File087. 賭け
白い輝きの中から、巨大な蒼竜が姿を見せた。
大型旅客機ほどの大きさがあるセイリュウの竜形態である。
まとわりつく大気をかきわけるように、その巨体が大空へ上昇する。
それに合わせて三つの白い輝きが生まれ、巻き上げられた砂塵が晴れる頃には四体の竜が上空の四つの点と化していた。
セイリュウの相手を竜たちが、王の相手をカイリがすることを事前に決めていた。
「くそ、見ていることしかできぬとは」
「気持ちは同じです。ですが、ここからはゲンブたちやカイリの足枷にならないことが私たちの役目です」
リュシアスとレイウルフ、そして黙ったままのマティは、壁に近づく前に潜んでいた森まで戻ることになっていた。
土の精のダブドがすでに地下に頑丈な待機空間を形成済みであり、今はひたすらその壁を厚く頑丈に仕立てている最中だ。
「マティたちは早くダブドのところまで戻ってくれ。いつ王の攻撃が来てもおかしくない。全員にかけた〈障遮鱗〉も、このあたりでは無効化されて役に立たないしね」
壁の近くで魔法が無効化されていることはリュシアスにかけた〈障遮鱗〉で確認済みであり、ノマオイの村で感じた“世界との一体感”の喪失をカイリは現在進行形で実感していた。
心配げに何かを言いかけたマティが口を閉じた。
自分の願いに応えるためにここまで来てくれたカイリに、引き止める言葉をかけるのは間違っている。
そう思いなおし、再び口を開いた。
「私の願いをかなえてください、カイリ」
「そのために、俺はこの世界に来たんだ」
気合いを入れなおした顔でカイリが優しく微笑んだ。
レイウルフの読みでは、王は魔法無効状態を解除してくるはずであり、その考えにカイリも同意していた。
絶対とは言えないが、ノマオイの村のように王だけが魔法を使えるという面倒な仕掛けはないと推測できたからだ。
ノマオイの村での王自身のセリフから、あの設定はあの村だけだと思えたし、少なくともあの村のようにスザクたち竜の物質操作範囲が十倍に拡張されているということはなかった。
魔法と同様に、竜による物質操作能力も無効化されている。
そしてセイリュウとスザクたちが竜形態になった後すぐにこの場から遠ざかっていったのは、スザクたちだけでなく、セイリュウ自身も初めから竜どうしで交戦するつもりだったからだろう。
だとすれば、王は魔法戦を選択したということになる。
防衛システムとは別に有効な攻撃システムが日科技研にあるならば、壁を壊される前に使っていたはずだ。
今さら巨万の兵や物理戦闘の達人が登場するということもないだろう。
レイウルフやリュシアスの実力を示したばかりであり、魔法無効化範囲の外ではカイリも魔法を使えるので、膠着状態に陥るだけだからである。
そしてカイリが汎数13までの役名を使えるとわかっていても、同じく汎数13までの役名を使える王の優位が圧倒的であることはサナトゥリアの読み通りであり、王が魔法戦を選択するのは当然の帰結といえた。
(一度俺に殺されたとはいえ魔法戦で負けたわけじゃないから、王は基本的に俺をなめてる。けど――)
「俺の本当の強みは、高汎数の魔法を使えることじゃない。マティだけにしかまだ言ってなかったと思うけど――」
全員が頭にクエスチョンマークを浮かべた。
首を傾げたマティも含めて。
それを見て苦笑するカイリ。
それは、サナトゥリアも知らないカイリの能力である。
「“瞬間記憶能力”――俺は一度見た文字列を完全に記憶できるんだ」
クエスチョンマークを浮かべたままのリュシアスの横で、レイウルフがどこか納得した表情で頷いた。
「エステル様の予想通り、カイリは本当に数日で魔法を覚えたのですね」
予言書と日本語の関係についてまでは話していないにもかかわらず、レイウルフは確信したようだった。
「ですが、その能力が魔法戦にどう役立つと――いえ、ここで長話はいけません。すぐに戻りましょう、リュシアス、テクニティファ様」
少しは仲間を安心させられたことに満足して、カイリも頷いた。
三人の姿が遠ざかっていく。
壁から離れることで、彼らにかけた〈障遮鱗〉が復活していた。
(まあね。予言書に魔法戦の戦術論が書かれていたわけじゃないし、書かれていたとしても読んだだけで身につくなら誰も苦労しないよね)
そう思いながら、ポケットから休止携行形態の木の精を取り出して地面に置くカイリ。
「フェス、また頼むよ。同じ手は通用しないと思うけど、フェスがいてくれると思うだけで心強いんだ」
「あの…… わかった です!」
アーモンドのような種から大きな双葉に変わり、その陰から一瞬だけ少女姿の小人が出現する。
いつものように嬉しそうな笑顔を見せたフェスが姿を消すと、地面が放射状に盛り上がり始めた。
フェスが木の根――触覚器を地面の下で伸ばしている証拠だ。
ほぼ同時に、失われていた“世界との一体感”が復活した。
魔法無効化が解除された瞬間である。
それがこの魔法戦において最も重要な瞬間であり、その瞬間を決められる王が、この戦闘で最も有利になる瞬間でもあった。
***
「……今、魔法無効化フィールドを解除した」
「うん」
正面の巨大スクリーンを眺めながらサナトゥリアが頷いた。
カウントダウンの数字が画面の隅に表示されていたので、レインの報告がなくてもわかったことだ。
だが、報告することが仕事だと思っているレインに、いちいち報告するなと言うことのほうが面倒になっていた。
「賭けはうちの勝ちや」
「……そうだな。……無念だ」
水の精の壺。
高さ十センチほどの壺に水が張られ、その水にレインの下半身が浸かっていた。
サナトゥリアの命令によるものだ。
そして次の彼女の命令は、「服脱いで」というものだった。
ついには軽蔑の眼差しで断る理由を挙げはじめるレインに対し、サナトゥリアはこう切り返したのだ。
「ここ離れへん命令なら、なんでもきいてくれる言うたんに、面倒な奴やなぁ。じゃあ、こうしよ。初代の命令で今から魔法無効化フィールド停止するやん? その後の初代の最初の行動予想して、レインが当てたらこの余興は終わり。うちが当てたらボス権限で強制脱衣や。どう? うちとしては、かなり譲歩してる思うけど」
「……くっ。……では同じ予想の場合は、どうするのだ?」
「ああ、心配いらん。先にレインが予想して、うちは同じ予想はせんいうルールでええよ」
「……承知した」
いずれにせよ第一層管理室の責任者であるサナトゥリアが確定した命令として告げれば、レインに断る権利はない。
(――そういうことになっとるけどな。そんな都合のいい話、簡単に信じるほどいい子やないんよ、うちは)
レインの予想は、魔法無効化フィールドの解除と同時に、王が攻撃魔法を使用するというものだった。
「まあ、妥当な予想やね。で、何の攻撃魔法?」
「……魔法の種類を指定しろとは言われていない。……行動を予想しろと言われただけだ」
「……おまえなぁ。それやったら、“呼吸する”とかでもオッケーになってまうやん」
「……そうだな。……それに変更しよう」
(あかん。腹立つ通り越して、おもろなってきてもうた)
顔をにやけさせながら、真面目な声を出すサナトゥリア。
「それはさすがにボス権限で許さんで。まあええわ、じゃあなんかの攻撃魔法な」
「……うむ、それでよい」
ふう、と息を漏らし、金髪の女エルフが前髪をかき上げた。
「うちの予想は一択。レインが同じ予想やったらアレンジするつもりやったけど必要なかったわ」
「……早く言ったらどうだ?」
「〈鎮溢〉。……て、もしかしてレインは知らへん?」
首を横に振るレイン。
「……知っている。……俺をそこらの精霊系と一緒にするな。……そうでなければ、このような賭けは受けていない。……だがそうだな、一般的な戦術論ではあまり登場しない役名ではある」
「そう? なんでなん?」
「……攻撃魔法なら、半径百メートル制限がある魔法発生範囲よりも魔法効果範囲を何十倍にも広くすることが可能だ。……だが〈鎮溢〉の効果範囲は魔法発生範囲に限定される。……戦場においてたった半径百メートルの、しかも状況によっては味方を含めて動きを停止させるだけの魔法にしては使用エネルギーも大きい。……そして何より戦場において最も重要な“時間”の無駄遣いだ」
(やっぱおもろいな、こいつ。家の精にここまで魔法と戦術の知識仕込むて、過去にどんだけ戦争マニアの主人がおればこうなるん?)
そして結果は出た。
巨大スクリーンに映るのは、ビデオ再生を停止したかのように固まったカイリと、動かなくなった地面の盛り上がり――フェスの停止である。
「レインの戦術論は集団戦の話やね。ここに長くおったら知らん思うけど、魔法戦、特に個人戦の決め手は〈消散言〉なんよ。そんで、その上位魔法が〈鎮溢〉いうわけ」
「…………」
悔しさを顔に浮かべながら服に手をかけるレイン。
(やっぱ、美形のこういう姿は絵になるな)
襟元が少しずつ開き、胸元があらわになる。
「……残念だったか?」
不貞腐れたようにつぶやくレインの胸には、綺麗な曲線を描くふたつの膨らみがあった。
「……うちより大きいやん。じゃなくて。え、なに。女の家の精なんておるん? それとも造りもん?」
まじめに驚くサナトゥリア。
そしてレインの深みのある声が、女の美しい声に変わる。
「……俺をそこらの精霊系と一緒にするなと言っただろう。……この身体は生まれつきだ。……もう服を着てもいいか?」
サナトゥリアの顔に笑みが浮かんでいた。
「ええな、おまえ。とことん、おもろいで、レイン。で、悪いんやけど、ちゃんと全部脱いでや。全裸やで」
「…………」
ぽかんと口をあけて固まるレイン。
「心配せんでも、うち、百合ちゃうよ。すっかり騙されとったし。別に事情とか話さんでええから。賭けとかもう関係あらへん。ボス権限で、全裸やで」
「…………」
聞こえるはずのコンソールを操作する音は聞こえず、多重独立防護層・第一層管理室は静まり返っていた。
六精霊の外見に男女の区別はあるものの、子を作る機能がない彼らに性欲というものは存在しない。
それでも自分たちをまとめるリーダーが女だったという事実は、少なからず他の家の精たちを驚かせたようだった。