命令でしたが、数人見せしめにしたところ、直ぐに静かになりました」
「やっとバラモンらしくなったわけだ。大いに結構」
満足気に笑うヴァルナラムだったが、傷に響いたのか顔を歪めた。
「流石の陛下でも、痛みには勝てませんか」
「胴に穴二つ拵えて、平気でいられるものかよ」
「命さえつながれば問題ないから思い切りやれ、との仰せでしたので」
ヴァルナラムの恨み言に対し、ラジャグプタは平然と応える。
「武人に二言はない。だが、もう少しは主人の身を思いやれんのか」
「陛下ならば大丈夫だと判断致しました。お強いですから」
一同がどっと笑う。笑いが傷に応えたのか、ヴァルナラムの笑みだけはどこか歪なものになった。
低く重なる盛大な笑い声をダルマナンダの咳払いが妨げた。
「馬鹿騒ぎはその辺にしておけ」
「なんだ爺、縁ある者が死んで、悲しくなったか」
その言葉にダルマナンダの目が細くなる。王と重臣の間に流れる不穏な空気を察し、将軍たちは静まりかえった。
鉛色の顔を硬直させて黙っていたダルマナンダだったが、短い鼻息を吐いた。
「縁あればこそ、憎しみが深まることもある。奴らの死には冷笑すら湧かん」
「その憎しみは晴れたかよ」
「それほど生易しいものではないわ。だが、負うていた荷が幾らか軽くはなった」
初めて老人の目尻が緩む。お前に気を遣われると気味が悪いと、憎まれ口が口を吐いた。対してヴァルナラムが白い歯を見せたので将軍たちも胸を撫で下ろす。
「それで、この先お前はどうするつもりなのだ」
「そうだな。皆にも話す頃合いか」
ヴァルナラムが手を打つと、全員の視線が彼に集まる。俯いていたウィレムも、思わず顔を上げた。
「いいか、良く聞け。この地の悪しき聖塔は砕けた。バラモンたちも林に帰るだろう。だが、まだ足りぬ。同じような聖塔は其処此処に溢れかえっているではないか。このようなものがある所為で、不届きなバラモン共が巷に跋扈するのだ。俺はこの地を在るべき姿に戻す。バラモンは静林に籠もり、武人は戦い、国を治め、庶民は地を耕し、隷属民がそれを支える。そうなれば、この地は理想の楽園に戻るだろう」
耳を傾けていた兵士たちは黙ったまま目を見開き、隣の者と顔を見合わせた。
誰かが叫んだ。
「無憂王、万歳」
その声が呼び水となり、あちこちで声が上がりはじめる。やがて、声は波となり、闇にたたずむ聖塔の残骸に打ち付けた。
「陛下のお言葉、石に刻ませてはどうでしょう。人が正しい在り方を忘れぬよう」
「それは良い。誰の目にも見えるよう、高い石柱の上に掲げるのだ。そうだな、俺の言葉とわかるよう、柱の頂に四方を見据える獅子を飾るのはどうだ」
それは守るべき法となるだろうと、ダルマナンダも気色が良い。
誰もが自らに課せられた役割を正しく全うし、それが矛盾なく織り合わさって、豊かな世をつくりあげる。それは理想の世界のように思えた。だが、その思いに反するように、ウィレムの胸の奥には掻き毟りたくなるような異物感が横たわっていた。