精霊の本質(『メンヘラ妹は関係ありません』の別視点)
『メンヘラ妹は関係ありません』の、舞踏会主催家の次期公爵視点です。
sideポンパール次期公爵
ある日突然、その衝撃的な情報が貴族社会を振動させた。
次期王妃候補筆頭である公爵令嬢がいきなり病に倒れて、辞退する事になったのだ。
それを耳に入れた時、不謹慎だと分かっていながらも、俺は厄介な問題が解決したような爽快感を覚えた。
その数日前まで元気でふてぶてしい姿をこの目で見たので、その病とやらが本当であるかどうか窺わしい。偽りである可能性のほうが高いだろう。
だが、その真相など問題ではない。大事なのは一つ…ただの一人だ。
これで、姫の苦しみが無くなるな。
いつも憂いを帯びた微笑を向けてくれる可憐な美少女。まるで精霊のような容姿。何より奇跡のような無垢な性根。次期王妃候補の一人であると知っていても俺は惹かれずにはいられなかった。
そんな彼女の悩みは全て一つ上の姉だった。彼女は全身で姉を慕っているのに、姉は事あるごとに彼女に強く当たる。それをグッと歯を食いしばって耐える表情を見るたびに、俺は彼女の姉に対して負の感情が沸き起こる。
稀有な彼女に惹かれる者は自分だけではない。まるで花に群がる蝶や蜂のように、男だけでなく女性も彼女の傍に群がっていた。彼女を至上の存在だと崇めていた彼らは自分と同じように彼女の姉に対して良い感情を持てなかった。騎士団長を勤めている者に至っては刺殺さんとばかりの殺気染みた視線を常に送っていた。
『お姉さまは何も悪くないんです。私が……私が全て悪いのです……』
などと無垢で慈悲深い事を常に口にする彼女。この世にある悪意と言うモノを彼女は理解しないのだろう。何故なら彼女自身がそれを持ち合わせていないから……。
ならば自分が彼女を守ればいい。そうすればいつまでもこの汚れなき魂は美しく輝き続けるだろう。
そして、今回、一番の汚れ切ったエゴ丸出しの彼女の姉が排除された。
どう言う流れでそうなったのか知らない。
案外、次期王妃の座に相応しくないと王室の方から内密に排除されたのかもしれないな。あれほど悪評高かったんだ。打算的で強欲だった女性がこの国の王妃になどなってもらっては困るからな。やはり、姫のようなお方こそ、誰もが慕う心優しい王妃になれるってモノだ。
そんな事を思っていた俺は、まずは彼女の元に駆け付ける事にした。いくら悩みの種だったにしても、慈悲深い彼女の事だ。心痛めているに違いない。
その他に彼女への手土産の花束を侍女に依頼しつつ、身なりを整えていると部屋の扉をトントンとノックされる音が聞こえてきた。
来客は母だった。自分のような大きい息子がいるとは思えないような美女だが、性格は中々強烈である。貴族の女社会を王妃のすぐ下で掌握しているようなやり手なのだ。実の母だが、俺は彼女が少し苦手だった。
「どこに行こうと言うのかしら?わが愚息は」
いきなりキツイ言葉を浴びせられて、目を見開いてしまう。愚息などとはじめて言われた。
「母上。愚息とはいきなりですね。何かお気に召しませんでしたか?」
「自分が愚息と分かっていない事がすでに愚かなのよ。この国が誰よりも王妃に相応しいお方を他国に放り出してしまった事も理解していないのですからね」
「…それはツィスカ嬢の事ですか?」
「彼女以外に誰がいるって言うのかしら?賢いけど小心者な伯爵令嬢に、自分の身を飾る事しか考えていない侯爵令嬢?……それとも、あの妖精姫かしら?」
自分の回答など分かっている癖にわざわざ聞いてくる母。その口調はひどく挑発的で小馬鹿にしている感じだ。そこまで悪意を感じてそれに応えることなど出来ない。だが、彼女が相応しいと上げる人物を否定する事はできる。
「ツィスカ嬢が先日の舞踏会で、母上に媚を売って妹であるマリーヌ嬢の悪口を告げていたのでしょう。貴女ともあろうお方がそれを丸々信じているのですか?」
「はっ。悪口ですって?彼女がした事はただ私の嫌味に頭を下げて詫びを述べただけよ」
「嫌味って何を?どうして……」
「当たり前でしょ?挨拶すら来ないどこかの令嬢の身内ですもの。私の目の前に来た瞬間に頭を下げたわ」
「なっ!だからあれは、俺が母上にお伝えしたではないですか!彼女は俺に母の分も挨拶したと……」
「あら、驚いた。あれほど私たちの常識を教えたのに、貴方にはきちんと伝わってなかったのかしら。教育失敗しちゃったわね」
失敗扱いされて一気に頭に血が昇る。
「マリーヌ嬢こそが王妃に相応しいでしょう。だからこそ、ツィスカ嬢は辞退となったんだ。いや、体裁を保つために辞退になっているだけで、どうせ相応しくないと外されたんだろうな、コーネリアス殿下に」
俺は自信満々にそう言い放つ。最近は少し疎遠になっているが、歳が近いので幼い時から親しくして頂いている殿下なので気心は知れている。
全てにおいて超越している彼を主君として生涯を捧げるのは誇りである。だからこそ、その隣はあの慈悲深い奇跡のような美しい令嬢が相応しいと確信を持っている。彼もそう思っているに違いない。
だが……。
「残念ながら、振られてしまったのは私だがね」
いきなり思いもしない声が扉の向こうから聞こえて、息をする事を一瞬忘れる。
「コーネリアス殿下」
「久しいな、バルサ」
「はい、お久しぶりでございます。中々お姿を拝見できなかったので、心配しておりました」
「心にもない事を言うな。隙を作るぞ。まあ今更か。今のお前は隙だらけだしな」
「殿下までお……私を苛められますか?」
母だけでなく殿下にまでキツイ事を言われてげんなりしてしまう。
「苛めと感じるのはお前の目が曇り切っているからだ。いや、強い光を浴びて視界が真っ白になってしまったってのが正しいか」
「ほほ。殿下はたとえがお上手ですわ。その通りでございます」
二人のやり取りに苛立ちを覚えるが、立場が上なのでグッと我慢する。
「バルサ。俺はマリーヌ嬢と婚約する事はあり得ない。つい先ほど、辞退願いを受理した所だからな」
「えっ、それはツィスカ嬢では……」
「二人ともだ。もっとも俺はツィスカ嬢だけを残すようにと願ったが、病を理由に隣国に奪われてしまったがな」
「えっ……。それって……」
「そうだ。俺はかなり前からツィスカ嬢を妃に定めていた。マリーヌ嬢を外したらおそらく彼女も辞退と言ってくるから、そのままにして根回しをしていた。俺が迅速に解決できなかったせいで、結局はそれも全て無駄になってしまったがな」
なぜ、あえて評判の悪い彼女を……と思ってしまう。だが、それを聞くとまたバカにされるのは理解していたので、黙り込む。
「王妃の役目はただにっこり笑って手を振るだけではない。そして国を愛せないような者を俺の隣に置く事はない。候補の中で自分を犠牲にしてまで国を大事だと思っているのはツィスカ嬢だけだ。気概も教養も他の候補と比べるまでもなく秀でている」
確かに有能なのはよく耳にする。だが、人の心を掌握する器量はないと思ってしまう。彼女の傍にいるのは、既婚者や年配の有力者だけだ。
「何よりな。俺が好意を持っているのはツィスカ嬢だ。皇太子としてでなく個人的に彼女を嫁にしたかったんだが、口説く下準備を終わる前に奪われてしまった。落ち着いたら、帰国を促すが、おそらく無理だろうな」
自嘲気味に告げる殿下。その表情は、いつもと違って力強さがない。落ち込んでいるのが分かって、彼が本気でそう思っているのが伝わってくる。
「彼女の辛い立場を放置していたんだから、これは俺の失態だ。諦めたくないが、一国の次期王としてそうは言ってられん。ただな、その原因である者たちをそのまま放置するほど俺は甘くない」
初めて向けられる物騒な視線。命を捧げると誓っている相手から向けられる敵意に俺は無様にも身体が震える。
そんな俺の状態を無視して殿下は話を続ける。
「それでもお前は弟のような者だ。だから、こうして最後の忠告にきた。神や精霊は見目麗しいが残酷で傲慢だ。慈悲深く公平なのは、何故か?それを考えろ。ここまで言っても目を覚まさない無能な者など俺は不要だ。俺が言いたいことが分からないのなら、領地の片隅に引っこんでおけ」
切り捨てるような冷たい口調で殿下は俺の部屋から颯爽と退出した。余りの言われように、身体から血の気が失せる。
その場に残った母はそんな息子の様子に冷たく醒めた笑いを向ける。
「10日だけ猶予を与えますわ。マリーヌ嬢の様子をきちんと観察しなさい。それでも彼女を望むなら正式に彼女に求婚しても許可しますわ。もっとも、公爵は継がせませんがね」
「何故か聞いてもよろしいですか?」
俺が何故だと詰問したくなるのを抑えながら静かに問うと、大きなため息をついてから母は端的に答える。
「彼女に公爵夫人は務まらないからよ。一つの領地を与えるからそこで暮らしなさい」
「……わかりました。彼女に会いに行きます」
主君だと崇めている殿下と実の母に見損なわれようとしているのを感じながらも、俺はマリーヌに求婚してもいいと言う言葉に喜びを感じてしまう。その選択をすれば間違いなく見放されて次期公爵は弟に指名されると分かっていても……。
結ばれるかもしれない未来は断腸の思いで諦めていた。王妃となるべく少女なのだからと。それでも俺は マリーヌだけを愛し、慈しむと決めた。王妃となってもその気持ちは変わらない自信があった。
だが今は伸ばせば胸に抱くことができるんだ。あの奇跡の少女を!
歓喜を噛みしめながらも、俺の胸には小さな闇が産声を上げていた。それは殿下と母により、落とされたわずかな影。その影を消したい一心で彼女に会う事を切実に望む。
意気揚々と俺は彼女の住む屋敷へと向かう事にした。
しかし、一旦住み着いた影は、彼女に会う事で逆に大きく成長していく。
会いに行けば、騎士団長が彼女を抱き締めて慰めていた。
「あんなに素晴らしいお姉さまが外されたんですもの。私がそのまま殿下の婚約者で居られる訳がございません。だから辞退したのです。でも、私。殿下の事を心からお慕いしておりましたので、身が引き裂かれるように辛いのです」
そう言う彼女を騎士団長は色々な言葉を必死に探して慰めている。抱きしめたまま頭を何度も撫でていた。それを彼女は何の抵抗もなしに逆に嬉しそうに騎士団長の胸に抱き付いていた。
騎士団長に対して嫉妬で殺意を覚える。だが、わずかに彼女に対しても苛立ちを覚えてしまう。
まだ未婚である令嬢が異性の胸で抱きしめられているのだ。そんな事をして許されるのは身内のみ。
貴族であるのだから、その辺りの常識は分かっているだろう。
騎士団長の方は本気で彼女を慈しみ、思い余って抱きしめてしまったのだと分かる。それも許せる事ではないが、次期王妃候補から離れた事で今まで保っていた理性が少しすり減ってしまったのだろう。
呆然と黙って突っ立っていると、騎士団長は彼女の身体を解放し部屋から退出してくる。
俺が来た事など丸わかりだったようで、口元を少し吊り上げながら俺に宣戦布告してきた。
「俺は本気だ。数日後に家から正式文章で求婚するからな。誰にも譲らん」
それだけを言うと、振り向きもしないで居なくなる。俺は複雑な思いのまま、彼女の前まで姿を現した。
「バルサ様……」
俺の姿を見ただけで涙を流してくるマリーヌ。美しい泣き顔を向けられて魅入られそうになる。だが、先ほど騎士団長の胸の中にいた事を知っているだけに、違和感を感じてしまった。
「わざわざ私の為に来てくださったのですね。次期王妃候補から辞退したと貴方もお聞きになったのでしょう。優しいお方」
「マリーヌ嬢……」
「うぅ……。ご、ごめんなさい。我慢したくてもバルサ様の顔を見たらつい安心してしまって……。こんなだから、次期王妃になんかなれないと分かっていたのに……」
「泣かないでくれ、マリーヌ。貴女に泣かれると俺はどうしたらいいのか分からなくなる……」
これでもかと加護欲を掻き立てる彼女に対して、俺は思わず慰めを口にしその華奢な体を抱き締めてしまう。
「バルサ様……」
愛らしい表情に俺は理性を失いかける。ゆっくりと狙いを定めて顔を下に下ろしていく。
すると彼女はそっと目を閉じて顎を少しだけ上に向けた。
ダメだ!違う!
動きを全て停止する。胸に住み着いた闇が一気に膨れ上がり、輝かしい恋情を呑み込んでいくのを感じた。
それと同時に見えてくる現状。
彼女は俺に口付けされるのを間違いなく受け入れていた。騎士団長の胸にも縋り付きながら……。その口で殿下をお慕いしていたと言っていながら……。
「バルサ様?」
固まってしまった俺に頭を傾けながら顔色を窺ってくる。それでも反応を返さない俺の胸に彼女の方から頬を擦り付けてきた。
それに堪らないほどの嫌悪感を覚える。
貞淑を求められる貴族社会。異性と2人っきりで部屋に過ごす事すら醜聞になる。それなのに、彼女はそんな常識すら無視しているのだ。
口付けをまだ婚約もしていない内から許すなど、無邪気とは到底思えない。
一旦、違和感を覚えると、全ての彼女の言動に対しても全ておかしく思えてくる。
母の言葉が蘇ってくる。
『彼女に公爵夫人は務まらないからよ』
ああ、確かにそうだ。清らかな性格であっても一般常識を守らないような者が、貴族の中でも筆頭に近い公爵家を裏から支える公爵夫人の座に座れば間違いなく爪はじきにされてしまう。
公爵夫人でも無理なら、王妃などになれるわけが無い。
「マリーヌ。離れよう。婚約もしていない間柄でこのような事してはいけない。すまない」
「バルサ様はただ慰めて下さっただけだわ。優しくして下さってマリーヌは嬉しかったです」
「誰彼かまわず、肌に触れる事を赦すのは良くない」
「ご安心ください。赦すのはバルサ様だけですわ」
じゃあ先ほどの騎士団長との事はどうなんだと、詰問したくなるが何とか堪える。
その曇らない美しい碧の瞳をジッと見下ろす。息を止めてしまいたくなるほど綺麗な宝石。だが、この時はその混じり気の一切ない輝きがひどく冷たく感じた。
殿下の言葉が蘇ってくる。
『神や精霊は見目麗しいが残酷で傲慢だ。慈悲深く公平なのは、何故か?それを考えろ』
公平なのは、自分以外の誰も愛していないからだ。
彼女にとっての俺はただ自分の周りを囲むアクセサリー所か石ころでしかなかったのか。彼女が嘆く内容を聞くだけで、俺は彼女に愚痴などを言った事はない。彼女の雰囲気は俺が弱音を吐くことを許さなかった。
たしかに傲慢で残酷だ……。
俺はこの場で彼女との決別を決めた。
「そろそろ俺も本格的に次期公爵として父と母の下で見習う事にするよ。これから社交界でお会いする事はあるだろうが、こうして私的に逢うのは最後にするよ。お互い誤解されるのは得策ではないからね」
俺はそれだけを彼女に告げる。
「え?ば、バルサ様……どうして……」
驚いた表情を浮かべるマリーヌを無視して、俺は彼女に小さく頭を下げる。
「マリーヌ嬢。貴方の輝かしい未来が幸あふれる事を願うよ。では、さよなら」
それだけを言うと俺はマリーヌ嬢の視線を背中に浴びながら早足で部屋から退出した。そして、そのまま王宮に向かう。
殿下と母に感謝と謝罪を繰り返し、俺は何とか次期公爵の座を守る事ができた。
遠巻きにマリーヌ嬢の様子を見る。ツィスカ嬢が居なくなったことで、思ったより多くの負の視線がマリーヌ嬢に向けられる。そのたびに彼女は傍にいる男性に慰められている。だが、その男性が一人に絞られる事はない。その様子は実に滑稽なモノである。そんな愚かな一員であった自分の過去を呪いたくなる。
しかし、その取り巻きたちも少しずつ異変が生じていた。
俺が離脱したように、一人、二人とその傍から離れて行っている。あれほど熱烈に愛を囁いていた騎士団長の瞳も、少し陰りが指していっている。
やがて彼女の取り巻きは居なくなるだろう。
マリーヌ嬢はそれに全く気が付いていない。俺が離脱した時も、悲しそうにしていたと団長に責め立てられただけで、マリーヌの方から声をかけるばかりか、こちらに視線を向ける事もなくなった。
彼女は自分の事だけが大切なんだ。だから取り巻きが減ろうが減るまいが関係ないんだ。
それに気が付いてしまうと、マリーヌの姉に対しての罪悪感で押しつぶされそうになる。
マリーヌを泣かしたと俺が向けた不躾な視線と辛辣な言葉。
謝りたくとも隣国にいるので、今すぐは無理だ。
だが、もし今度会う事があれば一番に頭を下げさせて貰おうと思っている。
現在、自ら頼み込んで両親と殿下に厳しく指導して頂いているのは、その時に少しでも彼女に認めてもらう為かもしれない。
読んで下さりありがとうございました。活動報告に、あとがきと後日談を少し書いています。