第五話 同窓会、どうしようかい?
卒業生でも無いのに、俺の家にはクラス会の手紙が二年に一度は届いていた。
そして、父さんと母さんは、いざ行きたくなった時の為に毎回出席の返事と会費を払ってくれていた。
俺の目から見れば無駄な出費だ。
だけど、親の目から見たなら無駄ではない出費なんだろう。
折角のご招待だ、今年は出てみたいと思う。
なにせ、今年以外は出られそうに無いんだ。
翔子は過去を清算した。随分とまあ綺麗に清算したものだ。立つ鳥跡を濁しまくりだ。
実際に抜け落ちた羽や、構造上すぐに出てしまう糞などで池を濁しまくりらしいけどね。
鳥でさえ汚すんだ、豚が汚すのは当たり前だな。
会場となる小さな料亭までは父さんが車で送ってくれた。
ちゃんと床屋にも行き、髭も剃った。綺麗な格好を整えてドレスコードもバッチリだ。
翔子とシロ様が同行を申し出てくれたが断った。
ただ、後で慰めてとお願いだけしておいた。
俺は今から俺の戦場に傷つきに行くんだ。守られてちゃ話にならない。それも十代の女の子にだ。
十年引き篭もっていた俺と違って、皆は大学なり何なりに行き、そして、仕事をして、きっと大人をしてるんだろうな。子供も居るかもしれない。
流石はメイドインジャパンの松葉杖。とても軽くて歩きやすい。
四足歩行の鈍獣が、若干、いつもより二割ほど早足で歩けた。
まぁ、それでも鈍獣の足。
さらには恐怖が泥のように絡みつきなかなか前に進めなかった。
でも、俺の背後には報復のために命を賭した秋人という守護霊が……ついてきてないよな? 嫌だぞ、おい。
しかし、これも懐かしい感覚だなぁ……。
布団を出る、あの一瞬の感覚。
家から出る、あの一瞬の感覚。
学校への道を歩くなか、一歩ごとに溢れだす感覚。
校門を潜る、あの一瞬の感覚。
玄関を潜る、あの一瞬の感覚。
上履きに履き替える、あの一瞬の感覚。
教室が近づくたびに早鐘を打つ心臓の鼓動。
そして、廊下と教室の一線を跨ぐ、あの引き返せない最後の一歩の感覚。
「いらっしゃいませ、お一人様ですか?」
どれもこれも、懐かしい恐怖の塊の感覚だった。
「いえ、**高校の同窓会の集まりです。もう、始まってますか?」
「かしこまりました。他のお客様はお先にお着きになって、二階の宴会場で始められております」
二十分の遅刻だ。
これくらいで丁度良い。
俺はツーテンポ遅い人間だからな。
仲居さんの案内に従い、一歩一歩、階段を昇っていく。すんませんね、手を煩わせて。
「お連れのお客様が到着なさいました~」
どう、踏み込んだものかと頭を悩ませていたが、仲居さんがその役を代わってくれた。
有り難いことだ。すんませんね、手を煩わせて。
「どっこいせと」
土足厳禁の和室に外からついてきた松葉杖はどうかと思ったが、俺の体脂肪がそれを許してくれた。
仲居さんも、それについては口を挟まなかった。すんませんね、手を煩わせて。
俺の席はどこかな? そもそも、用意されてるのかな?
右を見て、左を見て、空席を探す。会費を徴収しながら席を用意してなかったら、その辺もネチネチと責めてやろうと思ったのに先生の隣にちゃんと用意されていた。上座だ。
学校の教室に例えると……あんまり良くない席だな。問題児の席だ。
ヒソヒソ声は聞こえるけど、誰も俺に声を掛けはしなかったので、空席の座布団にドッシリとその体重を落とした。
「えっと、松木、か?」
先生が尋ねてきた。
まぁ、実の親でさえ解らなかったんだ。他人である先生に横太りした俺がわかるわけは無いだろう。
「えぇ、そうですよ? 皆にイジメられて高校を中退した松木鷹斗ですよ? 中退したのにクラス会の案内が届くなんてビックリしましたよ」
「そうか、ビックリさせたか。元気に……してたか?」
「えぇ、お陰様で丸十年、人間不信に陥って家の中で引き篭もり生活してましたよ。病気にかかっていないと言う意味でなら元気にしてましたよ? 肥満は~、成人病ですかね?」
会場の中を見渡しても、あの特徴的な髪型の**君は見つからなかった。
だけど、顔を見て思い出した。片岡くんだ。そうだ片岡君だった。良かった~思い出せて。
これで、第一のミッションはコンプリートだ。
一つ目の清算終了。夢の中での出来事だから頭の中でお礼を言っておくね、片岡くん。
ありがとう。本当にありがとう、助かったよ。
「その、なんだ。あの時は、助けられなくて済まなかった」
先生が俺に向かって頭を下げてきた。
年上の人に頭を下げられるって、なんだか居心地が悪いな。
…………でも、十年前の高校の教室よりは居心地が良いけどね。
ここ料亭だしね。もし居心地が悪かったら、それこそお店の看板に傷が付くところだよ。
「良いんじゃないですか? 自分の無力から全員を助けられないことだって多々ありますよ。大の虫のために小の虫を殺すって言葉もありますし、先生はただ見殺しにしただけでしょ? 俺以外のクラスメイトの為に俺を見殺しにしただけでしょ? ま、仕方ないッスよね……」
全員は、救えない。そんな当たり前のことさえこの有人島では忘れがちだ。
リゾートアイランドで一年を過ごした俺に、先生の謝罪の意味はいまいちピンと来なかった。
あるいは、大人としてまだまだ出来損ないだからかもしれない。
ちょっと最後に廃人眼鏡が混じったな。
先生の謝罪を皮切りにして友達『だった』奴が寄ってきた。
「え~っと、すまない。謝って許されることじゃないと思うけど、本当に悪いことをした」
「そうだね。謝って許されることじゃないんだから、謝られても困る話だね。まさか、許すよ、な~んて言葉がこの身体から出てくるとは思わないだろ? 俺の身体を見れば、その後の俺の人生の全てが解るだろ?」
人間一人の人生を踏みにじった。ぶち壊した。
御立派に成長なされたクラスメイトの皆様は、その意味するところも御立派に理解なされたことでしょう。俺と違って、ちゃんと縦に成長した皆様だ。その視点だって十分に高いはずだ。
返す言葉が無かったらしい。
刹那、絶句した。皆が生唾を飲み込んだ。
「俺達を責めに来たのか? 確かに、それだけの事をした、みたい、だけど……」
「違うよ? ただ、自分達の行いの結果、その事実を見せに来ただけだよ? 怒りに来たわけでも、責めに来たわけでも、謝罪を求めに来たわけでもない。ただ、自分達の行いの結果を見せに来ただけだ。見たかったんでしょ?」
あと片岡君の名前を確認に来ただけだ。
賑やかだった宴会場が一転してお通夜のムードに切り替わった。
皆、ちゃんとした大人達だった。二十も後半、それなりに大人達だった。
自分から勝手に自責の念に囚われて、自己嫌悪の苦味を味わっているだけだ。
不思議だね。俺は、ただ、ここにドッシリと座っているだけなのにね?
「俺、松木のこと虐めて無いからな?」
片岡くんだった。
「知ってる。片岡くん、そういうの嫌いだったもんね。虐めウゼェとか思ってたでしょ?」
「お、正解! だから、俺はあやまんねーぞ?」
「うん、謝られても困るわ。虐められても無いのにさ」
二人だけが笑った。夢の中の片岡くんと、現実の片岡くんにあんまり違いは無かった。
それは、ちょっとだけ嬉しかった。
「気分悪い!! 私、帰る!!」
「あぁ、そう。自由意志の選択を尊重するよ」
たぶんクラスのアイドルだった女の子、いまではアラサーの主婦かシングルか。
まぁ、正確なところは解らないけれど、こんな女とは付き合わない方が良いだろうな。
お前もシカトした一人、だったよな?
そして、クスクス笑ってたっけ。
自分は心の底から綺麗な女の子だった。その心の厚化粧を削ぎ落とす事実から目を背けたいならどうぞご自由に、その自由意志による選択を……今度は宇宙人さんが混じったな。
「ごめん。結局、松木は今日、何しに来たの?」
呼んでおきながら何しに来たって失礼じゃない?
「だ~か~ら、事実を見せに来ただけだってば。お前等が一人の人間の人生をボロクソにして台無しにした、その事実を見せに来ただけだ。見たかったんだろ? だから中退した俺にわざわざクラス会の手紙送り続けたんだろ?」
お前らが見たがっていた現実が目の前にやってきた。
ただ、それだけの事じゃないか。何をそんなに怯えてるんだ?
「ん~、まさか、良い大人になっておきながら、人生を台無しにされた一人の人間が許してくれるなんて甘っちょろいこと考えてないよな? お前らは寄ってたかって一人の人間の人生を叩き潰した。台無しにした。壊して殺した。立ち直れなかった弱い俺が悪くて、弱い奴を蹴り落とした自分たちは悪くないと思いたければ思えばいいんじゃない? ねぇ?」
ちょっと、皮肉が入っちゃったかな?
怒りが無いわけではないからなぁ。でも翔子とシロ様に出会わせてくれただけでも恩の字だ。
だから、拳がナックル。お前らの心に深い深い傷跡を感謝の印として残しに来ただけなんだけどね?
この先の生涯、どんな顔して善人面するつもりか知らないけど、ガ~ンバ♪
立ち直って強くなれ。お前らの子供が虐めにあっても文句を言う資格が無いことを自覚しとけ。
しかし高級と言うほどではないが流石は料亭、ご飯が美味しい。黒崎さん家の次くらい美味しい。
けど、やっぱり味が濃い。
この舌はどこまで薄味に慣れてしまったんだろう?
折角のアルコールも苦味ばかり先に感じて楽しめなくて辛いよ。子供舌だよ。
「許しては、くれないんだな。……そりゃあ、許せない、よなぁ」
許してるよ? 許してるから感謝の気持ちを込めて全力で心をぶん殴ってるんだ。
でも、わざわざ「許す」なんて口にして傷薬を塗ってやるつもりもないけどね?
許されないことをした。その自覚があったから、クラス会の通知を送り続けてたんだろう?
ただ、目の前に現れた、許されないことをした結果である巨大な肉の絶壁を目の当たりにして絶望でもしたか?
俺の肉壁はエベレストの北壁よりも絶壁だぞ?
凄い説得力だな。我がメタボ力よ、日本に戻ってから初めての大活躍じゃないか?
「ここの料理って、これで終り?」
さっきからパクパクと口に運んでいた料亭のご飯が無くなった。
ご飯と言うよりも酒のお摘みだったのだが、アルコールは無理だったので料理だけ食べさせてもらった。
「あ、あぁ、一応、コースはそれで終りだな。なんか、他にも頼むか?」
「いや、帰るよ。お金出した分、食べに来ただけだから」
どっこいせと二本の杖をついて、ゆっくりと立ち上がり、入ってきた出入り口から出て行こうとゆっくり歩いた。
「あ、あの、私ね、今、ケースワーカーやってるの!! 良かったら、連絡、頂戴?」
途中で立ち上がった一人の女性。名前、なんだったかな?
名詞には目黒と書かれていた。あぁ、クスクス笑ってた奴の一人だな。
まぁ、善意だ。受け取っておこう。
「うん、ありがとう。絶対に連絡しないよ。結局、目黒さんが楽になりたいだけでしょ? 俺を助けたいわけじゃないんでしょ? じゃあ、さようなら」
松葉杖をついて、靴を履き、階段を一歩一歩降りていった。
最後は、翔子が混じったっぽいな。実に参考になる。心を抉る匠の技だけはあるな。
階段を登るときにはワイワイワイガヤガヤとしていた楽しげな宴会場が、階段を降りる時には物音一つしなくなっていた。
片岡君が一人だけ、ちょっと笑ってた。
もう、彼等と会話を交わす気もない。先生を含めて完全に清算済みの関係だ。
あ、片岡くんだけは別枠ね。彼一人だけ無関係だったし。全方位に攻撃してたし。
父さんには同窓会等の通知や連絡が来たなら全部受け取り拒否をしてくれとお願いした。
彼等の心を楽にするために協力する義理は一切無い。
謝罪も贖罪も、その機会を一切与えないこと。
流石は小悪魔の翔子ちゃんだ、エゲツないな。
まぁ、タクシーの運ちゃんにわざと聞かせて問題の種を残せるほど俺は小器用ではなかったが、俺にしては及第点だろう。
俺は、勝手に立ち直ったんだ。お前等は、勝手に苦しみ挫けてろ。
あるいは大人であることを自ら諦めて、忘却するか、自己弁護だの自己正当化にでも走ってろ。
シロ様の成分?
……それならずっと混じってた気がする。恐ろしいことだ。
◆ ◆
家に帰ると、翔子だけでなくシロ様までもが待っていた。
翔子はウチに泊まりっぱなしなので解るが、シロ様までも俺を心配してくれていたらしい。
十代半ばの女の子に心配される俺って、どうなのかなぁ?
大人、じゃないよなぁ。今更だけどさ。
「翔子とシロ様、今晩、話ある。俺の部屋、泊まる。いいか?」
「え? 今晩こそ翔子ちゃん大人の階段昇っちゃうの? キャー♪ ……うん、解った」
「はい、解りました」
俺が、真剣な表情をしていたことに気付いてくれてありがとう。
「……今日がお赤飯? それとも明日がお赤飯になるの? 今日も明日もお赤飯で良いのかしら?」
……ごめん、母さん、気付いて?
シロ様は黒崎さん家に電話をした。
今日は『翔子ちゃんのところ』に泊まるそうだ。
……シロ様は心の底までシロ様なんですね。
「そ~れ~で~、翔子ちゃんに何の御用かなぁ~?」
「私に~何の用ですか? 鷹斗さん♪」
「二人に用があるんだ。だから、二人に聞いて欲しい」
俺の部屋に三人も集まると、流石に狭く感じる。
……六割は俺のせいだな。
「愛してる。そして俺と一緒に移住して欲しい」
「ふぇ? し、翔子ちゃんは最初からそのつもりだけど……愛してるって言われると、照れちゃうなぁ、もぅ♪」
「私もそのつもりでしたけど、その、急に言われるとビックリします……嬉しいです♪」
駄目だな、伝わらない、か。
もっとハッキリ、言わないと、な。
「結婚して欲しい。そして、俺の子供を産んで欲しい。それから、出来れば父さんと母さんに孫の顔だけでも見せてやりたい。ウチの両親にも、黒崎さん家の両親にもだ」
子供が、親に対して出来る清算。
それは、自分が親になり、子供を育てることだけだ。
そんな感情を入り混ぜるのは不純なのかもしれないけれど、愛しているのは本当だ。
もう、二人の他に考えられる女の子など居ない。
「あ、あのさ、アタシ、その~中古車、だよ?」
「なんだ、まだ気にしてたのか。……翔子、正しくは再生車だ。どうでもよくないが、どうでもいい」
翔子がホッとした顔を見せた。それはとても可愛い表情で……。
「…………お風呂入ってきま~す♪ さようなら翔子ちゃん♪」
流石はシロ様、早いっ!? そして汚いっ!!
両手でドーンと翔子を突き飛ばして体勢を崩してからのダッシュ。
身体の小ささを知恵で補うその姑息加減。……早まったかも、俺。
「…………くふふ、シロもまだまだ甘いわねぇ。別にお風呂なんて入らなくても良いじゃない? ね~ぇ? た~か~とぉ♪」
うん、本当に早まったかも、俺。
俺が獣に剥かれているさなか追ってこない翔子の気配に気付き、急いで服を着て戻ってきたシロ様が乱入。洋服のボタンが掛け違いになってた。
……母さん、今日も明日もお赤飯の日にはならなさそうですよ?
◆ ◆
ウチと黒崎さんの家は運が良い方だった。
宇宙人さんの話を信じてくれた、稀なケースだ。
廃人眼鏡の家では、未だに宇宙人さんの話は笑い話らしい。
信じて貰えないことに苦しんで泣いていた。
信じさせるだけの信用が自分に無いことを苦しみ嘆いていた。
一年ぶりに帰ってきた息子は『社会に不要で信用の無い人物』でしかなかった。
その言葉だって『社会に不要で信用の無い人物』の言葉でしかなかった。
黒崎さんの家ではシロ様の末期癌という物証があった。
ウチでは、シロ様と翔子の力押しの寄り切りと、十年熟成の引き篭もりな俺と言う存在があった。
「怪しい宗教なんじゃないだろうな?」
なんてことをウチの父さんは一週間ほどしてから聞いてきた。遅いぞ。
実際のところ、宇宙人さんが本当の事を話しているとも限らない。
本当は全てが嘘なのかもしれない。
人間の考える合理性と、宇宙人さんの考える合理性には天と地ほどの差がある。
隕石は衝突せず人類は滅びない、でも、新天地で頑張らせるための方便かもしれない。
新天地への移住と言いながら、実際は別の何かの用途に利用されるのかもしれない。
いくらでも考えようがあり、いくらでも捉えようもあり、推論も邪推も無制限に可能だった。
首パンッが使われることを想定していなかった、という発言さえ疑おうと思えば疑える。
地球人より知性が発達しているんだ、地球人よりも汚い手段を考え付かない保証は無い。
島では四百人以上が犠牲になった。だけど計画に修正を加えようとはしなかった。
……それが事実なんだ。そんな彼等の言葉に信用が置けるのか?
何も解らない。手探り状態にすらならない。いくら推論を重ねても手は空を切るばかりだ。
イニシアティブは全て宇宙人さん、リゾート計画の主催者の手に握られたままなのだ。
結果がどうなるか解らない、だけど、自分の人生を賭けなければいけない。
そして、今、俺の上で眠る二人の少女の人生まで共に賭けようとしているんだ。
地球で子供を産んだとしても、両親が共に島民であれば移住の対象として連れて行けることは確認した。
もしも、それすら嘘だったなら?
疑うべきことはいくらでもあり、明確な答えは一つも無い。
この部屋の中で十年間悩んだ。島でも一年間悩み続けたようなものだ。
そしてまた、この部屋で悩んでいた。
俺の悩み悶えた成分が、部屋一面に染み込んでいるだろう。それは脂っぽい感じなのかな?
明確な答えの無い、未知の領域に一歩踏み出す。……一方通行の冒険だ。
悩んでも悩んでも悩み足りることは無く、答えが出ることは絶対にない。
…………怖いな。
俺だけならまだ良い、でも、二人の女の子、それに、もしかするとその子供までも巻き込む大冒険だ。
安全が解らない、それは不安で、恐怖の塊だ。
心臓が早鐘を打ち、一向に治まる気配がしない。
「ん~、鷹斗ぉ、寝心地悪いよぉ? 緊張してるのぉ?」
「起きてたのか?」
「起きてるよぉ? シロもちゃんと起きてるよ? 鷹斗がむずかし~顔してるから、寝たふりしてるだけだよ?」
「翔子ちゃん、バラしちゃ駄目です。もぅ、せっかく鷹斗さんがカッコいい所だったのにぃ~」
シロ様は俺が悩み悶えている姿がお好きらしい。
「ん~? シロは鷹斗がむずかし~顔してるところ、好きなの? アタシは鷹斗が苦しんでるの、嫌だよ?」
「鷹斗さんは今、私達と子供達の将来について悩んでたんです。だ~か~ら、邪魔しちゃ駄目です♪」
「そっか、翔子ちゃんのことを考えてたのか。なら、許してやろうぞ♪」
「わ~た~し~た~ち、ですっ!!」
二人は怖くないのかなぁ?
こんな俺の後をついてくるなんて……違うか、俺が二人に引っ張られて行くんだった。
「翔子ちゃんが~、鷹斗の悩みを解決してあげようか?」
「出来るの、か?」
宇宙人さんまで出てくるスペースオペラな大問題だぞ?
恒星系を股にかける大スペクタクルな超難問だぞ?
「か~んたん♪ 赤ちゃん作っちゃおう♪」
「翔子ちゃ~ん? 真面目な話してるんですよ?」
「翔子ちゃん真面目だよ? 翔子ちゃん、鷹斗のお母さんに鷹斗のこと任されちゃってるんだ~♪」
え? なにそれ? 初耳ですけど!!
「ふぇ? ズルイですそれ! 私も任されます!!」
「だっめで~す♪ 鷹斗のお母さんが~、鷹斗から距離を置いてるの、気付いてる?」
「……え?」
「鷹斗のお母さんね~、一年前にぃ~鷹斗が居なくなった時、ホッとしちゃったんだってぇ~」
心臓が跳ね上がった。
俺が居なくなって、母さんが、ホッと、した?
「十年間も~悩んで~苦しんでたのは~……鷹斗だけじゃないんだよ?」
「し、翔子ちゃん!? 鷹斗さん、大丈夫ですか!?」
痛い。心臓が、痛い。
ズキズキと、そんな言葉じゃ足りない!!
痛い!! 痛い!! 痛い!! 痛いっ!!
「苦しみから解放されたって、ホッとしちゃった自分に気付いて、泣いちゃったんだって~」
「翔子ちゃん!! やめて!! 鷹斗さん!! 鷹斗さん!!」
息が、心臓が、頭が、割れる、痛い、苦しい、やだっ、嫌だっ!!
母さん!! やだ!! 痛い!! やめて!! 見捨てないでっ!! 嫌だっ!!
「だから~、自分には鷹斗の母親の資格が無いって、今でも苦しんでるんだよ? そ、れ、か、ら~三つ指ついてお願いされちゃった♪ どうかウチの鷹斗のことをよろしくお願いしますって」
「翔子ちゃん!! 言って良い事と悪いことがっ!!」
「言わなきゃいけないことだからシロは黙ってて!! …………鷹斗の~、お母さんは~、まだ、生きてるでしょ? 謝れるでしょ? ごめんなさい、出来るでしょ? 鷹斗ぉ? このお家に帰ってきてから、ちゃんと~、ごめんなさいした?」
俺の心臓が、トクントクンと、治まりを迎えつつあった。
……言って、無かった、な。
謝ってない。なんだか、ぐだぐだのままに、帰ってきた。
そのまま、許されて、受け入れられた気がしてた……。
「そうだ、言ってなかった。ごめんなさいって……」
「で~もぉ、ただ、ごめんなさいって言っても許される時間じゃないよね~? 十年は長いよね~?」
そうだ、十年は長い。俺は母さんの十年分の人生を台無しにしたんだ。
俺が居なければ、俺がもっとちゃんとしていれば、十年も悩み苦しむことも無かったんだ……。
人生を台無しにされた被害者面ばかりして、台無しにした母さんの顔をちゃんと見てなかったんだ。
「だからぁ、翔子ちゃんと赤ちゃん作ろ? 赤ちゃん作って~ごめんなさい、しよ? 一緒に謝ってあげるよ? 翔子ちゃんは優しい女の子だもん♪」
「…………翔子ちゃん? それ、私でも良いよね?」
「翔子ちゃんは、た~か~と~の~、お母さん直々に頼まれちゃったんだよ? ここは翔子ちゃんの出番だよね~?」
「私の方が年上ですから、私の出番です!!」
「え~? ど、の、あ、た、り、が~……年上? お腹周りかなっ♪」
「…………翔子ちゃ~ん? ちょ~っと、調子に乗りすぎじゃないですか~? ……小卒の癖に」
また、俺の上で二人の喧嘩が始まった。
うん、悩みは消えたな。今は、小難しいことを考えてる場合じゃない。
父さんと母さんに謝る方が先だ。そして、とりえず今日のところは寝よう。
なんだか、身体の上でモゾモゾしてるけど、気にせず寝よう。そうしよう。
夫婦喧嘩は犬も食わぬって言うけれど、女の喧嘩を食べられる生き物は存在して居るんだろうか?
◆ ◆
二人は明け方まで喧嘩していたのか、ぐっすり眠っていた。
俺の肉布団からおろしても起きなかったので、掛け布団をかけて眠らせておいた。
リビングに下りると、出勤前の父さんがトーストを齧ってた。
「父さん……ごめん」
「…………うん」
父さんは、頷いてくれた。……ちゃんと通じたか、実に不安だ。
三日後くらいに「何が?」と聞かれても不思議ではない。
「母さん……ごめん」
「…………孫の顔が見たいわぁ! 母さん、孫の顔が見たくて仕方ないの! あぁ、何処かに可愛い孫は居ないのかしら?」
駄目だ……許してくれなんだわ。
仕方が無い、親のためなんて不純な動機だけど、もう一度、ちゃんと二人を口説きなおそう。
問題は、どっちが先かだなぁ……。
それを決めるまでに一年かかったりしないだろうな?
父さんが逃げるように出勤して、俺がその後にトーストの朝食を食べていると、母さんが対面の椅子に腰掛けた。
「鷹斗……ごめんね?」
「いいよ。俺のせいだもん」
「じゃあ、早く赤ちゃん作っちゃいなさい」
牛乳を噴出しかけたわ!!
「これでも母さん考えたのよ? 鷹斗はマザコンなところがあるから、いざと言うときに迷っちゃうんじゃないかって。お父さんも言ってたでしょ? 遠いお星様になれって」
……母さん、言いたい事は解るけど、それは死ねって意味だから。
遠いお星様になったら、未だ生きてる母さんと……一生……会えなく……なる……。
そうか、残酷だ。本当に残酷なんだ。そのまま連れ去ってくれれば良かったのにっ!!
子供に向かって自分から肉親への別れを選べだなんて!!
黒崎父さんの言ってた残酷は、俺の思っていた残酷よりも、もっと残酷だったんだ。
そりゃ、机も叩くよ。殴って叩き壊すよ……。ごめん、机さん。
俺には無理だから、ただ、泣くことしかできなかったけどさぁ……。
そうして泣いていると、母さんが、頭を撫でてくれてた。
なんだか、とても、子供になった気がした。
気がしたんじゃない。俺は母さんの子供だ。
「赤ちゃんが出来るとね、赤ちゃんの為だから~って、自分に言い訳が出来るのよ? とっても便利なの。鷹斗のためだから~って言い訳、母さんも一杯してきたのよ? だから、早く赤ちゃん作りなさい。赤ちゃんが出来るまで、母さん鷹斗の事を許さないから」
……これが、翔子ちゃんがお姑さんから毎日受けてきたプレッシャーか。
重いなぁ、これは重いよ……泣けるほど重たいよ……。