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有人島物語  作者: 髙田田
有人島物語~秋冬の終章~
19/23

第六話 種と畑の物語

 種無くば、花も実もなく為ることもなし。

 べつに男と女の話ではない。日々続く学者先生方との授業の中で、ようやく掴めた事だった。

 流石は学者馬鹿。専攻する学問を我が子のように愛していた。

 俺達に託したいのは咲き誇る大輪の花でも大樹のような膨大な知識でもなく、たった一粒の種だった。

 種さえ残れば、また、新天地で芽吹き花開く時もあるだろう。

 ただ、その一粒の種ですら俺達の脳みそには大きすぎた。

 スルスルとは入っていかず、まず口に咥えさせハンマーで叩いて喉を通過させるが如き勉強法。

 黒崎父さんにシロ様にこそ伝えませんか? と、口にしてみたところ、親子の時間を奪うなと勉強量が倍に増えた。すまん、もはやただの廃人の友よ。

 ただの廃人は三日に二日のローテーションで黒崎さん家にバイトに来ていることになっている。

 家の中で二十四時間ゲームをしてた息子がバイトを始め、社会復帰の一歩を踏みしめたことを喜んでくれているそうだ。……とても心苦しいようだ。

 どうしてこの学者先生達が宇宙人さんの話を素直に信じてくれたのかは解らない。

 解るといえば解る。黒崎家に伝わる秘伝のオーラか何かだ。たまにシロ様も使う。なぜか翔子も使う。あとは札束でナックルだ。

 あるいは、学者先生だからこそ信じられる『何か』があったのかもしれない……。


 宇宙人さんも原始人からのやり直しを期待している訳ではなかった為、書籍類の持込は許されるとのことだった。

 人類が発明したり発見したりする珍妙なものにこそ期待しているというのだから、それを信じるとしよう。そう決めた。

 宇宙人さんともちゃんと話しあった。

 宇宙人さんは赤ちゃんに話しかけるように噛み砕いて話してくれた。

 道具や発明、発見と言うものは五体の延長線上であり、宇宙人さんが発明できるものは宇宙人さんの延長線上にあるものでしかないそうだ。

 自らの不足を補う。そのための科学であることは人類と何ら変わらなかった。

 宇宙人さんの不足と、人類の不足は大きく違う。

 だから、科学や文化の形も大きく異なるものになる可能性が高い、とのことだった。

 事実として地球人類史は宇宙人類史と大きく異なり、すでに多くのことが参考になったそうだ。

 何故、島内で四百人を見殺しにしたのかも尋ねた。

 それは次回こそ完璧な計画を行うための観察に徹したからだそうだ。

 期限は三十年ある。時間的な猶予としては三十回近くチャンスはあったんだ。

 人道的ではないが合理的な判断だ。


 ただ、自分達の都合で知的生命体の自由を束縛することには強い忌避感を感じていた。

 だから、俺が頑張ったことは宇宙人さんにとっても幸いなことであったそうだ。

 …………人間一人が首パンッする度に、宇宙人さんも一人、首パンッをしていた。

 ただ一人、人が仏様になっただけでも、宇宙人さんは一人、首パンッをしていた。

 本当に、幸いな事だったんだ……。


 それからも、さらに色々と尋ねてみた。

 納得できる答えも多かったが、納得できない答えも多かった。

 考えてみれば、この地球上でさえ国が違えば納得できない常識ばかりだ。

 宇宙人さんとここまで話して解り合えるなら、相当なものなのだろう。

 相当、苦労したんだ。宇宙人さん達が俺達に合わせようとして頑張ったんだ。

 人類が滅び行くに任せる人道保護派と、人類を保護しようとする人命保護派で争った。

 その苦労の結果が俺達だった。宇宙人さんも集団になると思想が色々で大変らしい。

 しかし、見殺しにする人道というのも大宇宙的価値観だなぁ。

 宇宙人さんにどこの星に住んでるのと聞いてみたところ、星に住んでないと簡単に答えられた。そもそも不測の事態が多い惑星や恒星の周辺に住環境を整えること自身がおかしいとまで言われた。

 地震雷火事親父といった怖いものが惑星上にはあるからね。そりゃそうだ。

 宇宙人さんにとって星々とは資源採掘の工事現場であって、住み着くところではなかったらしい。

 惑星丸々一個が安い訳だよ。だって宇宙人さん的には要らない丸い玉っコロなんだものね。

 最後に、なんで俺のメタボの過重積載を治さなかったのか聞いてみた。

 無重力空間の宇宙では、そもそも過重積載のうちに入らないので想定外だったそうだ。

 …………宇宙人さんよぉ。


 ◆  ◆


 白いタキシードは緊張した。

 黒崎父さんは、とてもニコニコしていて怖かった。

 やることをやる、作るものを作る、なら、その前に挙げるものを挙げておけと言われた。

 全てを黒崎さん家のお世話になるあたり情けない。ウチの父さんはもう張り合う気力すら無くしていた。我が家を抵当に入れてでもと口にして母さんに頭を叩かれていた。

 ただ、宇宙人さんはさらに一桁以上違っていた。

 結婚式のため元・島民五百七十三名を招待するに当たって使用された交通手段はワープだった。

 宇宙人さんは自由意志による選択をとてもとても尊重する方々で、自由意志によらない強制的な誘拐をとてもとても気に病んでらっしゃった。

 地球上での生活が難しい方々には、とりあえず十億円と住環境を用意してくださったそうだ。

 どうやって手に入れたのか尋ねてみたところ、地球のローテクな電子情報の改竄などお茶の子歳々だったそうだ。

 ……アンタ、地球上で重大な犯罪を犯すなって言ったよな?

 しかし、十億円かぁ……余命三十年で十億円、未開の新天地で寿命まで、また悩ませてくれるものだ。昔の俺なら十億に飛びついただろう。

 でも、豪遊中に愛する女性やその子供なんかが出来ちゃうと……考えたくもないな。

 余命三十年を告げられた子供、その子供から生まれた小さな孫……そして、迫り来る巨大隕石。

 それは……残酷な話だ。

 駄目だ駄目だ!! 今日は目出度い門出の日のはずなんだからサバイバル顔は無しだ。

 今から始まるのは地球の教会への大冒涜。

 なにしろいきなりの重婚宣言なんだからな。

 花嫁のシロ様の介添え人は黒崎父さんが、花嫁の翔子の介添え人はウチの父さんだった。

 赤い絨毯ヴァージンロードを二人の花嫁がゆっくりと歩いてくる。

 そして、それぞれの父親から花婿である俺に花嫁がしっかりと引き渡される。

 杖もつかず直立不動で待っているのは辛かった。

 ウェディングドレスに身を包んだ花嫁に支えられながら四足歩行で歩く白いタキシードの花婿。

 向かった先の祭壇には神父不在。

 十字架の代わりにWとZを組み合わせた不思議なオブジェが飾られていた。宇宙人さん像だ。

 新天地の創造主ザ・クリエイターなのだから、これ以上に相応しいシンボルも無い。

 この結婚式も、宇宙人さんの結婚に似たセレモニーの形式に則った形である。

 第三者立会いの下、自由意志による契約を口頭で交わす。ただ、それだけのシンプルな誓約だ。

 シンプルで飾り無く、ゆえに神聖な誓約なのだ。遊びも無ければ逃げ場も無い。


「花嫁、雛森翔子は、花婿である松木鷹斗を終生愛することを誓いますか?」

「誓いま~す♪」

 俺と翔子の結婚の立会人はシロ様が、俺とシロ様の結婚の立会人は翔子が、それぞれ務めることになった。

「花婿、松木鷹斗は、花嫁である……雛森……翔子を、終生、愛する、ことをっ……誓い……ますかっ!!」

 うん、完全に人選を間違えてる気がするなぁ。

 第三者として他の誰か、廃人眼鏡を呼ぶべきだったがそうもいかなかった。

 宇宙人さん的にはこれが最もシンプルでいさぎよい形らしい。

 誓約時に使う人数は極力少なく無駄なく効率的に……だから宇宙船が豆腐一丁だったのか。

 誓約の立会人がその誓約を守らせる義務と、誓約を破った場合の懲罰を加える義務も背負う。

 懲罰の最悪は死。それほどまでに自由意志による選択、誓約を宇宙人さんは神聖視していた。

「はい、誓います」

 キスも指輪も書面すら無い。ただ口頭で誓うのみのシンプルな儀式。

 それだけの誓約だ。そして絶対の誓約だ。

「では、代わりまして翔子ちゃんの番で~す♪ 花嫁、黒崎鈴音は、花婿である松木鷹斗の第二婦人として終生愛することを誓いますか?」

 ……ん? なにか、余計な言葉が混じった気が?

「第……二? 翔子ちゃん? ちょっと悪戯が過ぎないですか?」

「え? だって、翔子ちゃんが先に結婚しちゃったからシロは第二婦人でしょ? 誓わないの? 誓わないなら~、鷹斗は翔子ちゃんだけのものだっ♪ やった~♪」

 式の前に「翔子ちゃん、自信が無いからシロが先にやって?」と、しおらしく言っていたのはこのためかっ!!

 黒崎父さんが睨んでる。俺のせいじゃないよ? 俺のせいじゃないよ?

 ウチの父さんは……泣いてる。翔子はアンタの娘じゃないからっ!! 泣くなっ!!

「……翔子ちゃ~ん?」

「だって~、鷹斗と出会ったのは翔子ちゃんが先だし♪ 鷹斗に救われたのも翔子ちゃんが先だし♪ 鷹斗を好きになったのも翔子ちゃんが先だし♪ 鷹斗と裸で肌を重ね合わせたのも~肌の温もりを交換しあったのも~翔子ちゃんが先だもん♪」

 …………記憶にあるな。

 唇を紫色にした裸体の翔子に体温を一方的に奪われた記憶があるな。

「本当ですか? 鷹斗さん?」

「……翔子、冷水、身体、冷えてた。裸、抱きしめた。それだけ。俺、清い、身体」

 会場から「童帝様、童帝様だ」と言う声が……聞こえてくるんじゃないっ!!

 どんな周知の羞恥プレイだよっ!!

「鷹斗はねぇ~、そんな翔子ちゃんの悪戯心溢れる誘惑にも耐えてみせたんだよ? こんな状況で赤ちゃんが出来ると、産まれた赤ちゃんが可哀想だと思って……。だ~か~ら、鷹斗が耐えたんだからシロも耐えようよ? ねっ?」

 どんな理屈だ。

「た~え~ま~せ~んっ!! 私の方が年上なんだから私が第一婦人ですっ!!」

 神前……じゃなかった。宇宙人さんのオブジェの前で醜い争いがまた始まったなぁ……。

 黒崎母さんとウチの母さんが、なんだか満足した表情を浮かべてる。

 ……あぁ、『こんな状況で産まれた赤ちゃんが可哀想』と言う苦言をこの会場の皆に呈したかったのか。その為に、俺達に……羞恥プレイを?

 目の前の醜い争い、これが演技ならオスカー像が貰えるな。

 黒崎父さんの怒りと、ウチの父さんの娘を失う嘆きも演技ならオスカー像が貰えるな。

 父さん、アンタ職業を間違えたんじゃないか?


 三十分に渡る醜い争いの末、ようやく話が纏まった。

 さすが元島民達、人の命に関わらない不幸は笑い話だった。椅子と地面の区別すら付かない奴等も出てきた。退屈はしなかったようだ。

「花嫁、黒崎鈴音は、花婿である松木鷹斗を終生愛することを……誓わなくても良いんだよ?」

「誓いますっ!!」

 ……俺が、すでにさっきの誓いを取り下げたくて仕方ないんだけど。

 宇宙人さんは転進も退却も許してくれない。誓いは誓い必ず守れ、でなければ死ねと、男らしいね。

「花婿、松木鷹斗は、花嫁である黒崎鈴音を終生愛することを……誓っちゃうの? 今なら、一方的に愛してくるだけの都合の良い女が手に入るよ?」

「誓うわっ!! どんな外道だ俺はっ!!」

 まったく、何処まで悪戯をするか。

「では~、その証明として二人に愛のキスを交わしてもらいましょう。やっぱりキスが無いと結婚式は締まらないよね~♪」

「し、翔子ちゃん? ……わ、私が先で、良いの?」

「シロの方が年上、なんでしょ? ほら、早く早く♪」

「え、え~っと、それでは……お、お覚悟ぉっ!!」

 俺は、殺されるのか?

 そうだな、心臓ハートが矢で貫かれて死んじゃうな。

 瞳を閉じたアカ様が待っていたので、優しく唇を重ねた。とても、柔らかかった。

 初めてのキスの味は、しなかった。口紅の油分をちょっぴり感じたくらいだ。

「じゃ、じゃあ、翔子ちゃんも、誓いのキスを……」

 と、アカ様が言うや否や俺の唇を強引に奪われた。

 流石は狩猟採取民族。狩猟の本能に飢えていたらしい。

 これはキスじゃない! 捕食好意だっ!!

「……ぷはぁっ! 鷹斗の唇、美味しかったぞよ。ご馳走さまでしたっ♪」

 乙女にも、キスにも、色々とあるもんなんだなぁ……。


 ブーケトスだけは、なんだか良く解らないが行われた。

 ただ、参加したのが全て島民だったため、とても逞しかった。

 恐ろしかった。男が力仕事で女は知恵担当?

 そんな姑息なことを考えなくても大丈夫だよ、この生き物達なら。

 こうして宇宙人さんが見守る中の結婚式はつつがなく行われ、解散はワープだった。

 ……もうちょっと余韻を考えようよ。効率的だけどさぁ。


 ◆  ◆


 初めての夜と書いて、初夜と読む。

 男と女が契りを交わす、生々しくも神聖な一夜だ。

「鷹斗のファーストキスは譲ったんだから、翔子ちゃんが先だよねっ?」

「……はい? 翔子ちゃ~ん? それはズルイんじゃないかなぁ~?」

「え~っ!? ファーストキスだけじゃなくて鷹斗の純潔さえ貰おうなんてシロは強欲すぎだよぉ? 翔子ちゃん大ショーック!!」

「た、鷹斗さんは、は、は、は、初めてですから!! 同じ初めての私が相応しいと思います!!」

「……酷い……シロは私の過去を知ってる癖に……」

「あ、その……ごめんね? 翔子ちゃん……」

「でも大丈夫!! 宇宙人さんは、ちゃ~んと新品にしてくれたのです!! ビックリだね~、大宇宙テクノロジーだね~♪ ちゃ~んと、翔子ちゃんの新品をパックンチョできるんだよ? 鷹斗ぉ? ……嬉しい?」

 終始、俺は無言だった。

 ただ、身体は正直に反応した。

「はい、カチカチ山になりました!! この御山をカチカチにしたのは翔子ちゃんです!! なので、このカチカチ山は翔子ちゃんのものです!!」

「翔子ちゃんずる~い!! 鷹斗さん、早く柔らかくしてくださいっ!!」

 シロ様も御無体を仰りますなぁ。

 そんなに緩急自在なものではないのですぞ?

 しかし、見事なまでに俺の意思は聞かれないんだな。

 …………わざと、聞かないでいてくれてるのかなぁ?

 好意的にそう捉えておこう。俺の精神衛生のためにもな。

 でも、また一晩、喧嘩に終わりそうな気がしてならないんだけど大丈夫かなぁ?

 それに今日は色々あったから、疲れて何だかボク眠いんだ……パトラッシュ、寝ても良い?

 でも、眠ったら、どんな酷い目に合わされるか解んないな……。

 あぁ、でも睡魔が……睡魔さんが……呼んでる……。

 二人の喧騒が子守唄に聞こえるようになったとは、俺も無駄に逞しくなったもんだなぁ……。


 ◆  ◆


 黒崎父さんが胡桃を食べていた。

 握力で殻を割って、食べていた。

「あ、あの、黒崎さん?」

「ん? 鷹斗くん。もう娘との挙式は終わったんだ。もっと気安く、お義父さんで良いんだよ?」

「じ、じゃあ、お義父さん?」

 ビキリッと音を発てて、胡桃の殻が割られた。

 その胡桃は、何かの比喩表現なんでしょうか?

 そういえば、胡桃の中身って、脳の形に似てますよね?

「お礼を、言うべき、なんだろうね。これで、鈴音は、引き返せなくなった。私達を見捨てて、ちゃんと、旅立てるようになったんだから」

「えっと、それは、お互い様なので……その……」

「じゃあ、お礼を、言わなくて、良いんだろうね。ちゃんと、お礼を、口にすべきだと、妻には言われたが、どうしても、お礼を、口にする気分にはなれなくてね。助かったよ……」

 ビキリッと音を発てて、胡桃の殻が割られた。

 その胡桃は、何かの比喩表現なんでしょうねっ!?

 翔子、シロ様、睡魔さまの三つ巴の戦いは、睡魔さまが勝利した。

 さすがは人間の三大欲求の一つだ、強いね~。

 だって、疲れてたんだもん……ねぇ? パトラッシュ。

 そして花嫁であるシロ様をないがしろにした罰として、黒崎のお義父さんと一時間の対話を翔子から言い渡された。

 この後は、ウチの母さんとの一時間の対話がシロ様から懲罰として言い渡されている。

 ……今になって気付いた。二人は俺を罰することが出来るけど、俺は二人を罰することが出来ない三角関係だと今更ながらに気が付いた。

 ツーテンポ遅い。恨むよ、父さん。

「昨晩、ウチの鈴音に、手を出さなかったんだって? 何か、不満でも、あったのかな? 鈴音の父としては、怒れば良いのか、喜べば良いのか、複雑な、気持ちだよ」

 ビキリッ、ビキリッと音を発てて、お義父さんの口に運ばれない胡桃の中身が、ドンドンと溜まっていく。

 ご丁寧にも巨大な一時間砂時計が置かれ、その砂は未だ十分の一も落ちていない気がした。

「いえ、お義父さん、鈴音さんには全く不満など御座いません!! 私の不徳の致す所です!!」

 ビキリッ。

「確かにウチの鈴音は、女性的な魅力に欠けるかもしれないねぇ。翔子さんに、比べると、どうしても、そうなるのかな?」

 ビキリッ。

「いえ! 私にとって鈴音さんは! とてもとても魅力的な女性です!!」

 ビキリッ。

「娘が、性欲の対象として捉えられることは……こんなにも、苛立ちを覚えるものなんだね。初めての感情だよ。鷹斗くん、生まれて初めての感情だよ……」

 ビキリッ。

 ……推しても駄目なら退いても駄目、どちらにせよ俺の発言は黒崎のお義父さんの感情を逆撫でするだけのようです。

 あぁ、この砂時計、壊れてるんじゃないかな?

 全然、砂の量が減ってない気がするんだけど?

 ビキリッ。

 沈黙も駄目でしたっ!!

 俺の隣では、ニコニコ顔のシロ様が手を握ってくれているけど、これ、火に油だよねぇ?

「私が隣に着いてますから大丈夫です!!」って言ってたけど、大炎上間違いなしって意味だったの?

 シロ様も怒ってらっしゃるのね、やっぱり。

 黒崎のお義父さんの隣では、黒崎のお義母さんがニコニコとした顔で座り、割られたクルミをポリポリと食べておりました。

 我関せずと言う顔をしながら、黒崎のお義父さんを見えない何かで操っている気がしてなりませんでした……。


 ◆  ◆


「母さん、鷹斗のためを思って買ってきたわよ?」

 亜鉛、マカ、ビール酵母、スッポンエキス、そして赤マムシ。

 ……昭和? ねぇ、ここ昭和なの?

「情けないわ……母さん、ほんっと~に、情けないわ。女の子にとって初めての、大切な夜に眠っちゃうなんて。ちゃんと二人には謝ったの?」

 はい、土下座しましたよ。朝一番で二時間ほど。

 でも、更に追加で二時間の懲罰が決められました。

「あのね、人生の先輩としてお母さん達の初夜の話をしてあげる」

 ……いや、両親の生々しい体験談を聞かされるとか、拷問以外のなにものでも無いんですけど?

「お母さんとお父さんが式を挙げたその晩は、それはそれは素敵な……お父さん、何処に行くつもり? ちょっと、こっちに来て鷹斗の隣に座って?」

 ん? なぜ、逃げようとした、父よ?

 母さんの手招きに従って、おとなしく父さんが俺の隣に座った。

「お父さん、緊張してたのかしら? お母さんがお風呂に入ってる間にお酒呑んじゃったのよね~。そして、お母さんがお風呂から出てくる頃にはすっかり酔っ払い。その時の母さんの気持ち、解る? この気持ち、解るかしら?」

「わ、わかるよ~な、わからないよ~な?」

「解ります!! お義母さん!! 女としてのプライドが傷つけられた、その心の痛みっ!!」

「解ってくれる!? 翔子ちゃん!? 私、ずっとずっとず~っと、誰にも言えなくて我慢してたのよ!? こんな恥ずかしい話、誰にも聞かせられないものっ!!」

 父さんが、ダラダラとアブラ汗を流している。

 父よ……アンタもか。

「あれだけ毎日のように愛してる、愛してる、君だけがボクの太陽だ、な~んて口説いておいて、いざ結婚すると釣った魚に餌はやらないって、酷いわよねっ!?」

 いや~、俺の知る限り、結婚記念日は毎年ちゃんと祝ってたと思うんだけど。

 父さん、頑張ってたよ~? 確かね~?

 しかし、君だけがボクの太陽だ、な~んて言ってたのか、父さん。

 レパートリーに加えておこう。

「……鷹斗も、いずれ、そうなっちゃうのかしら? ……翔子ちゃん、悲しいな」

「翔子ちゃん、今日、朝起きてから、鷹斗から一度でも愛してるって言われた?」

「あっ!? 言われて……無いっ!! 鷹斗酷いっ!!」

 ごめんなさいに忙しかったんです!!

 愛してるなんて口に出来る雰囲気じゃ無かったんです!!

「酷いわよね? 男って皆そうなのかしら? 結婚するとすぐに愛が冷めちゃうものなのかしら?」

「昨日、式を挙げたばかりなのに……もう翔子ちゃん、鷹斗に飽きられちゃったのか……悲しいな」

「鷹斗!! お母さん、親として恥ずかしいわっ!! ちゃんと翔子ちゃんに愛してるって言いなさい!!」

 ……なんでそうなるん?

 なんで、両親の目の前で愛の告白とかしなきゃならなくなるん?

 そして、悲しんでるはずの翔子がニコニコ顔なのは、なんで? ……解ってるよっ!!

「あ、愛してる……」

「……とても小さな声ね。そんな小さな愛しか無いんだ……翔子ちゃん、悲しいなぁ~」

「鷹斗っ!! もっとハッキリしなさいっ!!」

「愛してる!! 翔子っ!! 愛してる!! 君だけがボクの太陽だっ!!」

「え? シロのことは良いの? ……鷹斗ぉ? それは酷いよぉ?」

 あああああああああっ!!

「ふっふ~ん♪ 後で、シロにメールし~ちゃおっと♪ 君だけが~ボクの~太陽だあいっ♪」

「やめてくださいお願いしますから、黒崎のお義父さんは怖い人なんです……。愛してます、愛していますから、もう許して……」

 ウチの父さんもウンウンと頷いていた。

 あの引き篭もりの息子がこれだけ頑張ったんだ、許してやれと応援してくれていた。

 でも、そんな父さんにも危機は迫っていたんだ。

「じゃあ、次はお父さんの番ね? 鷹斗が勇気を見せたんだもの、お父さんだって勇気を出してくれるわよね?」

「……お義父さん、愛してるって言ってくれないんですか? いつからですかっ!?」

「そうなのよ、翔子ちゃん。鷹斗が生まれてから~、そうね、もう二十年近く言われて無いわね」

「酷いっ!! 二十年っ!? 鷹斗が引き篭もってた時間よりも……お義母さん、苦労なさったんですね?」

「私、耐えたわ。耐え忍んだの……。鷹斗が居るから、それを心の支えに頑張って、頑張って、我慢してきたのよっ!!」

 うん、矛先が変わった。

 頑張れ、父よ。応援するよ。心の中で、ウンウン。

 でも、結婚記念日のお祝いに旅行とか行ってたよね?

「お義父さん、アタシはお義父さんの本当の娘じゃないけど言わせてください!! ちゃんと、お義母さんに愛してるって口に出して、その愛を伝えてあげてください!!」

「翔子ちゃ~ん!!」

「お義母さん!!」

 ヒシッと抱きしめあう母娘。義理の関係ではあっても親子だった。いや、女同士だった。

 父さんが、何だかモゴモゴと口を動かしている。

 愛してるっぽい小さな声が聞こえた気がするが、まぁ、そんな小声では心に届かないだろう。

 そういえば、隣村のリア充女子が言ってたっけ。愛してるの一言で十分だって。

 あれは、逆に言うと愛してるの一言が無ければ不十分だって意味だったんだな。

 うん、勉強になったわ。今更だけど。

「もっと、大きな声で!! お義母さんが可哀想……」

「良いのよ、翔子ちゃん。わかってるわ、男の人ってこういう生き物なのよ……」

「そんなことありません!! 鷹斗のお父さんだもの。お義父さんなら、もっと大きな声でハッキリと愛を伝えてくれるはずです!!」

「翔子ちゃん!! ほんと!? 信じて良いの!?」

「お義父さん!! 頑張って!!」

 巨大な一時間砂時計の砂が尽きても、この三文芝居は続いたのであった……。

 父さんの甲斐性なしっ!!


 少しやつれた父さんが、俺の隣に腰掛けて、人生の先輩としての助言をくれた。

「最初が肝心だ」

 遅いよ、父さん。


 ◆  ◆


 愛してる。

 これはまず毎日、口にしなければいけないらしい。

 同じ台詞でも、挨拶のように軽い口調から、本気で口説いたあの日のように真剣な眼差しをして。同じ台詞でも色々な言い方があるものらしい。


 綺麗だね。

 これも毎日かかさず口にしなければいけない。

 だが、その日によって褒めるべき箇所が違うらしい。褒めるべき場所は、その日の女性側の気分によって変わる。


 君の居ない人生なんて、もう考えられないよ。

 たまにはこう言った言葉で自分にとって相手がどれほど心の支えになっているのか、それを伝えなければならないそうだ。大体、三日に一度くらいの『たまに』だ。


 もちろん、この全ての言葉が嘘であってはいけない。

 心の底からの言葉でなければ、女の人はすぐに勘づいてしまう。

 俺、ウチの父さん、廃人眼鏡が黒崎のお義父さんを囲んで勉強会を開いていた。

 ……総合するとイタリア人か。

 イタリア人の知り合いなんて居ないけどさ。イメージ的な話。

 生粋のジャパニーズである我々にとって、実に難しい勉強会であった。

 言葉にするなら簡単、実行は難しい。非常に難しい。ベリーハードだ。

 ただ、どれもこれもが、相手に『居場所』を与える言葉だと言うことには察しがついた。

 どれだけ女性に心地のよい『居場所』を用意できるか、これが男の甲斐性なのだろう。


「えっと、黒崎のお義父さんは、お義母さんに向かって毎日これを?」

 俺の質問に対して、黒崎のお義父さんが初めて照れたような恥ずかしそうな顔を見せた。

 その姿はちょっとだけ、照れたシロ様に似ていた。


 勉強会も終りになる頃、俺の携帯にメールが一通着信した。

「クイズです♪ 翔子ちゃんが太陽なら、私は何なのでしょうか? お答え、楽しみにしてますね?」

 …………実に難しいクイズが出題された。

 これが解けるなら、俺はきっと東大にだって入れちゃうよ……。


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