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第110話 決まり切った結末

 人垣が割れ、その間をヴァルナラムが悠々と進む。足取りは軽く、揚々として、それでいて隙がない。覇気にあふれるその姿は、男が王たる所以(ゆえん)をまざまざと見せつけていた。



「いい加減頃合いだろう。一対一で決着を着けようではないか」



 すると、敵陣の最前列に一人の男が現れる。人型の革袋に限界まで肉を詰め込んだような巨体は、内から湧き出す力によって、はち切れんばかりに膨らんでいる。尋常な鍛え方ではその身体はつくれない。



「私は迦陵伽(カリンガ)王カーラヴェーラ様の家臣、パドラセーナと申す者。そちらの提案を受けよう。こちらは私が出る。相手はどなたか」



「このヴァルナラム・バラタが自ら相手になる」



 不敵な笑みを浮かべ、ヴァルナラムが一歩前に出ると、敵兵の間にざわめきが起きた。



「本当に、御自身が戦うと(おお)せか」

「俺とて武人(クシャトリヤ)なれば、何の不思議もあるまい。それとも、俺が相手では不服か」



 パドラセーナの顔にも動揺が浮かぶ。一方、ヴァルナラムの兵士は声一つ出さず、不動を貫いていた。



「覚悟の上であれば、何も申しますまい。一手、お手合わせ願います」



 パドラセーナは身の丈ほどもある戦斧を構えた。



「このような茶番で何を覚悟する必要があるのだ」



 ヴァルナラムが腕を出すと、(そば)に控えていたラジャグプタが剣を手渡す。

 二人の男が各々得物を手に向かい合った。二人の周りを両軍の兵士が円を描いて囲み、即席の戦舞台を作り上げる。ウィレムたちはその輪の一番前に陣取った。


 先に仕掛けたのはパドラセーナだった。

 上段に構えた戦斧を駆け寄りざまに振り落とす。

 ヴァルナラムが退いて(かわ)すと、間髪を入れずに追撃の一薙(ひとな)ぎが飛ぶ。

 その一撃を、ヴァルナラムは余裕を持って避けたように見えた。しかし、戦斧は予想に反して伸び、彼を襲う。

 剣の腹で辛うじて受け止めると、相手の懐深くに踏み込む。

 驚くべき跳躍力だったが、パドラセーナは既に態勢を整えていた。

 巨体に似合わぬ器用な動きで、ヴァルナラムの斬撃を皮一枚のところで躱す。


 パドラセーナの額に汗が浮き、ヴァルナラムは笑った。戦いにおいて、強者だけが見せる悦楽の相。かつて、コンスタンティウムの闘技会で、アンナとナルセスの顔に浮かんだ狂喜の表情と同じものが、彼の顔にも表れている。

 強者同士の衝突に兵士たちは目を奪われ、ため息と声援が交差する。だが、ウィレムだけが違和感を抱いていた。

 ヴァルナラムの顔は確かに悦びを表していた。だが、何か物足りない。彼の感情が昂ぶる時、そこには必ず複数の表情が現れる。戦っている彼の表情は嬉々としていたが、無邪気さが足りないように思えた。目の前の笑みは、純度の低い、混じり気のある愉悦のように見えた。



「陛下のお顔が気に掛かりますか」



 耳元で突然囁かれ、ウィレムは思わず跳び退(すさ)った。声の主は半顔に優しい微笑を浮かべる。



「あのお方にとって、この戦いは所詮、(たわむ)れ事のなのですよ」



 少し困ったように笑う彼の顔が、ウィレムにはどこか恐ろしく見えていた。顔の左半分を覆う前髪の下で、真っ暗な(うろ)がこちらを見つめているかと思うと、寒気がするのだ。

 目を合わせようとしないウィレムに苦笑しつつ、ラジャグプタは話を続けた。



「ここでのやり取りは全て慣わしに則った筋書き通りの作り物のなのです」

「あの戦いが、ですか」



 ラジャグプタは軽くうなずいた。



「戦場の活力(テージャス)が続く限り、敵も味方も互いに神の力をお借り出来るのです。攻めるも守るも同様の力なら、勝負が着かないのは必定。ならば、戦うこと自体無意味です。そうやって、この地では戦争が単なる儀式に堕してしまったのですよ」



 ウィレムはヴァルナラムに渡された矢のことを思い出す。戦争が形式をなぞるだけのものになるならば、身体を鍛え、技を磨き、武器を調える必要もなくなるということだ。


 ラジャグプタが指差す先でヴァルナラムの腕に切り傷が出来た。だが、斬りつけたパドラセーナは間合いよりも二歩以上外にいる。彼の戦斧がヴァルナラムに届くはずがなかった。



「あれはルドラ神の加護でしょうね」



 次に彼はパドラセーナを指差した。

 それまでの戦いでヴァルナラムに何度も傷を負わされていたが、その傷は既に消えている。



「あれはアシュヴィン双神の加護を受けているのです」



 彼の説明の通り、なるほど、神の力があれば、人間同士の戦いは意味を失う。



「何故、陛下は自ら一騎打ちを買って出たのでしょう。結果は決まっているのに」



 ウィレムの問に、ラジャグプタは失笑した。鼻の根元に小さな皺が寄る。



「それは、陛下が根からの武人だからですよ。例え(まが)い物だとしても、剣を握れば血が沸き立ってしまうのでしょうね。だから、今も御自身の武だけを頼りに戦っているのです。陛下は神の力をお借りしてはいません」



 そろそろ決着だとラジャグプタに促され、ウィレムが戦場に視線を戻すと、二人の戦士は武器を構えて相対し、にらみ合ったまま動かなくなっていた。



「随分頑張っていたが、そろそろ活力切れだろう。自由がきかなくなってきたんじゃないか。デカ過ぎる身体が(たた)ったな」



 致命傷こそないものの、全身に傷を負うヴァルナラムは、未だ口元の笑みを消していない。一方のパドラセーナは無傷ではあるが全身から汗を流し、肩を上下させて荒い息を吐いている。



「何故、神の力を使わない。私を馬鹿にしているのですか」

「それこそ、俺の好みの問題だ。お陰でお前はたっぷりと活力を使えただろう」



 にんまりと歯を見せる。それを合図にパドラセーナが戦斧を振った。

 走る刃にそれまでの勢いはなかった。

 雄叫びを上げたヴァルナラムが勢い良く腕を振り下ろし、戦斧を叩き落とす。



「鍛え方は上々。だが、自らの外に力を求めたのが、お前の敗因よ」



 見下ろすヴァルナラム、見上げるパドラセーナ。決着は誰の目にも明らかだったが、彼は剣を収めようとはしなかった。

 ヴァルナラムが剣を振り上げると、王の勝利に沸いていた兵士も声を失う。

 決着は着いた。この戦い自体、約束事ではなかったのか。ウィレムは身を乗り出して止めに入ろうとしたが、ラジャグプタが彼を制した。

 張りつめた糸が切れるように、ヴァルナラムの剣が落ちる。

 その時、白い光が辺り一面を照らした。



「若き王よ。この戦い、私めがお預かり致します。剣をお収め下さい」



 光が退潮すると、ヴァルナラムとパドラセーナの間に小柄な老人が立っていた。

 禿頭(しゅうとう)を掻く色白の(おきな)を見て、ヴァルナラムは不満気に剣を納める。

 事態が穏便に収まったことを理解し、ウィレムは深いため息を一つ吐いた。

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