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乾坤一擲  作者: 響 恭也
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西国平定と琉球征伐

 天正10年2月。

 九州の仕置きと国割りが行われた。

 薩摩を島津宗家忠恒に、大隅を島津家久、日向一郡を島津豊久へそれぞれ与えられた。薩摩には農地改革のため秀隆の配下が送り込まれる。

 豊後は大友家が、肥前は竜造寺家がそれぞれ安堵される。筑前は立花家に与えられ、独立した大名として認められた。高橋家も同様の処置をしようとしたが、岩屋城を安堵でよいとの申し出があり、そのまま半独立で立花の配下という形で落ち着いた。

 築後柳川には明智光秀が入り九州全体の統括を行うこととなった。肥後の北半分も明智家の所領となり、丹波一国は明智光慶の所領とされた。肥後南部は阿蘇氏に安堵となっている。

 日向には津田信行の嫡子、信澄が入ることとなった。信澄は光秀の娘を娶っており、その関係での人事ではあるが、連枝衆の中でも優秀な人材で、父信行の補佐を受けつつ国主として抜擢を受けた。

 豊前小倉には細川藤孝が転封とされた。これにより、九州は明智家が事実上西国探題家として統括することとなる。

 事実上は九州南端の島津を抑えるためだけの陣容である。二州あまりの島津を押さえるに九州残り全土を動員するかのような陣容で、いかに島津が恐れられているかがよくわかる内容だった。


 3月。島津家久は豊久とともに八十の軍船を仕立てまず琉球国へ降伏を迫る。尚寧王はこれを拒絶したため、戦闘状態となる。まずは奄美大島が落ちた。島津の軍事力にはかなわぬとの判断で無血開城に至った。

 そのまま各島を制圧しつつ南下し、本島に迫る。島津の手勢は3000あまり、琉球側は4000以上と言われる。

 一度は和睦が成立しかけたが決裂し、港を鉄鎖で封鎖されたことから戦闘行為と判断し、上陸を敢行した。戦国期最強をうたわれる軍と、せいぜい領内の警備しかしていないような兵では実戦経験の数からしても勝負にならない。鉄砲隊の前に琉球の兵は蹴散らされ、首里城に立てこもった。

 5月には籠城するも持ちこたえられず、尚寧王は降伏した。鹿児島経由で安土へ移送されることが決まったが、虜囚ではなく、降将扱いであった。だが事実上琉球王国は滅亡し、琉球国として日ノ本の版図に組み込まれ、島津家の所領として認められる。


「秀隆様!?」

「おお、家久殿。早速の琉球平定、誠に見事である」

「というかどっから来たんですか!?」

「龍伯殿と一緒にな」

 隠居してから義久は龍伯の号を名乗っていた。義弘は維新斎を名乗っている。

「この草というか、竹っぽく見えるものだが…」

 秀隆は短刀を取り出すとスパッと切り離し、その先端をかじって見せる。

 秀隆に倣って彼らも茎をかじると…

「甘い!?」

「これはな、サトウキビという。やりようによっては薩摩でも栽培できるかもな」

「なんと!」

「この茎を絞って汁を採り、それを煮詰めると砂糖になるのじゃ。ほか、本土では取れぬ果実などもあるの。だが生の果物はすぐに傷む故、砂糖漬けにするのじゃ」

「さすれば痛まぬので?」

「そういうものじゃ。これはな、船で運べば堺や京でバカ売れするぞ」

「おおお!」

「これで資金を稼いで台湾を獲るのじゃ。明の領土ではあるが化外の地とされておっての」

「なるほど」

「米を作れるぞ。ほかにも産物の多い地でもある」

「米!」

「うむ、苦労に見合う成果となると思うぞ」

「励みます故、なにとぞ!」

「うん、よろしく頼む」

 龍伯が琉球にとどまり、現地の統治に当たることとなった。政治の経験が最も深く、もともと琉球国との外交も行っていたので、適任と思われた。あとは台湾への進出の準備を整えてもらうくらいだが、これは長い目で見ている。現地の情報を集め、そのうえで現地住民との軋轢を起こすことなく支配するよう申し付けていた。

 これで西国の平定は完了し、秀隆は船を仕立て、堺経由で安土に向かうのだった。

さらっと説明回

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