第103話 クシャトリヤの王宮
「本当にこんなもんで王宮に入れんのかねえ」
ウィレムから掠め取った耳飾りを二本指で摘み上げ、イージンは疑り深げにのぞき込んだ。ウィレムは慌てて耳飾りを取り返し、丁寧に懐に仕舞い込む。
「大事なものなのだから、あまり雑に扱わないでくれよ」
へいへいと生返事をするイージンを、ウィレムは恨めしそうに睨みつけた。
ウィレムたちは連れ立って無憂城中央の王宮へ向かっている。覆面の男から受けた王宮への招待に彼らは預かることにしたのだ。イージンは勘繰り癖を発揮して最後まで反対したが、他に方法があるのかと尋ねると、渋々受け入れた。
「その方は何者なのでしょう。王宮に出入りするとなると、高貴な方ではあるのでしょうが」
オヨンコアの疑問にウィレムもうなずく。彼女と同じことを考えていた。事件の後、店の主人にも男の正体を尋ねてみたが、教えてはもらえなかった。知らないというよりも、口にするのを憚るような態度だったので、曰く付きの人物であることは間違いなさそうである。
「実は、王様だったりして」
「アホか。王さんが護衛も連れずに出歩くかよ」
「わかっているよ。ちょっとした冗談だろ」
二人がそんな他愛ないやり取りをしていると、王宮の正門が見えてきた。
守衛の一人に事情を話し、耳飾りを見せる。守衛は耳飾りを受け取ると、王宮内に消えた。ウィレムたちは門の前に取り残され、彼の帰りを待った。
「急に兵士が出てきて、『引っ捕らえろ』なんてことにならんよな」
「なんでそんな話になるんだい。証拠の耳飾りも渡したのに」
「それよ。そいつが盗品で、盗人が戻ってきたぞ、となるかもしれんぜ」
地面にしゃがみ込み汗を拭いながら、イージンが塀の内側に目をやった。彼の言葉に不安を感じ、ウィレムもなかをのぞいたが特段変わった様子はない。目に止まったのは、前庭の端で剣を振るう青年くらいのものだった。真っ直ぐで一切動きに無駄がない。アンナも彼の剣技に目を奪われていた。
しばらくすると、守衛が別の男を連れて戻ってきた。その男がウィレム立ちを王宮に招き入れる。別れ際、イージンが守衛と親しげに話していたのが気に掛かり、遅れて追い付いた彼を問い詰めた。
「いや、労をねぎらってやっただけだぜ。渡すもん渡してな」
含みのある彼の言葉にウィレムは眉を寄せたが、すぐにその意味に気が付く。
「賄賂を渡したっていうのかい」
「バカ、人聞きの悪いことを言うな。これは心付けって言うんだよ」
「結局、やっていることは一緒だろう」
「あのなあ、今日、伝手をつくれたとして、王さんに会えるまで、あと何回ここに来るか知れねえんだぞ。その度、門前で長時間待たされてえのか。世の中ってのはな、誠心誠意だけじゃ立ち行かねえこともあるんだよ」
彼の言い分もわかるが、釈然としない思いを抱え、ウィレムは首を傾げる。上手く丸め込まれたようにも思えた。何を思ったのか、オヨンコアが小さく笑った。
王宮では一度控えの間で待たされ、すぐに別の部屋に連れて行かれた。城内の他の建物と同じように、王宮も黄色い砂岩で造られていた。壁が光を反射して眩しく輝き、床に敷かれた織物には金糸によって細緻な模様が施されている。
逞しい兵が至る所に配され、皆、鍛え上げた屈強な体躯を直立させたまま微動だにしない。分厚い胸を誇らしげに張り、腕も腿も太い。頬肉の削げた精悍な顔立ちに、瞳は生気に満ちている。戦うためにつくりあげられた肉体がそこにあった。
敵意や害意がなくとも、そこにいるだけで人を威圧する肉体を目の当たりにし、ウィレムの心は俄に張りつめる。街や村の穏和な雰囲気とは異なるものが、その王宮には満ちていた。
通された広間は奥が幕で仕切られており、そのなかで男が待っているということだった。薄布をくぐり、なかに入る直前、案内役の男がくれぐれも失礼がないよう念を押した。
幕を開けると嗅ぎ慣れない香りが一面に漂う。乾いた酸味と気怠い甘味が鼻を刺した。濃厚な匂いにウィレムは顔を曇らせ、オヨンコアは額を押さえてよろめいた。
「上等な伽羅を焚かせたんだが、気に入らなかったようだな」
声の主は部屋の一段高い場所に座し、頬杖を突いた姿勢でウィレムたちを迎えた。頭上に宝冠を頂き、首には二重三重の装飾を垂らす。その格好だけで、男が身分の高い人物だと窺い知れる。
促されて絨毯に腰を下ろすと、男を見上げる格好になった。下から見る男の姿は威厳に満ちている。胡座を組み、背を丸めた姿は普通なら締まりなく映るものだが、目の前の男から感じるのは悠然たる強者の余裕だった。
「思ったより遅かったな。その日のうちに訪ねてくると思っていたぞ」
「お招き、誠にありがとうございます。ただ、何故お招き頂けたのか見当がつかず、戸惑っておりました」
相手の立場や距離感がわからず、一先ず謙った態度を取る。男は整った口髭を指で撫でながら、ウィレムの口上を聞いていた。
「俺がお前を気に入った。それが理由では駄目か」
「滅相もございません。光栄の至りです」
そこまで話し、まだ名乗っていないことを思いだしたウィレムは、慌てて自分たちの素性を告げた。
「そうか、お前は旅の者であったか。道理でバラモンを恐れぬわけだ」
男は膝を打って豪快に笑った。身形は豪奢だが、仕草は砕けており、男の正体はますますわからない。「付かぬ事をお伺いしますが」と、遠慮がちに尋ねると、男はさらに大口を開けて笑った。
「知らずに来たのか。真に怖い物知らずだな。イノシシのような奴め」
恐縮する態度を示しながらも、内心はそこまで笑うことかと癪に障った。仲間たちの前で笑いものにされて、気分が良いはずがない。
男はひとしきり声を上げたあと、おもむろに腰を上げて段を降り、ウィレムの前に立った。
「俺も名乗っていなかったな。我こそは無憂城の主、大王ヴァルナラム・バラタである」
あまりのことで、彼の言葉を呑み込むまでにわずかな時を要した。それでも驚きを隠せなかったウィレムは、思わず、
「本当ですか」
と口走る。
「嘘など吐くか。お前に渡した耳飾り、獅子の模様が刻まれていただろう。あれこそ王者の証よ」
確かに耳飾りの紅玉には獅子の面が刻まれていた。繊細にして力強い彫りの技術に、ウィレムは心底感心したのだ。
「獅子の意匠は王にしか許されていない。俺が話を通していなければ、お前らは今頃牢獄行きだったのだぞ」
そう言って再び呵々と大笑するヴァルナラムに、ウィレムは苦笑で応えた。驚きと戸惑いで頬の肉が引き攣っていた。