第二話 両親訪ねて十一年と幾光年
気が付くと我が家の前に立っていた。
宇宙人さんは常に唐突だ、心の準備をさせてくれない。
もちろん目の前にそびえたつのはオラが村の我が家ではない。
俺の生まれ故郷の我が家だ。十年間、腐り続けた俺の古巣だ。
外から見る家は、記憶にある風景そのまま、では無かった。
築十一年もすれば、それなりに家屋だって古びれる。
元々、俺が物心付いた時には建っていた家だ。さらに十一年もすればとてもとても古くなる。
部屋の中で十年、島で一年。
秋の季節に攫われたのだから、秋の季節に帰ってきた。
怖かった。でも、人の足は後ろに進むよりも前に進む方が簡単に出来ているものだ。
それに左右には支えてくれる二人の女の子だって居るんだ。
支えなければならない二人の女の子だって居るんだ。
「鷹斗さん? 大丈夫ですか?」
よっぽどな表情をしていたのだろう。
十年間、部屋の中に引き篭もっていたくせに、家の外から家の中に入ることがこんなにも怖いことだなんて思わなかった。
緊張で、嫌な汗が、背中一面を濡らしていた。
「大丈夫。二人が居るから、大丈夫」
翔子はそもそも帰る家を持たなかったし、シロ様は心配して付いてきてくれた。
廃人眼鏡は邪魔しちゃ悪いッスねと軽口を叩いて一人で自分の家に戻った。
あいつも、今、同じ恐怖を感じているのかもしれない。
一年間居なかった。もう、俺の部屋、俺の居場所は、この家の中には無いのかもしれない。
恐る恐るチャイムのボタンを押すと、ピンポーンと正解の音がした。
……やがて、家の中で人の動く気配がして、五十過ぎの女性が顔を出した。
俺が高校から十年間引き篭もり続けている間にも、時間は確実に流れていた。
記憶の中の母さんよりも、十一年分、老けた母さんが居た。
俺が、二十の半ばを過ぎているのだから、母さんだって、五十を過ぎた女性になっているに決まってる。
十年間、引き篭もり、その間、顔を合わせなかった空白の期間がなぜだかとても悲しく感じた……。
「えぇっと、どちら様かしら? 宗教の勧誘ならお断りですけど?」
「ちょっと待って母さん。確かに横太りしましたけど! 確かに十年顔を見せませんでしたけど! 息子です!! 貴女の息子です!!」
「え? 鷹斗? ……言われて見れば、そんな風に、見えなくも……でも、ウチの子は痩せてたわよ?」
「十年の間にメタボったのです!!」
十一年ぶりの我が家への帰郷は、色々と台無しだった。
十年扉を挟んで離れ離れ、一年恒星系を挟んで離れ離れでも、家族は家族だった。
我が家のリビング、これも十一年ぶり。
すっかり跡形も無く模様替えされていた。
「一年前に家出して……母さん心配したのよ?」
「母さん……」
「そんなことより、そちらの可愛い女の子二人を紹介して頂戴?」
……む、息子の帰宅が『そんなこと』で御座いましたか。
一年間ぶり、なのですが? 十年以上、顔を合わせて無かったのですが?
「た、鷹斗の~、じゃなかった。鷹斗さんの~……お嫁さん予定の雛森翔子です♪」
「あら! 凄いわね! 帰ってきただけじゃなくてお嫁さんまで!?」
雛森って苗字だったんだ……。
「わ、私も、お嫁さん予定のっ!! 黒崎鈴音です!!」
……そうだった。シロ様って翔子がワンピースと帽子の色からつけたペットの名前だった。
しかも、中身は黒崎とは……なんだか、お饅頭を思い起こさせるな。腹の甘い黒さとか。
「二人もなの~!? あらあら、鷹斗ったら成長したのねぇ……。母さん、嬉しいわ……娘が二人も出来るなんて」
嬉しいのは俺の成長ではなく、娘が二人出来たことでしたか。
十年間も母さんをシカトし続けたこの俺だ。このくらいの皮肉は甘んじて受けいれなければならないのだろう。
……しかし本当に皮肉だろうか? 母さん、天然なところあったからなぁ……。
そこからは荒唐無稽なSFのお話の連続だった。
一年前、見知らぬ島に攫われて、それからサバイバル生活を送ったと言う信じがたい話。
本当に、信じ難い話を信じてもらうのには本当に苦労した。
「でも、そんな過酷な生活を送ってたなら、どうしてウチの鷹斗は痩せてないのかしら?」
思えば、我が脂肪分が説得の邪魔をしたのは初めての出来事だったかも知れない。
最後には翔子とシロ様が二人がかりで説得にあたり、母さんから「鷹斗はあっち行ってなさい」の一言でハブにされた。
十一年ぶりの我が家、十一年ぶりの息子、なんだけどなぁ……。
庭の半分ガーデニングっぽい半分放置状態。
凝り性で飽き性な母さんらしい庭の風景に俺は苦笑いした。
母さんは変わってた。でも、変わってなかった。我が家は我が家のままだった。
やがて夕暮れ時が過ぎても女三人の会話は止まらなかった。姦しい。
俺の武勇伝や失態や失態や失態の話で盛り上がっていた。
退屈なのでテレビを付けるとカッコいいロボットに乗った少年少女が殺し合いをしていた。
……それだけ文明が進んでいながら、なんで殺し合いなんてしなきゃなんないのかね?
それもわざわざ子供を最前線の死地に送り出すとか……一周して面白いお話に見えてきた。
この世界の大人達は、自分達の振る舞いが恥ずかしくはないのだろうか?
子供達の背中に隠れている自分達を恥ずかしいとは思わないのだろうか?
そんな違和感からやっぱり興味が薄れてしまったので、ポチポチとチャンネルを変えると、遠い海の向こうで殺し合いが行われているというニュースが流れていた。その映像のなかでは十代半ばの男の子が無骨な黒い小銃をしっかり握って構えていた。
なんだ、あのロボットアニメはリアルだったんじゃないか。
若い子供を集めて殺し合い、大人は後ろで見てるだけ、リアル過ぎるよロボットアニメ。
二人の説得の末、夕食のメニューがすき焼きに決まったらしい。
いったい何を説得したんだ?
なんだか良くわからないが、俺はこの部屋でお留守番することになった。
四足歩行の動物をスーパーに連れてっちゃ駄目だからな。スーパーの前にリードで繋いでおかないと駄目だからな。
そうして俺は一年ぶりのテレビをぼーっと眺めていた。
事故があった、不幸があった、そんなニュースばかりだった。
動物の赤ちゃんが生まれたとか、美味しい食べ物の紹介だとか、そんなニュースばかりだった。
どこどこの芸能人がくっついたとか別れたとか、そんなニュースばかりだった。
普通の人の不幸はニュースになっても、普通の人の幸福はニュースにはならないようだ。
こうしてリビングのソファーでくつろいで居ると、いきなり怒鳴られてビックリした。
「お前は誰だぁぁぁぁぁ!!」
「お前の息子だぁぁぁぁ!!」
「ウチの息子は痩せてるぞぉぉぉぉ!!」
父さん、アンタもか……。
俺のメタボ力による説得力では110番を回避するだけで精一杯だった。
あの宇宙人さんの知性さえ凌駕した我が体脂肪が、この地球に戻ってきてからは敵になってばかりだ。
俺だって、十年ぶりに父さんの顔を見た時は、それが父さんだとは思いたくなかったんだよ?
十年間蓄えた脂肪と、十年間広がった額。どちらが代わり映えの禿げしかったことか。
前々、十年以上前から危ういなぁとは思っていたが、この十一年で父さんの額が立派な成長を遂げていた。その血を俺は受け継いでいるんだよな……。
男二人が居心地の悪い沈黙を保つリビングルームにニュースの音が流れ続けた。
女は三人集まれば話が止まらないけれど、男は二人だと話題が無ければ話さない。
「あら、お父さんお帰りなさい。そうそう、今日はビックリニュースがあるのよ? 鷹斗が帰ってきたの! ビックリでしょ!?」
うん、母さん、その話題、一時間ほど遅いよ。
すでに目の前に居るからね?
食事の間、父さんは何も俺に聞かなかった。
正確には女三人の会話に圧倒されて、男が口を挟む隙間が無かった。
確かに、俺の父さんだ。俺は確かに、父さんの息子だ。勝ち目が無い時は引き篭もった。
なるまでもなく俺達は貝だった。
夕食時という騒がしいひと時が過ぎ、そして、夕食後という騒がしいひと時が始まった。
……あの三人は二十四時間でも話し続けられるんじゃないんだろうか?
思えば丸一年。三百六十五日分の話題が二人にはある。
思えば丸二十数年。俺を育ててきただけの話題が母さんにはある。
話題が尽きるまでには一年の時間で足りるのだろうか?
俺はそんな女性達の会話をバックコーラスにしてソファーで寛いでいた。
「飲め」
父さんから差し出されたのはキンキンに冷えたビールだった。
思えば未成年のうちから引き篭もり、まともにアルコールを口にした機会なんて無かった。
「飲む」
受け取って、プルタブを開けようとして失敗した。
太った指にプルタブが上手くひっかからないんだ。
メタボに優しくない日本社会だ。
父さんが苦笑して開けてくれた。
初めてのビールの味は苦かった。ホロ苦いではなく、純粋に苦かった。
あの島で大人の階段を昇ったつもりだったけれど、舌は子供舌のままだったらしい。
あるいは、島の生活で薄味に慣れすぎたのかもしれない。今日のすき焼きも辛かった。
「一年間、何をしてたんだ?」
「それは、食事の間に二人から聞いただろ?」
「……鷹斗。父さんは、お前の口から聞きたいんだ」
「……解った」
ある日、目が覚めると砂浜に倒れていた、そこから始まる荒唐無稽な物語。
俺が島の中心のような存在にまで上り詰め、女の子二人のハートを射止める成り上がりの物語。
そして、三十年後に落ちてくる巨大隕石の絶望の物語まで、父さんは黙って聞いてくれた。
信じ難い話だろう。信じられる材料が、全く無いんだ。
「信じ難い話だな。でも、お前が女の子を二人も連れ帰ってくるほうがもっと信じ難い。急に娘が二人も出来て、父さんはビックリだ」
父よ……お前もか。
父さんは四捨五入すると六十に届くのかもしれない。
確か、母さんよりも何歳か年上だった筈だ。
三十年後に隕石が落ちてきても、その時には多分、この地球上に生き残ってはいないだろう。
女の人は少しばかり長生きだから、母さんは生き残っているかもしれないことが悔しい。
「鷹斗………………生きろ。この地球も、父さんも母さんも見捨てて良いから、その宇宙人さんの好意に甘えて新しい星で生きるんだ。行って、生き残れ。父さんの願いはそれだけだ」
……父さんは村長じゃないけど家長だった。
一本の太い大黒柱で、このメタボな俺すら十年も支え続けてくれた。
赤ん坊から高校生までを含めればおよそ三十年近くも支え続けてくれた。
その父さんが、自分達を切り捨てろと簡単に言い切った。
……村長として父さんに近づいたつもりだったけど、まだまだだった。
「うん、生きる。でも、まだ一年間の猶予があるから、向こうでちゃんと生き残るための準備をしたいと思う」
「そうか……お金の心配ならするな。鷹斗がまた学校に行きたくなったときの為に、ちゃんと貯金してあるからな? しっかりと親の脛を齧って行け」
「父さん……」
情けなかった。無力だった。結局最後まで、親に頼りきりの人生だ。
あの島で強くなったと思った俺は、まだまだ幼稚で無力で考え足らずだった。
父さんは、ちゃんと、俺のことを、十年間もずっと考えていてくれていたんだ。
ボロボロと涙がこぼれると、父さんが頭を撫でてくれた。
それは、とても、心地が、良かった……。
あの島では頭を撫でることはあっても、撫でられることってなかったからなぁ……。
その日は親子が三人、仲良く川の字になって眠りに就いた。
母さんと、翔子と、シロ様が仲良く川の字になって眠りに就いた。
女の子三人でのパジャマパーティだとか何とか。
父さんが夫婦の寝室を追い出され、リビングのソファーで泣いていた。
迂闊にも「は? 女の子?」と素直な感想を口にしてしまったらしい。
母さんが拗ねた。そして追い出された。
寝室の扉は父さんを絶対に通さんぞと内鍵まで掛けられた。
……枕と毛布を抱きしめた父さんの姿は、未来の俺の姿を思わせる哀れな男の姿だった。
うん、これは絶対に俺の父さんだ。鍵と違って締まらねぇなぁ……。
◆ ◆
二階にある一年ぶりの俺の部屋は、綺麗に掃除され、片付けられていた。
エロ本の類もキチンと整理されて、机の上にドンと鎮座していた。
……母さん、これはないよ。
俺が食事を摂らなかったため強引に鍵を壊して入ったらしく、ドアノブの部分は壊されていた。
ドアは内開きなので、母さんがわざわざ用意してくださったエロ本の束を重石にすることでキチンと閉じられた。
なんとなく島の生活を思い出した。
エロ本が、重石になった。見かた一つ、捉えかた一つで全てが変わった。
一年間電気を通していないデスクトップパソコンは電源が入らなかった。
流石に壊れたかと思ったが、掃除の為にケーブル類が一度引っこ抜かれ、そして、再接続されていなかっただけだった。ケーブル類がグチャグチャと、パソコンの裏に隠されていた。
……母さん。
グチャグチャになったまま影に隠されたケーブル類を一つ一つ繋ぎなおす。
文明から一年離れたぐらいでは機械の感覚を忘れるものじゃないらしい。
パソコンは無事に起動した。
インターネットを使い一年前のニュースを調べてみた。
だけど、千人規模の大量失踪のニュースは流れていなかった。
『非生産的な皆さん』、その表現がどれほど優しいものかに気が付いた。
的確な表現は『社会に不要な皆さん』だったんだ。
宇宙人さんが人間の心の細かな機微を捉えられたとは思えないけど、心を抉らないでいてくれたことには感謝しよう。
そして、急に他の皆が心配になった。
あの有人島では『非生産的な皆さん』だったが、この有人島では『社会に不要な皆さん』だ。
それも、一年間も行方を晦ました失踪者達だ。
……日本での生活が厳しければ、即時保護をしてくれると言った背景はこう言う事だったのか。
最悪の場合でも、宇宙人さんが保護して、何らかの形で居場所を用意してくれる。
俺には帰る場所があった。
翔子には帰る場所が無い。
シロ様はどうなんだろう?
廃人眼鏡の家族は受け入れてくれたのだろうか?
非童貞村長は? 残る二人の童貞は? 沙織ちゃんは大丈夫だろうか? あの好青年のゾンビ王子でさえ怪しい。
息が苦しい。心臓が痛い。皆を背負えない自分の無力が重苦しい。
あの島のパオもどきが崩壊して、今、一人一人の強さが試されていた。
宇宙人さんは自由意志による選択を俺達に求めた。
自由意志、つまり、一人一人に決断を求めたんだ。
俺達に選択の余地を残す優しい言葉だと思った。でも、本当はとても厳しい言葉だった。
俺に出来ることは……何もしないことだけだ。
島での生活と一緒だな……。
何もしない。拒まない。誘わない。肯定もしない。否定もしない。指示もしない。自分で決めてくれ。君の歩く人生だ。
君自身の人生を、君自身の背中で背負ってくれ。
それが、自由意志による選択、自由の代償なんだ。
……本当はとても厳しい言葉だったんだ。
やっぱり俺は鈍感だな。気付くのがワンテンポもツーテンポも遅いよ。
母さんの鈍感でワンテンポ、父さんの鈍感でツーテンポ。
確かにしっかりと血を受け継いだらしい。
島の生活では『鈍感』に助けられたことも多々あった。
それに『鈍感』じゃなければイジメにも出会わなかったし、二人にも出会えなかった。
……ありがとう。父さん、母さん。
階下のリビングから大きなクシャミの音がした。
……風邪、引くなよ?
◆ ◆
シロ様の家はそれほど遠くでは無かったのため、朝一で父さんが車を出してくれた。
有給をドンと使ったらしい。俺の記憶では会社ではそれなりに重要な役割の仕事をしているはずなのだが、俺達のために簡単に切り捨てた。責任感ある無責任だ。
シロ様の家、黒崎さんのお家は大きかった。豪邸だった。田園で調布だった。
父さんは俺に一言「頑張れよ」とだけ言い残して車で走り去った。あるいは逃げた。
近くでしばらく時間を潰してくるそうだ。
俺も一緒に逃げたいが、そうもいかない。
昨日は支えて貰った、今日は俺が支える番だ。
「シロ様、大丈夫?」
「……駄目です。怖いです。鷹斗さん、手、繋いで貰えますか?」
「じゃあアタシもっ♪」
三人で手を繋いで、仲良し三人組。これでもう怖いものは無い。
シロ様がインターホンを鳴らすと、黒崎さんの家から両親が揃って飛び出してきた。
骨髄の病気を患った娘が、一年の失踪、その後に元気な姿で戻ってきたのだ。
それはもう理屈では無かったのだろう。
両親がともにシロ様に抱きついて、感動の涙の対面を果たしていた。
「鈴音? こちらの方達は?」
「鷹斗さんは、私のお婿さんになる予定の男性です♪ 翔子ちゃんは、鷹斗さんのお嫁さんになる予定の女の子です♪」
しばらく、情報の整理のために時間が必要だったらしい。
俺にも必要だった。
シロ様のお婿さんが俺。
翔子ちゃんのお婿さんも俺。
三人で手を繋いで、仲良し(?)三人組。これでもう怖いものしか無い。
「鷹斗くんと言ったかな? ちょっと、鈴音の父として話があるんだが、家の中に入って貰えるかな?」
「翔子さんはどうぞ、鈴音と一緒にこちらの方へ、この一年間、何があったのか聞かせていただけますか?」
繋がれた二つの手がするりと離れた。そして僕は戦場で孤独になった。
駄目です!! 怖いです!! 誰か手を繋いでください!! お父さ~~~~~~~~~ん!!
無言とは、雄弁よりもなお雄弁に語りかけるものらしい。
ウチのような未だに若干ローンの残る一戸建ての庶民とは違い、上流の御方のオーラを黒崎さんは持ってらっしゃいました。オーラが下流に流れてきます。溺れそうです。
ただ、机越しに向かい合わせで座っている。
その事実だけで俺の心の屋台骨を削る素晴らしい威圧感。
今、俺と言う一人の人間の強さを試されていた。や~め~てぇ~。
「ウチの鈴音に、何があったのか、聞かせてもらえるだろうか?」
父さん。同じ父でも、色んな種類があるものですね?
きっと、ウチの父さんには永遠に身につけられないものをこの黒崎父さんはお持ちです。
「俺、いや私、シロ様……じゃない、鈴音さん、一緒、宇宙人、攫われた」
インディアン語再び。
そして我がメタボディと黒崎父さんのスリムマッチョボディの対比が、人としての上下関係の全てを物語っていた。
いかん!! 地球上では我が体脂肪は俺の敵にしかならない!!
「……続けて、くれるかな?」
渋いバリトンボイスだった。 俺も年をとれば……絶対に出せない声だな。
ウシガエルやヒキガエルの真似なら得意なんだけどなぁ。
「私、遠くの星、宇宙人、攫われた。そこで、一年、鈴音さん、一緒、過ごした。そして、今、帰ってきた」
我ながら頑張った方だと思う。
声を出せただけでも大戦果だ。
黒崎父さんは色々と考え込んでいるようだ。
一年前に失踪した娘、骨髄の病気、そして帰還。
それらを合理的に説明する術は、地球上に無いはずだ。
娘に似た何者かが娘のフリをしている?
あるいは娘を攫い、治療を施した後に何かの企みで返した?
アニメや映画の知識を総動員して黒崎父さんの頭の中を予想してみた。
結局は、どれもこれも宇宙人さんも含めて荒唐無稽なお話だ。
「他にも、何か、あるかな?」
他の情報……。
「三十年後、地球、巨大隕石、衝突。俺、いや私達、移民、選ばれた。宇宙人、人類、保管、計画」
「……それは、おかしくないかね? 仮にの話だが、宇宙人が移民を選ぶなら優秀な人材を選ぶはずだろう?」
俺も、そう思った。そしてさりげなくdisられた。
だけど、頭の良すぎる宇宙人さんにとっては地球人の無能も有能もあまり変わりなかったんだよね。
むしろ、突き抜けた無能の方が期待を裏切って大好評と言う始末だ。
「有能、人材。隕石、対策、必要。無能、人材、足手まとい。宇宙人、考えて、選んだ」
「有能な人材は巨大隕石の衝突対策のために必要だから、その足手まといとなる無能な人間を選んで攫っていったと言う訳だね?」
俺は、コクコクと頷いた。シロ様がうつったっぽい。
でも、シロ様ほど愛らしくは無い。
首を縦に振っているのか、アゴ肉で餅つきしているのか解らない。
「自分の娘を無能扱いされるのは癪に障るが、確かに、足手まといなんだろうね。そして鷹斗くんも……その身体つきを見る限り足手まといなんだろう。……失礼」
いえいえ、実に的を射てらっしゃるので失礼どころか大変助かりました。
流石はシロ様の御父上、とても聡明でいらっしゃる。
「……ステージⅣ。鈴音は骨髄の病気だと思っていたようだけれど実際は末期の癌だったんだ。骨髄から始まったのは確かだけどね? 未認可の治療を片端から受けさせて、やっとのことで余命半年を三年にまで命を繋いできたんだ……宇宙人だったね? 信じよう。最初から信じるほか無かったんだよ」
……末期、癌?
ははは、宇宙人さんのテクノロジーは、偉大だなぁ……。
余命半年の苦痛の中を三年間に引き伸ばして生きてきた?
ははは、シロ様も、偉大だなぁ……。
「優秀な人材は優秀だからこそ引き抜かれない……実に皮肉な話だ。引き抜いても社会に問題が無い人材だからこそ引き抜いて、念のために保存する。優しいのか、厳しいのか、わからない宇宙人だね……」
それは俺も思った。
宇宙人さんの思考はさっぱりだ。
「他にも何か情報があれば教えて貰えるかな?」
他……他はぁ……。
言うしか、無いんだろうな。
とても……とても残酷な話だ。
「移住、期限、一年。でも、選択、自由。地球、残る。移住、する。二択」
一年間、元気な娘と暮らして別れるか、一年間を越えて元気な娘と暮らし……巨大隕石に立ち向かうか。
ドカンと大きな音がして部屋中が痺れた。
そして、黒崎父さんの拳が高級な木目のテーブルに叩きつけられていた。
「残酷、だね?」
「残酷、です」
そして、怖いです。
テーブルが割れてます。その鉄の拳が怖いです。
暴力の無い世界で過ごすこと一年。暴力の根源的な恐怖を忘れてました。
「……日本じゃ無いんだ。一夫多妻制であることに、文句は言わないよ。ただ、日本人の父親として色々と言いたいことはあるがね?」
し、翔子にしか使えないと思っていた居竦みの術!?
「なに、いずれ娘は他の男の下へ旅立つものだと覚悟はしていた。旅立つ先が天国でなくなっただけでも感謝だ。他の星とまでは予想しなかったがね。有能な人材は引き抜かれない、無能な人材だからこそ君は引き抜かれた。……なら、今から君を有能な人材に作り変えても問題は無いわけだ。なに、父親が娘へ送ることの出来る最後のプレゼントだ……存分に受け取ってくれたまえ」
……父さん、貴方の学資資金に手をつけなくても良くなったみたいですよ?
これから一年、この俺に、どんな訓練が、待っているのでしょうか?
俺の両肩に掛かった、この黒崎父さんの両手が、とっても重たいです。色んな意味で重たいです。
「うん、君はこれから二人も妻を娶るんだ。なに、その分、二倍頑張れば良いだけのことだ。一日は二十四時間あることだし、教育の密度を上げればどうにでもなることさ。私にとって今の君は何処の馬の骨とも解らない男だけれど、一年後には見知った馬の骨くらいにはなるはずだ。一年は短い。さぁ、頑張ろうじゃないか!!」
こわぁ~い!! その笑顔がこわ~い!!
……この人、絶対にシロ様の血族だよぉ。
そして俺は携帯を取り出して父さんを呼んだ。せめて犠牲者を二人に増やすために。
◆ ◆
心の友、廃人眼鏡の犠牲を俺は忘れない。
教授とか、教授とか、教授とか、そういった肩書きを持った方々が、入れ替わり立ち代りで教鞭を奮って下さった。
それはただの学問ではなかった。
文化や文明をどうやって後世に伝えるべきか、その手段について話し合われた結果の学問だ。
結果、廃人眼鏡がただの廃人になった、
結果、俺もただの廃人になった。
生きたヴォイジャー計画だ。地球人類史、地球文明史を残すための生体記録装置。
まさか、縄文式土器造りの専門家なんて人が居るとは思わなかったよ……。
同時に人類に警鐘を鳴らす計画も立てられたが、こちらは頓挫した。
未だに発見されていない巨大隕石だ。警鐘の鳴らしようがなかった。
発見されているのかもしれない。だが、どれがその隕石かも解らない。
鈴音ちゃんことシロ様という物証があっても、それでも全人類を動かすには完全に力不足だ。
黒崎父さんでさえ匙を投げた、それほどまでに人類とは度し難く動かし難いものだったんだろう。
たとえ公表したとしても1%を満たすことが無い。宇宙人さんの予言は的確で残酷だった。
衝突する『かもしれない』巨大隕石が発見され、その後でなら鈴音ちゃんという生きた物証もほんの僅かには効果を発揮するのかもしれない。だけどそれは、確実に助かる道を選ばず、ほぼ確実に死に到る道を選べと口にすることと同じだ。
全人類のためなんだから娘の一人くらい犠牲にしろ、ある学者先生が口にしたそんな意見に対して、黒崎父さんは、そんな犠牲を求める世界なら滅びろと親指を下にして答えた。カッコ良いなぁ。
ウチの父さん?
やる気満々だったのに、全てを黒崎父さんに持ってかれてションボリしてた。
……解る。これが俺達の血筋なんだね、父さん。




