夢の残り
夢を見ました。
本当に久しぶりに夢を見ました。
とても幸せな貴女の夢を見ました。
忘れかけていた貴女の顔を思い出せました。
忘れかけていた貴女との大切な記憶を思い出すことができました。
とてもとても暖かな夢でした。
静まりかえった病院の廊下。
肌寒い季節になってきたから、新調したコートは病院の中では少しだけ暑かった。
窓から見える夕陽は街に溶ける様に染み込んでいき、一日の終わりを告げようとしていた。
だから少しだけ走った。なるべく長い時間、一緒に居たかったから。
手にもったお土産のクッキーを崩さないように、大切に抱えて走った。
木で出来た病室のドア。
右上に掛けられた白いプレートに彼女の名前を確認してドアを開ける。
その瞬間、冷たい風が流れた。
学校の教室くらいの広さの部屋。大きめの窓の近くに置かれている白いベッド。
その横にある古びた木の小物入れ。上に載っている花瓶には毎日違う綺麗な花。
この部屋が彼女の世界で全てでした。
病室の大きな窓は開いていて、冷たい風と悲しいくらいに綺麗な夕陽を運んでいた。
いつもの様に窓際まで行き、風で揺れるカーテンを纏め、窓を閉める。
終わったあとは、ベッド脇の水色の背もたれがないイスに腰掛けた。
彼女はゆっくりと上半身を上げる。少し大変そうだったから、右手を差し出して少し引っ張た。
ありがとうと小さな声で言って、起き上がった。
夕陽に照らされてるその顔は綺麗だったけど、どこか寂しいものだった。
毎日、何でもないことを話す。学校のこと、友達のこと、家のこと。
何を話しても優しく笑って聞いていてくれた。
それが凄く嬉しくて楽しい。
でも今日の彼女はいつもと何かが違っていた。
クッキーを食べていても、話をしていても何故か上の空だった。
結局その日は、話が上手く噛み合わないまま帰った。
何か大切なことを言おうとしたんじゃないだろうか。
何か僕が悪いことをしてしまったんだろうか?
そんな考えばかりが頭に浮かんでは消えた。
次の日、また同じように学校の帰りに病院に寄った。
いつもなら、家に帰るように気軽に行けたはずの病室。
でも今は、正体が分らない緊張感に包まれていた。
プレートの名前を確認して、少し汗ばんだ手でドアを開けた。
やっぱり、冷たい風が流れていった。
どうも心配のしすぎだったようだ。
今日の彼女は僕の知っているいつもの彼女。
つまんない話を飽きることなく聞いてくれる彼女。
少し意地悪なことを言えば膨れる彼女。
そのいつもの彼女に凄く安心した。
その彼女が珍しく自分から話を切り出してくれた。
何でも、今日が誕生日であったらしい。
大分、小さな頃から通ってはいたけど、誕生日を祝ってあげたことはなかった。
というよりも、知らなかった。
何かプレゼントしたい。
そう思っていた矢先、面会時間の終わりを告げるブザーが鳴った。
窓からは綺麗な蒼い月が見える。
雲ひとつない夜空で浮かぶ満月はいつもより綺麗に見えた。
その綺麗な月夜を、彼女と二人、病室で眺めていた。
今日は朝までいてほしい、彼女にそう言われた。
当然、僕は何の問題もないと言って、今、この現状。
もちろん、病院の人に見つかったら色々、面倒なことになる。
それはお互い分っていたことではあった。
でも、彼女と過ごせるまったりとした時間に比べれば軽すぎるリスク。
はっきり言って、気にもならなかった。
彼女が一冊のスケッチブックを見せてくれた。
表紙だけだけど。
それは、たまに彼女が絵を描いていたスケッチブック。
うすい茶色で両手にすっぽりと収まるほどの大きさの。
彼女は僕の似顔絵を描きたいと言ってきた。
少し困ったけど、真剣に何度も頼むから仕方なしに了解した。
窓に映る月を背景に彼女は絵を描き始めた。
イスに座っている状態とはいえ、少し冷えるし、背中にあるはずのない視線を感じる。
ちょっと怖い。
でも、彼女が見せる真剣な表情の前では何も言えなかった。
いや、ちょっと違うかもしれない。
単純に僕のために彼女が何かしてくれている、そんなことが嬉しかったのかも知れない。
一時間ほどで絵は終わったらしい。
彼女に絵を見せるように頼んだけど、ダメだと断られてしまった。
近いうちにもう一度、頼んでみよう。
また、まったりとした時間が流れる。
月は静かに輝いて、僕を夢心地にさせる。
少し恥ずかしいけど、彼女の膝に頭をおいていた。
俗に言う膝枕。
そんなにいいものなんだろうかとドラマか何かを見た時に疑問に思ったことがあるが、
イイ。
その一言に尽きる。
上手くは言えないけど色々と暖かいのだ。
体だけじゃない。青臭いセリフだが、心まで暖かくなれる。
暖かくて優しくていい匂いがして。
僕の人生の中で一番、幸せな時だと、確信できた。
本当にそう思った。
時間がたつにつれて少しずつ睡魔が襲ってきた。
このまま眠っていいと言われて遠慮なく目を瞑った。
頭に乗せられた暖かい手。
そんな優しさも手助けしてか。意識がすぐに溶けだしていった。
溶けていく意識の中で彼女へのプレゼントを必死に考えていた。
考えてはいたけど、どうもいい案が浮かばず、僕は眠りについた‥‥。
”いってらっしゃい”
笑顔の彼女の見送りで駆け出した。
既に遅刻確定の時間で、今日はサボれない授業ばかりが密集している。
良いことがあれば悪いことがある。
身をもって知る事となった。
急いではいても、彼女の誕生日プレゼントで頭はいっぱいだった。
夕焼けに染まった廊下を走る。
手にもった小さな箱の中身を崩さないように気をつけながら。
結局、買ったものは一つのショートケーキ。
ホールで買ってあげたかったが、全く持ち合わせがなく、この1カット分のしか買うことが
出来なかった。
だから、半分に分けよう。小さなケーキを彼女と半分で。
だから、プラスチックのフォークを二つもらってきたのだ。
でも、イチゴは彼女にあげよう。丸々一個。
そのために厳選して大きなイチゴが乗ったケーキを選んだのだ。
一日遅れの彼女の誕生日。精一杯、祝ってあげたい。
ケーキを持っていけば驚いてくれるだろうか。
いつもよりもいい笑顔で笑ってくれるだろうか。
頭の中はそんな楽しい考えばかりで一杯だった。
だから、分らなかったのだ。
病室のドアの右上にプレートがないことも。
ドアを開けたときに冷たい風が流れてこなかったことも。
いつもの当たり前がわからなかったのだ。
夕暮れの病室には何もなかった。
古びた小物入れも
花瓶に飾られた綺麗な花も
何にもなかった。
ただ一つ、僕を迎えてくれたのは一冊のスケッチブック。
うすい茶色のスケッチブックが無造作に置かれていた。
何気なく、開いて見てみる。
そこには病室から見える風景が描かれていた。
花に満たされた春
星がたくさん見えた夏
紅葉に彩られた秋
純白の雪が降った寒い冬
全て彼女が描いたものだった。
そして、それは最後のページに描かれていた。
少し似ていない僕の似顔絵。風景画は上手なのに。
色は、はみ出しているし、顔のパーツの位置が微妙に違う下手な絵。
ただ、絵の中の僕は本当にニッコリと笑っていて、とても幸せな顔をしていた。
とっても暖かい絵だった。
その絵の右下に、彼女の言葉が綴られていた。
”ありがとう”
一言だけそう綴られていた‥‥。
夢を見ました。
本当に久しぶりに夢を見ました。
とても幸せな貴女の夢を見ました。
忘れかけていた貴女の顔を思い出せました。
忘れかけていた貴女との大切な記憶を思い出すことができました。
貴女が描いてくれた似顔絵を僕はいつまでも大切に持っています。
結局、ケーキは半分こにすることは出来なかったけれど。
貴女にはたくさん大切な物を貰いました。
とても言葉には表せない大切な物です。
だから、一言だけ。
一言だけ言わせてください。
ありがとう、と。