異国食堂 なじみ
夕暮れ時。
太陽が地平線の彼方へと傾く頃。
現場内に響き渡る一日の終業を知らせる鐘の音に街の労働者たちは手を止めた。
汗と泥で汚れた服もそのままに、脱いであった上着片手に男たちは次々と現場を後にする。
「おい、今日はもう終わりだろう? 一杯やって行かねえか?」
「そうだな。今日はかみさんも出かけてていねえし……どっかに寄ってくか」
給金の中から一日の終わりに労働者たちが酒を飲む姿はこの街では見慣れたもの。
労働者が一日の酒代に充てられる額は決して多いとは言えない。それでも彼らは家族に残す分を除いた給金の中から自分の裁量で酒を飲む。
共に汗を流した仲間と飲む酒は一日の終わりを表す慰労であり、また明日から始まるきつい仕事への活力でもあった。
一日酷使した重い体を引きずりながら現場を後にすると、二人は帰り道にある飲み屋を捜す。
すると前からよく現場で顔を合わせる馴染みが歩いてくるのが見えた。
「おす、なんだお前も今帰りか?」
「おおっ。そういうお前らもか!」
いつもは疲れたような顔をしている馴染みは、なぜか今日はその声に活力が溢れているように感じられる。
肉体労働を終えた一日にしては妙な様子に、二人はやや困惑の表情を浮かべた。
「どうしたんだ。仕事終わりにしては嫌に元気そうじゃないか」
「そうかっ?」
「おお。普段は萎れた青菜みてえなおめえにしては珍しいじゃねえか。なんだ、今日の仕事は楽だったのか?」
馴染みは二人の目の前で手を振りながら「違う違う」と笑って否定した。
「今、飯を食ってきたばかりだからじゃねえかな?」
「飯を?」
「嘘言えよ。そんなくらいでそんなに元気になるわけねえじゃねえか」
「いやいや、本当なんだって。今、噂の元気がつく異国料理ってやつを試してきたんだよ」
二人もその噂は聞いたことがあった。
数日前から同じ現場で働く仲間内で話されていたものだ。
何でも食べれば一日の疲れも吹っ飛ぶような活力がつく異国料理を出す店が最近出来たと噂になっていた。
「おいおい、あの噂本当だったのかよ……」
「ああ、俺も半信半疑で行ってみたんだが、マジだ。あの店の料理を食ってから体がぽかぽかあったかくなって、腹の底から力が溢れてくるみたいになりやがる」
「いや、だけど、お前よく食えたな。そんなに効果のある料理だ。さぞ高いんだろう?」
馴染みは真面目な顔で首を横に振った。
「いや、それがそんなに高くねえんだ。一食の飯代よりはたけえが、料理に加えて、酒とツマミもついてくる」
「ホントかよ」
「ああ。それにその酒も俺たちが普段飲んでるような安いエールじゃねえ。今まで最高に美味い酒だ」
「どんな酒なんだっ?」
すでに二人は食い入るように男の話を聞いている。
噂の料理に酒、二人の興味は最高に高まっていた。
「なんて言やあいいのか……もう全然違えんだ。キンキンに冷えててよ。口に含むとフワーッと鼻に香りが抜けて、飲めばサーッと喉を超えてくんだ。普段飲むような生ぬるいエールとは比べ物になんねえよ」
「「(ゴクッ……!!)」」
気付けば二人は生唾を飲み込んでいた。
日が暮れようとも時期的にまだ気温は高く、夜は蒸し暑い日も多い。
冷え切ったアルコールの誘惑は二人の本能的な欲求を激しく刺激した。
「そ、それで肝心の料理はどうなんだ?」
「そ、そうだ。どんな料理なんだよ」
待ちきれないとばかりに二人は馴染みに詰め寄った。
「そうだな……見た目は俺たちが良く食う、オウワン――――スープに小麦粉で練った麺を浮かべ、野菜の切れ端を入れた大衆料理――――によく似てる」
「オウワンか……」
「俺はあれ嫌いなんだよ」
オウワンは前日のスープの残り物で作り、翌日の朝食にすることが多い。
手軽に作ることができ、また大変安価なため貧しい家庭ではよく食べられるが、麺は小麦を練っただけで腰は無く、またパサパサとしているために間違っても美味い料理ではない。
残り物の片付け、時間が無い際に簡単で手軽に作ることが出来る料理としての側面が強い。
期待を膨らませていただけに二人の表情にはややがっかりとした色が浮かんでいる。
しかし男はそんな二人にきっぱっりとした表情で言った。
「だがオウワンとはまるで別物だよ。メンもスープも、中に入っている野菜もまるで違う」
「そんなにか……」
「その料理は美味いのか?」
「美味いなんてもんじゃねえさ。とんでもなく濃くて旨みが強いスープに、シコシコでもちもちしてるメン。上に乗ってるはシャキシャキの野菜にタマゴ、それと肉の薄切り……チャーシューっつたかな? これがまた美味いんだ。口に入れた瞬間、ホロッと溶けるんだよ」
「思い出したらまた食べたくなってきた」と馴染みの男は服の袖で口元をぬぐう。
どうやら普段食べるような簡素で粗雑なメン料理とはまるで違うらしい。
話を聞いているだけで二人の口の中には唾液が溢れ、気付けば無意識のうちに喉を鳴らしていた。
「それでそれは何て料理なんだっ?」
もう我慢できないとばかりに、二人は駆け出し始めそうな体を押しとどめ、料理の名前を男に尋ねた。
「ラーメン。その料理はラーメンって言うらしい」
馴染みに店の場所を聞いた二人は、疲れた体など関係ないとばかりに駆け足で店に急いでいた。
路地を抜け、大きな通りを抜け、そして通りの裏手の道に入るとすぐにその店は見えてきた。
「うわっ、これはすげえな」
店の前に出来ているのは長く伸びる行列。
既に店の敷地をはみ出し、隣、そのまた隣の店の前にまで行列は伸びている。
通りに接した店であれば通行妨害になることは間違いない長さであった
まだ伸び続ける行列。二人は慌てて列に並んだ。
列に並んでいるのはそのほとんどが二人と同業者か、また仕事終わりと見える男の労働者たちばかり。
やはり噂は本当なのだと肯ける。
そして落ち着いてくると、二人は辺りに漂う香りに驚きの声を上げた。
「なんだっ。この美味そう匂いは」
「すげー、こんな匂い嗅いだ事ねえよ」
辺りに漂うのは表現のしようがないほど濃くて旨みに満ちた香り。
刺すような刺激臭でも、柔らかなふんわりと匂いでもない。ただ食欲に直撃するような、食欲を引きづり出すような暴力的なまでに本能を刺激する香りだ。
ひとたび嗅いだ瞬間から二人の口内にとめどなく唾液が溢れてくる。
半刻(およそ三十分)ほど待つと、二人の番が回ってきた。
ドキドキと高鳴る心臓をおさえ、店の中に一歩踏み入る。
店はまさに大衆食堂という表現がふさわしいものだ。ところどころが剥げた壁紙に、年期を感じさせる椅子やテーブル。
間違っても美しいとは言えないが、裕福な家庭で育ったわけではない二人には、時代を感じさせる内装がむしろ落ち着きと安らぎを与えていた。
二人が通されたのはカウンター席。
「いらっしゃいませ」
席に着くと、二人の前に給仕の少女が現れた。
驚くことに、少女の顔は二人が目にしたことの無いほど整っていた。
小さな卵形の頭部に、切れ長で涼やかな眼元。肌は日を浴びたことが無いのではと思うほど白く、小さなピンク色の唇がその美貌に彩りを添えていた。
やや無表情で感情が感じられないところが減点だが、むしろその美貌と相まって人形のような美しさを作り出していた。
その美貌に声を失っている二人を後目に、少女は二人の前にお冷を入れたグラスを並べる。
二人は目の前にグラスが置かれると、ハッと意識を取り戻した。
「おいおい、俺たちはまだ何も頼んでないぞ」
この街は水源から離れた位置にあり、水は貴重品だ。
水はれっきとした商品で、金を払って買う物であるというのが二人の常識だった。
ポンと目の前に置かれた身に覚えのない商品に、二人が狼狽していると、抑揚のない声音で給仕の少女は言った。
「これは本店からのサービスでございます。お変わり等は自由ですので、好きなだけお飲みください」
そう言って、少女は二人の前に並々と水が入った水入れを置いた。
「それからご注文の方になりますが、当店で出している料理は一品だけになりますがよろしいですか?」
二人は貴重品が飲み放題だと驚き冷めやらぬ中で、「お、おう」と返事をした。
噂の料理を食べに来た二人にとっては、むしろ迷う必要が無いだけにありがたい申し出でもあった。
「料理を注文されたお客様は、五〇〇コルでお酒と肴をお付けすることも出来ますが如何ないますか?」
聞いていたように、普通に呑むよりも確かに安い。
二人はそれぞれジョッキで酒を注文し、先に料理と酒を合わせた代金を支払う。
食い逃げなどを防ぐためにこの世界では料金の先払いは当たり前のルールだ。
「かしこまりました。それでは少々お待ちください」
給仕の女性が見事な一礼を披露してその場を離れると、二人はどちらともなくグラスに口をつける。
「っ、うまい!」
「ホントだ。うめえな!」
サービスと言っていたので正直期待していなかった二人だが、口にした水は普段口にしている水よりも数十倍はうまい水だった。
軽く柔らかい口当たりに、サッと喉を通る際の清涼感。
何よりもその冷たさに、二人は驚いた。
水を冷やすには氷もしくは冷却の効果を持った魔道具が必要になる。この手の魔道具はかなり高価で、貴族御用達の高級店でもない限りまずお目にかかることはない。
ましてや二人が暮らすこの辺境の街にあって良いようなものではないはずだ。
そうこうしているうちに、給仕の少女がジョッキと小皿を抱えて戻ってきた。ジョッキには十分な酒が注がれ、小皿の上には薄くスライスされた肉のような物が乗っている。
「お待たせ致しました。当店のエールは普通のエールに比べると酒精が強いですので呑まれる際は十分お気を付け下さい。それとこちらが、当店特性のチャーシューでございます。それではごゆっくりお楽しみください」
二人はジョッキを手に持つと、今日一日の終わりを労いあう。
「じゃあ、今日も一日お疲れ様。カンパイ!」
「おう、カンパイ!」
ジョッキを打ち合わせ、口元に運ぶとグッと大きくあおる。
思わずその酒精の強さにむせ返りそうになるが、それを押しとどめてゴクゴクと喉を鳴らしていく。
冷えたエールが喉を通り、胃袋に落ちていく心地良さ。
アルコールが全身へと回る感覚に、二人は歓喜の声を上げた。
「ぶはっ!! たまんねー!」
「美味い酒だ。こんなに美味い酒は飲んだことがねえよ!」
二人は思わずマジマジとジョッキを見つめた。
冷たさに、飲んだ後喉を抜けていく心地良さ。舌触りも滑らかでこれが本当にエールなのかと疑いたくなるほどだ。
何よりも、そのアルコールの強さに二人は驚いた。
普段二人が口にする物よりも何倍も強い酒精。せき込みそうになるほど強い酒精は腹に落ち後、強烈な熱となって全身へと回る感覚は慣れてくると癖になりそうだった。
二人が飲んだのはドワーフ国産エール「宴の前菜」。
ドワーフたちが宴の初めまりに必ず口にする酒で、いわば食前酒のようなもの。それでもアルコールに強いドワーフならともかく、人間にとっては普通の酒よりも酒精が強く、十分酒として満足できる逸品である。
なによりも「酒好きのドワーフ」と言われるだけあって彼らが手がける酒たちはどれも一級品。人間の国では流通量の少ないドワーフ国産の酒を出すことが出来る店など、人間界でも十指で足りるだろう。
「うおっ、なんだ。この肉も滅茶苦茶うめえ!」
「口ん中で溶けやがる。何の肉だこれは……」
チャーシューを口にしてまた歓声を上げる二人。
二人が口にしたチャーシューは、獣人国産の「ヒエルブタ」を数種類の野菜と調味料をブレンドした特性のタレに漬け込んで作った店主自慢の一品。
「ヒエルブタ」は高い隠密能力と個体戦闘能力を持ち、狩猟民族である獣人国家であれば普通に流通している食材だが人間界では流通どころか、まずお目にかかることの出来ない高級品だ。
「ヒエルブタ」のチャーシューを肴にゴクゴクとエールを飲む。
チャーシューと冷えたエールという凶悪な組み合わせは仕事終わりの二人の胃を直撃し、えも言われぬ満足感に浸らせた。
「あー、今日も頑張ってよかったな」
「本当にな……」
ある程度腹も落ち着いてくると二人は酒のペースを落とし、店を肴に話に花を咲かせた。
店自体にやや古い印象を受けるものの、目の前の調理場に置かれた料理器具たちは素人の目から見ても丁寧に扱われているのが分かる。
料理を頬張っている他の客たちも皆が幸せそうで、何とも幸福な気分にさせられる。
そして何より二人が注目したのは噂の料理を作る店主だった。
「おいおい、随分若いな。三十、いや二十代ってとこか」
「ああ。異国人だろうな」
店の店主は若い男だった。
この街では珍しい褐色の肌に黒い髪。明らかな異国の民の風貌だが、純血の貴族でもない限り平民には珍しいものでは無い。
普通ならこんな若造が作る物など金を払ってまで食そうとは思わないが、料理を作る動作に淀みは無く、何よりも横顔から見て取れる真剣なまなざしが、料理に対して真摯に取り組んでいることをうかがわせる。
従業員は先程の給仕の少女と異国人の店主二人だけのようだった。
「で、あれが噂のラーメンか……」
二人の視線の先では一人の客が、湯気が上がる大きなどんぶりを手に持って、器に覆い被さるように噂のラーメンを食している。
ガツガツと一心不乱に貪り食うという表現がふさわしい食べ方に二人は無意識のうちに喉を鳴らした。
「て、店主、俺たちにも料理を貰えないだろうか!」
辛抱たまらんと、二人は他の客に料理を出していた店主に声を掛けた。
店主は一度手を止めると、その鋭い視線を二人に注ぐ。
「……お客様、お酒はもう召し上がりましたか?」
「あ、いやまだ少し残ってるな……」
「では飲み終わってから声を掛けてください。当店の料理はお酒を飲み終わった後の方が美味しいですので」
二人はキツネにつままれたような表情で顔を見合わせた。
普通は酒を飲むとあまり料理は食べたくならないものだ。酒を飲んでから美味い料理など、二人は聞いたことがなかった。
しかし店の店主がそう言うのならと、二人は残っていた酒をゆっくりと飲み干す。
すぐにでも飲みきって料理を食したい気持ちもあるが、出されたエールの旨さを考えると安酒のようにいに流し込んでしまうのは勿体ない気がしたのだ。
そうしてジョッキを飲み干すと、アルコールが回って来たのか、体はポカポカと内側から温かくなり、足元がふわふわとして落ち着かない。
この世でラーメンが最もうまいと感じるのはいつか。
空腹時か。何か腹に入れた後か。
この店の店主は迷わず「酒の後」だと答える。
二人が酒を飲みきったタイミングで、店主が湯気を立てるどんぶりを手に持って戻って来た。
「お待たせしました。当店特製「なじみ風醤油ラーメン」です。熱いのでお気をつけて」
ホカホカと湯気を立てるどんぶり。
それを引き寄せ、二人はしばしその器に注視した。
まず目に付くのは驚くほどきれいな盛り付け。円形の器に沿うように先程のツマミの肉――――チャーシューが薄切りにして敷かれ、その中心部分には緑が美しい野菜が天高く起立している。
労働者たちが食べる料理は粗雑な物が多い。それなのにこの料理は噂で聞いた貴族の宮廷晩餐のように盛り付けにも美しさが感じられる。
そしてなにより器の端に盛り付けられた半熟の卵。
普段彼らが目にするような雪のように白い卵ではなく、何かに漬け込んでいたのかその表面は薄く色が付き、トロリと垂れた黄身が何とも食欲を刺激してくる。
「じゃ、じゃあ早速……」
「ああ。いただこうぜ……」
悪魔に魅入られたように二人は半分うわの空で言葉を交わすと、どんぶりに付いていた匙を取った。
黒に近い透明度のあるスープを一口分すくい、口元へと運ぶ。
複雑で濃厚なスープの香りが鼻腔を刺激し、味への期待をこれでもかと言うほど高めてくる。
すでに上がり気味の口角を隠すように匙を傾けると、ズッとスープを啜りこんだ。
「うおっ……!?」
「おあっ……!?」
芳醇な香り。
見た目はコッテリしていて一口目の味も期待通りだが、後味は決してくどくない。
獣人国産の「ルグル」の牛骨と、魚人国産「花カツオ」、「青コンブ」で取ったスープはまろやかでありながら圧倒的な旨みを誇り、一度口に含むとその香りが口の中で広がりやがて鼻に抜けていく。
そして何より味の決め手――――ラーメンのタレに使われているのは、東の果ての森に住むと言われるエルフが栽培した豆から作られる「エルフ醤油」と「エルフ味噌」、その他数種類の調味料。
それらを合わせることによって濃厚でありながら、後味がさっぱりとしたラーメンのスープが出来上がる。
後味がくどくないがために、もう一口、もう一口と癖になるのだ。
次に取り掛かったのは器の中央に高くそびえる野菜。
口に含んだ瞬間からシャキシャキと歯触りがよく、ラーメンとは別に調理したのか、僅かにごま油の香りがする。
次に口にしたのは器が見えない程敷き詰められたチャーシュー。
先程よりも薄く切られたチャーシューは口に含めば、ツマミの時よりも簡単にほどけ、何よりシャキシャキとした野菜との相性が抜群だ。
「おお、これがメンか……」
「すげー……光を浴びて輝いているみてえだ……」
スープの中からすくいあげたメンは二人が知るものとは似ても似つかない。
普段二人が食べるメンは箸ですくうとすぐに切れてしまう。
しかし、このメンは箸を押し返すほどの弾力に、その表面は美しい光沢を帯びている。
料理のメインに、二人は覚悟を決めるかのようにゴクリと唾液を飲み込むと一気にメンを啜りあげた。
「「――――ッ!!」」
歯を押し返すほどの弾力。
それでいてチュルリと入る表面の滑らかさ。
一度噛み締めれば、何とも言えない小麦の香りが。
スープとの相性も抜群で、少し太めに作られた麺がとてもよく絡んでいる。
小麦には農耕を得意とする妖精【ホビット】作った物を使用し、麺を練るのに使われているのは、幻の水とまで言われる妖精国産の名水「水妖精の涙」。
その他、数種類の粉を練り合わせ、数日間寝かせたものがこの「なじみ風特製麺」である。
二人はしばし言葉を忘れ、ガツガツとラーメンを食していく。
酒だけで空っぽの胃にラーメンが落ちると、ドーンとした幸福感が押し寄せる。酒の後の方がラーメンはうまいと言った店主の言葉は本当だったなと、思いながらも箸を止めることが出来ない。
やがてスープの一滴まで飲み干すと、二人は満足の息を吐いた。
「あ~……」
「すげー美味かったな……」
言葉に出来ない充足感。
体はポカポカと温かく、馴染みが言っていた通り、腹の底から力が溢れ出て来ている錯覚すら覚える。
いや、事実、この料理を食べてから明らかに疲れが消えている。今ならもう一仕事できそうなほどだ。
ボリューム満点で、疲れが吹っ飛び、明日への活力が湧いてくる料理。
これ程労働者に適した料理は無いだろう。
むしろ、労働者のために作られたのではないかと思うほどだった。
二人はどうしてもこの料理の秘密が気になってしまい、ダメで元々と、店主に尋ねた。
「「鬼にんにく」です。この「なじみ風醤油ラーメン」には「鬼にんにく」にすりおろしを大量に入れてあるんです」
「鬼にんにく」は北の国でしか取れない特殊なにんにくである。
大量の栄養を吸い上げ成長するこの食材は、一粒に普通のにんにく数十個分の栄養が含まれていると言われている。
一口食べれば鬼の怪物、オーガのように数日間は不眠不休で働けるという話から、鬼が好んで食べるにんにく「鬼にんにく」の名前がついたと言われている。
「ごちそうさま」
「うまかったよ」
「ありがとうございました」
抑揚の少ない給仕の少女の言葉を背中に、二人は店の外へと出た。
少しだけ軽くなった財布と、それ以上に重くなった腹で二人はそれぞれの家を目指す。
「しかし、もう店仕舞いとはな……」
「ああ、もう一回くらい食ってみたかったよな」
二人の声に残念さが滲む。
あの食堂は数日だけの限定開店であると二人は帰り際に店主をしていた異国風の青年から聞かされたのだった。
「旅の料理人だっけか」
「あちこち、それこそ異種族の国や村まで回って食材を集めて料理を作ってるらしいな。いや、すげーもんだよ。あんな若さであんなにうまいもんが作れるんだからな」
店主の話によれば、もう数日ほどでこの街を出て次の目的地を目指すという。
月夜の街を、二人は言葉少なに歩く。
やがてどちらともなく、口を開いた。
「……明日、もう一回行ってみねえか?」
「……そうだな。次いつ食えるか分かんねえからな」
こうして辺境の街からとある噂が流れるようになる。
これまで目にしたことも無い変わった料理の店。
異国風の青年と、美しくも愛想の少ない給仕の少女が営むその店は、これまで口にしたことの無い摩訶不思議な料理を出すと……。
店の名前は「異国食堂――なじみ」。