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有人島物語  作者: 髙田田
有人島物語~秋冬の終章~
20/23

第七話 お別れの桜


 梅の季節が過ぎて、桜の季節になる頃。

 満開に咲き誇る薄桃色の花はソメイヨシノ。自らを複写する力を持たないため、接ぎ木で増えた桜達。

 だから、新天地には梅はあっても桜は存在しないだろう。日本人が見慣れたこの桜は無いのだろう。

 桜の花もこれが見納めかと思うと、その美しさに物悲しさを感じた。

 そんな美しくも儚い桜の木の下で、未だに廃人眼鏡は苦しんでいた。

 一年間の引き篭もり生活と失踪は、秋から春までのバイト生活程度じゃ家族の不信感を拭い切れなかった。

 親戚の勧めで紹介された工場の勤め先を断って、さらに家族の不評を買ってしまった。

 もう、宇宙人さんの話はしていないそうだ。

 口にすればするほどに、自分の居場所が家族の中で無くなって行くのを感じたそうだ。

 それが……普通なんだよな。

 話が通じるのは元島民同士だけだ。

 そして、誰も彼もが未だに苦しんでいた。

 一年の不在は、ただでさえ少なかった自分の居場所を更に狭くしていた。

 損なわれた信用は、中々戻ることが無かった。

 宇宙人さんは、その存在を信じさせることの協力だけは頑なに断った。

 人道派の派閥との話し合いの結果なのだろう。

 巨大隕石の落下を信じさせるための証拠の提出だけは頑なに断ったのだ。

 挙式を手伝ってくれたのは俺への恩義と、すでに黒崎のお義父さん達が確信していたからだった。

 シロ様が入院していた病院からは末期癌であったことを示すカルテが消失していた。

 さすがに記憶の改竄まではされなかったが、これで、なんの証拠にもならなくなった。

 人類の歩む道を曲げない。人類の歩む道の自由を尊重する。だからこその人道派。

 べつに気付かれずに助けてくれても良いとは思うんだけどね?

 だけど、宇宙人さんにとって、それは許されない行為なのだそうだ。

 人類を立派な大人として認めているから、助けないんだそうだ。

 なら、仕方が無い。宇宙人さんは人類の保護者じゃないんだからな……。


 廃人眼鏡は現在進行形で苦しんでいる。

 だけど、沙織ちゃんが居るからまだ救われている方だった。

 島民の中に恋人が居る。なら、新天地にも一緒に向かうことが出来る。孤独じゃない。

 それでも、家族にちゃんとした別れを告げることも出来ず、ある日フラリと姿を消すことになる自分に苦しんでいた。

 移民してしまえば、もう、会えなくなるんだ。会えないだけじゃない、言葉を交わすことも出来ない。もちろん、心も交わせない。

 それから十億円。あまりにも巨額な金銭は、逆に居場所を作ってしまった。

 あまり居心地の良い場所ではないだろうけど、居場所は居場所だ。

 沙織ちゃんはあまり顔よく家族に受け入れられず、困窮した末に十億円と言う大金を手にして逆に困惑していた。

 その大金を抱えた沙織ちゃんを家族は諸手を挙げて歓迎してくれたそうだ。

 そして、廃人眼鏡に泣きついた。……そりゃそうだ。

 別に、沙織ちゃんの家族が意地汚いわけじゃない。

 不要なものが必要なものに変わったから、見え方が変わっただけだ。その扱いが変わっただけだ。

 …………島に、毒されすぎたかな?

 人間まで有益無益で見ちゃ駄目だろ?

 どんなものでも有益になるように考えることが村長の務めだっただろ?

 俺よ、ちょっと日本島に染まりすぎだぞ?


「正直、苦しいッス」

 珍しく、廃人眼鏡が弱音を吐いた。

 悩み苦しんでいるのが丸見えなのに弱音を口にしてくれなかったから、俺も何も言えなかった。

 他の元島民達もだ。……カリスマ、不足、なのかな?

「じゃあ、沙織ちゃんを俺にあずけて地球に残るか?」

「……悪い冗談ッスよ?」

「冗談は、言ってない……」

 廃人眼鏡は一瞬怒って、それから、意気消沈した。

「泣き言、言ってる場合じゃ無かったッスね」

「そうだな」

 巻き込んだ俺が言うのもなんだけど、色々な人の色々なものを俺と廃人眼鏡は背負いすぎた。

 俺は自重だけで膝が限界だと言うのに、俺達の都合など関係無しにどんどんと詰め込まれた。

 ある意味では、学問を、日本を、世界を、人類を、背負わされた。

 俺はアトラスか? ヘラクレスか?

 このメタボリスに何を期待してるんだか。

「誰が、何を、眼鏡に期待したからって、決めるのは自分自身、だろ?」

「……そうッスね。そうだったッスね」

「でも、期待されたからには応えたくもなるよな……」

「……ッスね」

 シロ様が桜の花を愛でていた。

 薄桃色がとてもよく似合う。シロ様は残念なことに花の女子高生にはなれなかった。

 花の女子高生よりも、母親になることを選んだからだ。

 黒崎のお義父さんが小さな段差を前にしてオロオロしている姿が愛らしい。

 黒崎のお義母さんがそんな姿を見て、ウチの母さんと一緒に笑っていた。

 流石に妊婦に俺の手を引かせられないし、俺が妊婦の手を引くわけにも行かない。

 だから痩せたいと申し出たのに、何故か二人から揃って愛が足りないと懲罰を喰らった。理不尽な話だ。

 ウチの父さんは翔子の周りをオロオロしていたが、むしろ危ないからとウチの母さんに排除された。

 桜の花を愛でる翔子を体育座りで眺めて心配している。……哀れな。

 花を眺めろ花を。今日は、せっかくのお花見なんだから。

 花より翔子という具合に、そのお腹はお団子のように膨らんでいるけどね。


 そう言えば、宇宙人さんの話で一つ笑い話があった。

 なぜ、宇宙人さんがなぜ日本人を選んだのか、という理由。

 それは、実態としてほぼ無宗教だったからだそうだ。

 信仰を持つ人々はそれぞれの『神』に自らを委ね、保護を求めている。

 だから、その自由意思を尊重して信仰を持つ人々は対象外になったそうだ。

 巨大隕石からは自分達の信じる『神』に救って貰えと言う話だ。

 今生か来世かは解らないが、自分達の信じる何者かに救って貰えと言う話だった。

 ……宇宙人産は、彼等の信仰を惑わさないように、気を使ったらしい。

 自分達の存在が、人類の歴史を捻じ曲げるほどに巨大であることを自覚していた。

 自分達の存在が、人類の歴史に混乱をもたらすものであることを自覚していた。

 俺のメタボリックな太い指先がプルタブを上手に開けられなかった程度ではない。

 宇宙人さんの存在は大きすぎて、その姿を現せば、人類は歴史を大きく曲げざるを得ないのだ。

 すぐに忘却してしまう、文字すら出来損ないの古代ならばまだ良かった。

 だが、現代社会は記録するし、記憶する。

 だからこそ迂闊な干渉は許されなかった。

 もしかして、別の星から地球に人類を運んだりした? と、俺は尋ねた。

 その問いかけに宇宙人さんは黙秘権を行使なされた。

 ……笑い話だ。信仰を持つ人々には洒落にならない笑い話だった。


 ◆  ◆


 片岡君が、ウチに来た。

 とてもとても面倒くさそうな顔をしてやって来た。

 丁度、シロ様と翔子もウチに居た。夫婦なんだ、さらに妊婦なんだ、一緒に居るのは当然だった。

 翔子が黒崎邸に対して少々苦手意識があったため、ウチに二人の妻が同居している。

 俺も少々どころではなく黒崎のお義父さんに苦手意識があったため、ウチで助かった。

 嫁入りされたが、婿入りした訳じゃないからな。当然こうなる。何世帯住宅になるんだろう?

 二人が俺の妻として片岡君を暖かい笑顔で迎え入れてくれた。

 そして、俺の部屋に入るなり、俺に向かって片岡君が言った。

「超勝ち組じゃん!? むしろ犯罪じゃん!?」

 バレたか。

 でも、実際はもっと勝ち組、人類の生存組なんだぜ?

「十年間は内緒だぞ? 俺は今、アイツらをシカトして虐めてる所なんだからな?」

「あぁ~、色々と手紙預かって来たけど、必要無かったんだな」

 片岡君が持ってきた手紙には、色々な形の謝罪文が詰まっていた。

 流石は会社人。皆、始末書の書き方も慣れてらっしゃるようだ。

 片っ端から受け取り拒否の返送を続けた結果、わざわざ片岡君が休日を潰して配達に来たのだった。

 中には、口聞きするから自分の会社に勤めに来ないか? なんて手紙もあった。この中卒メタボに無茶を言うね。

 残念ながら先約があるからお断り。

 宇宙人さんのところで生存するお仕事が待っているんだ。

「あの子達、十代だよな? ……さらに二人ってどういうこと? 何をどうしたらそうなるんだ? 宗教か?」

 十年間引き篭もって、メタボって、宇宙人さんに攫われたらこうなりました。

 いや~、皆さんのお陰ですよ。感謝感謝、大感謝です。

「企業秘密だな。ちなみに片一方の嫁さんの実家は大金持ちだからな、お金の心配も無いんだわ」

「…………今から俺もシカトして良いか?」

「まぁまぁ、人の幸福を妬むなんてカッコ悪いぜ?」

「妬むに決まってるだろっ!!」

 この十年で、片岡君も丸みを帯びたらしい。

 髪の毛からトゲトゲが消えたせいだろうか?

「うっわ~、緊張してた俺、バッカみてぇだ。報われね~」

「うん、そんな報われない片岡君に報われる仕事を頼みたい」

「なに? どんな仕事よ?」

「それは、俺が受け取りを拒否したって返事をする仕事だ。皆の悶え苦しむ顔が見られるぞ?」

「俺はサディストか何かか?」

 え? 違ったの?

 常に全方位に向けて威圧してたじゃん?

「それと俺、今年の秋からは海外に行って連絡取れなくなるから。もしも新しい手紙を託されたら適当に処分を頼むわ」

「うっわ~、俺、本気で報われね~」

 海外、星の海の果てに行くから、よろしく。

 片岡君がずるずると地べたに倒れ伏した。

 地べたといっても俺の部屋の畳の上だ。島民達ほどフリーダムではなかった。

「俺が十年苦しんだのは事実、だからな? この身体を見れば解るだろ? 殴られた分は、殴り返さないと……カッコ悪いじゃん? アイツ等も俺にシカトされて十年は苦しんで貰わないとな~」

「それは解るけど~、俺、報われね~」

「まぁ、大丈夫だよ。片岡君なら大丈夫。あのトゲトゲしてた片岡君なら大丈夫だ」

「髪型の話はやめろよぉ~。毎日毎日、四時起きでセットしてたけど、今にしてみたら恥ずかしくて仕方ないんだぜ?」

 五時起きじゃなくて、四時起きっ!?

 気合、入りすぎじゃね!?

「……四時起きって、夜は何時に寝てたのよ?」

「あの頃は、夜の~八時から九時には寝てたな~」

 めっちゃ健康優良児じゃん。

 ちょい悪不良の片岡君は、早寝早起きのとても良い子でした。

「朝から三時間かけて髪の毛のセットか~、気合入ってんな~」

「や~め~ろ~よ~」

「男は、気合だからな? 舐められちゃ、いけねぇからなぁ~?」

「や~~~~め~~~~て~~~~~」

 片岡君は、夢の中の片岡君よりも片岡君だった。

 十年は、内緒。男と男の約束を交わした。

 十年後、バラした片岡君が酷い目に逢いそうだけど片岡君なら大丈夫だ。

 なにせ気合が違うからな。

 今では片岡君も立派な大人。社会人。

 黒崎さん家の会社の子会社で立派に働いていた。

 …………凄く気まずい。どうか、バレませんように。

 黒崎のお義父さんに便宜を計ってもらうのも、それはそれで何かが違う気がした。

 そんな片岡君にはお嫁さんも居て、順調に行けば年内に子供も産まれるらしい。

 その幸せそうな笑顔を見ると、俺の心臓はズキリズキリと痛みを伝えた。

 皆の幸せな時間を邪魔しないように、許してあげても良いのかもしれない。

 でも、ケジメはケジメだ。返すべきものは突き返す。

 ……そうでなければ翔子の隣に立つ資格が無い。皆を切り捨てて、俺は、翔子を選ぶよ。

 それに十年後には罪悪感から開放されるんだ。それだけでも十分な温情だろう。

 人一人の人生を踏みにじった、事実は事実として残るんだ。

 俺が勝手に立ち直っても、事実は事実として残るんだ。

 俺が十年間、悩み苦しみ続けた事実がこの部屋には残っている。

 その事実を見て、皆がどう捉え、どう判断するかは、その自由意志に任せるよ。

 事実と向かい合って苦しむのも、目を背けて逃げるのも、その自由意志に任せるよ。


 片岡君が帰る間際、全ての手紙をゴミ箱に投げ捨てた。

「それ、酷くない? みんなが頑張って書いた手紙だぞ?」

「いや、目の前でゴミ箱に捨てられたって、これで片岡君が言えるでしょ?」

「……松木、なんで虐められたのよ? どうやったら松木を虐められるんだよ?」

 うん、さっぱりだ。なんで虐められたんだろ?

 シカトされたなら耳の一つも引っ張って話しかければそれで済んだのにな。

 虐めに加担しなかった片岡君は、そもそも虐めの原因を知らなかった。

 みんなも憶えているか怪しいところだ。

 気が付けばいつのまにかシカトしてた。なんて周囲の空気に流された奴も多いだろう。

 皆は空気を読める人達だ。良い空気にも悪い空気にも乗ってしまう人達だ。

 日本人の良い所で、悪い所だな。自分の意志を貫きにくい。

 日本語にも初志貫徹とか一気通貫ってカッコいい言葉が一杯あるのにねぇ。

「…………ホントはさ、松木がイジメられてた時、助けようと、俺、思ったんだ」

「そうなの? 意外だな」

「でも、相手はクラスの大半だろ? 数の暴力って怖いよな……」

 多勢に無勢は、怖いよな。

 順当に考えれば犬死にが待ってるだけだ。

 気合の違う片岡君にも怖いものはあったんだな……。

「だから今日は謝ろうかなって思ったけど……謝る気がしねぇ。全くしねぇ!!」

「うん、解る。解るよ片岡君!! その気持ちよく解る!!」

「うわっ!! こいつ、ムカつくわ!! 絶対にあやまんねぇ!!」

 うん、謝られても困る。

 俺は幸せにやってるし、これからも幸せにやってくからさ。

 …………むしろ、謝らなきゃいけないのは俺の方なんだしな。

「じゃあ、海外に行っても元気でな。もしくはメタボこじらせろ」

「うん、片岡君も元気でね。もしくは奥さんと頑張りすぎちゃえ」

 片岡君が家を出て行く時には、俺の二人の若妻が御来訪に対して丁寧に感謝の気持ちを伝えてくれた。

 ものすご~く微妙な顔をして、片岡君は帰っていった。

 なんだか遠いところで「やってらんね~」と言う声が聞こえた気がした。

 うん、解る。とっても解る。でも、奥さんを大事にね?


 ◆  ◆


 シロ様はお嬢様なのでウチでの暮らしに困るのではないかと思ったが、元は島民。

 島民基準で言えばウチの家はエンパイアステートビルだ。

 何せ、二階がある。高層住宅だ。

 翔子は翔子で1Kの豪邸からホームレス、そして島民、やはりウチでも困らなかった。

 ウチの父さんは黒崎の家と比べて恐縮していたが、誰も困ってなかった。

 島民基準では火と水と電気があれば、もう超科学文明の住環境だ。

 なにしろ雨漏りしないんだぞ?

 これだけの設備を整えたのに、それでも困った人間は二人だけだった。


「たまに、娘の顔を見に来るくらい良いだろう? 鷹斗くんは、そんなに狭量なのか? 娘を託す父親としてそれは心配だな……」

 黒崎家の『たまに』は毎日を意味するものらしい。三日に一度じゃなかったんだな。

 黒崎のお義母さんは翔子にも優しい。そこには歩んできた人生への同情的なものも含まれるのだろうが、人が人に優しくする理由自身はそんなに大事なことでもないだろう。

 ただ、ウチの母さんも息子の嫁、つまり自分の娘として優しくし始めると話がややこしくなる。

 翔子には父親が居ないし、母親はもっと居なかった。

 まだ若いうちに交通事故で亡くなっていた。

 それが、翔子の父さんが道を踏み外した原因なのかもしれないし、そうではないのかもしれない。

 子供の翔子の記憶では、幼い頃にある日から突然、母親の姿が消えたことしか憶えがなかったのだ。

 その話を聞くにつけて母性本能をくすぐられた二人の母親が翔子を抱きしめた。雰囲気なのだろう、あの翔子が二人の母の間で子供のように涙を流して泣いていた。

 ……実際にまだ、子供だっけ。

 なのに、お腹の中に重たいものを背負わせちゃったな……。

 そうして二人の母が翔子を慰めていると、母親同士の母性愛合戦が始まるんだ。

 実の娘をほったらかしにして。

 まぁ、代わりに黒崎のお義父さんがシロ様に付きまとうのだが、なんだか最近になって反抗期に入ったのか「お父さん邪魔、あっち行ってて」という素敵な台詞がシロ様の口から飛び出してショックを受けていた。

 ウチの父さんが「娘には、そういう時期があるんだよ」と、慰めていたが、お前に娘を育てた経験は無いはずだ。

 シロ様はシロ様で、フリーになっている俺に身体を預けて、私はちゃんと幸せですよと黒崎のお義父さんにアピールしてくださる。幸せにしても不幸にしても後が怖いので、幸せにしておこう。

 ……考えてみると、困った人間しか居なかった。


 いずれきたる別れを前に、皆が揃って目を逸らしていた。

 ありがたいことに膨れ上がったお腹という目を逸らす先があった。

 大人だからって、何でもかんでも直視して悲観的になる必要は無いんだな。

 目を背けたり、妥協したり、考えるのを止めたり、大人は大人、神様でも仏様でもない。

 心が耐えられる限界は、大人にだってあるんだ。

 ただ、上手に限界水域に達しないようコントロールしているだけなんだ。

 だから、その怒りの限界水域を上手にコントロールしてください、黒崎のお義父さん。ちょっと零れてます。

 下流に流れてくるそのオーラが怖いです。

 でも、そのお怒りはついに限界水域を突破して、俺は壁際に追い詰められました。

「翔子さんのお母さん……実のお母さんの話なんだけどね? まだ、生きているんだよ」

 黒崎のお義父さんが、俺を壁ドンしながら伝えてきた爆弾発言だ。

 やめて? 惚れちゃうから。下半身が濡れちゃうから。恐怖で。

「若かったんだろうね? 結婚の、理想と現実の違いから失望してしまい、他の男性と恋をして駆け落ちに走ったそうだ。もちろん、こんな綺麗な言い方が出来る話じゃないんだけどね……ただ、こうでも言わなければ私の憤りが収まらないんだ。すまないね」

 頑張れ、悲鳴をあげるウチの壁さん。

 黒崎のお義父さんの握力は胡桃の殻を割る程度だ。

「黒崎のお義母さんは?」

「伝えてないさ。翔子さんのプライベートな情報だ。宇宙人の話の裏づけを取る際に、零れ出た話の一つだよ。……娘を捨てた母親に、娘に会う資格は無いと私は思う。でも、捨てられた母親に会う資格を娘は持つと私は思う。鷹斗くん、君が決めるんだ。どんな形でもいい。会わせるか、それとも墓の中まで持っていくか、翔子さんの夫として君が決めるんだ」

 俺が、決める?

 でもそれは、翔子の意思を……確認した時点で秘密にならないのか。

「君は、翔子さんの旦那さんだろう? 覚悟して、決めなさい。君が、一人で、決めなさい」

 また一つ、背負わされた。

 黒崎のお義父さんはまだ四十代、四捨五入すれば四十。

 ウチの父さんは五十代、四捨五入すれば六十。

 であるのに、この格の違い。同じジャパニーズとは思えません。

 ……俺は、ウチの父さんの血を継いでるのになぁ。困った話だよ。

「わかり、ました」

 黒崎のお義父さんはウチの父さんに対して、年長者としての敬意を示してくれている。

 ただ、ウチの父さんにも父さんなりのプライドがあるのか、二十近い若造の下風に立つのは許せないものがあるらしい。

 でも黒崎のお義父さんは、ただ立っているだけで上流だからな。

 水もオーラも上流から下流に流れるものらしい。自然の摂理だ。

 どうかウチの父さんが溺れて流されませんように。

 強い力の流れには逆らわない、それも日本人の美徳の一つだっただろ?

 俺にしてみれば美徳かどうか怪しいところだけどさ……。


 だよね? 片岡君。


 ◆  ◆


「…………もしも、死んだ人間に会えるとしたら、翔子は誰に会いたい?」

 流石にこの肉布団でも妊婦二人は狭苦しく、安全基準の問題から日替わり制になっていた。

 ……素直に降りてくれた方が俺は安心できるんだけどね?

 でも、これは胎教らしい。……流石にお腹の中の赤ちゃんにまで俺のメタボちからの安らぎを与えられる自信は無いぞ?

「お父さんは~、やだなぁ。一度、怖くて逃げちゃったし」

「……そう言えば、それが出会いの切欠だったっけ」

「そうそう、あの金髪でピアスの……アラフォーの癖に金髪ってどうなのよ? 歳を考えろっての。シロのお父さんを見習え~っ! 日本人は黒髪だ~っ!」

「そうか~、そうだな~……ウチの父さんには言うなよ? 白を黒に染めてるんだからな?」

 そして生き物としての格が違うんだ。

 ゴールデンレトリバーとチワワが同じ犬だからって同じに扱っちゃいけない。

 ゴールデンレトリバーは気性が穏やかで、チワワこそ攻撃的になりやすいそうだ。

 十分に躾をすれば優しくもなるそうだが放っておけば攻撃的になるなら、それが生来の資質なんだろう。

 人間基準で従順で優しいことを犬として偉いことだと考えちゃ……じゃなかった、俺の思考は常に横道にそれるな。

「鷹斗? なにサバイバルな顔してるの? 金髪ピアスのこと思い出してたの?」

「犬のこと考えてた」

「なんでそうなるの? あ、犬を飼うのって赤ちゃんにも良いみたいだね。一緒に移民させてくれるかな~?」

「どうだろうな? 人よりも犬の方が早く増えるから、新しい星が犬の惑星になりかねないぞ?」

「そっか、そうだった。去勢とか、可哀想だしね。ワンちゃんだってお母さんになりたいだろうし……諦めよう」

 翔子は、優しいな。

 本当に、優しいな。

 俺を見捨てないくらいに、優しいんだよな……。

「……お母さん。優しかったよ? いっつもいっつも小さな翔子ちゃんを抱きしめて、大丈夫大丈夫って優しくナデナデしてくれてた。急に居なくなって寂しかったけど、会って、イメージ壊れちゃうと嫌だから会いたくはないかなぁ~」

 大丈夫、大丈夫って翔子を言い訳にして、結婚の理想と現実の違いに耐えていたのか……。

 俺の腹の皮下脂肪はこんなにも厚いのに、腹芸の一つも出来ないとは情けないメタボだな。

 あるいは、翔子の勘が鋭すぎるんだよ。

 そりゃ、島に行く前からゴミ箱なんかで狩猟採取民族してたんだ。目端も利くよな。

「撫でていい?」

「いいよ? でも、キスもしてね? それから先は、我慢だよ?」

「……それは、厳しいな」

「一年間も我慢してきた鷹斗は何処に行ったのじゃ? 翔子ちゃんの更に豊満になった真ん丸ボディに負けちゃったのかなぁ?」

「そんな特殊性癖は、無いっ!」

「鷹斗ぉ? それはそれでショックだから、シロには言っちゃ駄目だよぉ?」

「……ごめん。解った、心得ておく。ありがとう」

 そうだな。居場所を奪うような発言は控えないといけないんだった。

 ……むしろ、二人の方にこそ特殊性癖があるんじゃないか?

 ありがたい話ですけどねー。

「じゃあ、ご褒美に翔子ちゃんの頭とお腹をナデナデしてね? 鷹斗の腕は二本だから、半分は赤ちゃんに分けてあげよう。翔子ちゃんは優しいママになるよ~♪」

 ……つまり、俺に両腕を攣れと?

 さっそく優しさの欠片も見当たらないのだが、墓の中まで持っていけなかった自分への罰だな。

 黒崎のお義父さんは、俺に一人で決めろと言った。

 だけど、これがウチのやり方なんです。翔子はそんなに弱い子じゃないんです。弱くなったら慰めますし支えます。

 ……あとで黒崎のお義父さんにバレたら怖いですけど。

 俺は黒崎のお義父さんとは違う人間なので、同じようには出来ません。

 でも、翔子さん? このことをお墓までとは言わないから他の星までは持ってってくださいね?

「愛してるよ、翔子……」

 俺は約束どおり、お腹と頭を優しく撫で回した。


「……ん~? 鷹斗ぉ? 今、一瞬、不純なものを感じたよぉ?」

 ……鋭すぎだよ翔子ちゃん。


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