File082. AIの原則
〈離位置〉の白い輝きがおさまり姿を見せたのは、精霊騎士団の五人とカイリたち七人の計十二人。
そこは二階建てログハウス内にある吹き抜けの大部屋だった。
立ち話もなんだろうと、エルローズが自分たちのアジトにカイリたちを招待したのだ。
出迎えたのは、十歳前後に見えるメイド姿の二人の少女だった。
「おかえりやす、エルローズさま、皆さま」
「お客さまです? すぐにお茶を用意いたします……て、あれ、カイリはんや」
目を見開く茶髪少女の名はシエル。
その横で続けて驚く黒髪の少女はカレン。
彼女たちは九日前に雪原の街で出会ったドワーフ族だった。
小学生くらいに見えるがシエルは二十一歳、カレンは十九歳であり、ふたりともカイリより年上である。
軽く挨拶を交わした後、カイリたちとエルローズの八人だけが残り、お茶が用意された大テーブルを囲んでいた。
「あんたら、寝床はどうしてるの? なんなら、今夜泊まっていってもかまわないわよ」
「今は使われていないエルフ族の大きな宿舎があって、俺たちはそこで寝泊まりしています。それより――」
カイリが驚いたのは、エルローズによる〈離位置〉の出現場所が部屋の中だったことである。
「出会って数日の俺たちを招待してくれたことにも驚きましたが、場所が〈離位置〉の出現可能ポイントであることに驚きました。レジスタンス活動をしているという割には無防備であるように思えて……何かカラクリでもあるんですか?」
「ああなんだ、そんなこと」
エルローズの話によれば、基本的にアジトとは問題があれば使い捨てるものであり、ヒューマン領内に百以上のアジトがあるという。
「すべてフェスが建てたものよ。戦闘精霊にもいろいろなタイプがあるけど、フェスの場合はとにかく容量が大きいわ。場所さえ良ければ根をどこまでも伸ばしていくし、幹からはいくらでも建材が採れる。フェスはこのアジトを半日で建てたけど、普通の森の精なら一か月はかかるわね」
「なるほど、フェスが特別であることはわかりました。それで戦闘精霊とは一体……?」
「そうね、それが本題だったわね」
エルローズが黒タイツの脚を組み替えた。
ほぼ同時に、いつの間にかリュシアスの背後に移動していたビャッコが彼の耳を上に引っ張る。
肉体的な痛みは感じていない様子のリュシアスだが、「すまん」と小声で謝る声が聞こえた。
完全にはまだ終わっていないというドワーフ族の繁殖期。
そのリュシアスの視線の動きを、風系センサがしっかり捉えていたようだ。
「一言でいうと――」
ニヤリと笑うエルローズ。
「――普通の精霊は人を殺せないのよ」
あ――という顔をするマティ。
“戦闘精霊”という言葉を知らなかったマティだが、人を殺せる精霊が存在することは知っていた。
「そういえば、そうでした。普通の精霊は契約者が命令しても人に危害を加えることができません。ですがごく稀に、人を殺せる精霊が存在します」
その言葉にレイウルフが追従する。
「エルフ族には取り替え子の伝承があります。精霊は人の赤子を精霊の子とこっそり入れ替えることがあると」
「それは無理があると思う。精霊と人間では大きさが違い過ぎるよ」
カイリの反論にレイウルフが微笑んだ。
「その通りです、カイリ。ただの伝承に過ぎません。ですが、実際に人を攻撃できる精霊は存在し、伝承ではそれを精霊に育てられた人の子が精霊に変化した姿だとされています」
「伝承……か。じゃあ、人の子と入れ替えられた精霊の子はどうなるんだろ?」
「…………」
レイウルフとマティが黙り込む。
答えにくそうなふたりに代わり、リュシアスが口を開いた。
「“悪魔憑き”だ、カイリ。エルフ族だけに稀に生まれる、魔法では傷つけることができない赤子――それを“悪魔憑き”と呼び、人の子ではない呪われた存在として赤子のうちに殺す。エルフ族の野蛮な風習だ」
「……残念ながら、返す言葉もありません。その風習は、今も生きているのですから」
気落ちするレイウルフ。
カイリはマティと目を合わせ、彼女の言葉を思い出していた。
――あのサナトゥリアという娘は、“悪魔憑き”です。
――あなたのような存在が、その歳までよく生き延びて……。
サナトゥリアには〈探矢緒〉の攻撃が効かなかった。
彼女はエルフ族の風習から生き延びた存在であり、“悪魔憑き”は実在するのだ。
レイウルフの説明によれば、実際の精霊は魔法で攻撃されればダメージを受けるらしい。
ただし、精霊を攻撃してまで確かめようとする者はめったにいないという。
精霊は身の危険を感じると姿を消すため、そもそも攻撃すること自体が難しいというのもあるが、精霊を傷つければ精霊の呪いを受けるという古い言い伝えの影響が大きいとのことだった。
「通常、精霊は人の役に立ちこそすれ、害をなすことはありません。ですので、先人たちの戒めとしての言い伝えだろうと思います」
「うん、俺もフェスにはずいぶん助けられてるし、感謝してる」
戦闘精霊とは人を攻撃できる精霊である。
それは予言書の知識に反する存在だった。
予言書によれば、精霊の人工知能――AIにはいわゆる“ロボット三原則”が適用されている。
第一則、人に危害を加えないこと
第二則、人に与えられた命令に服従すること
第三則、自己を守ること
人より優れた能力を持ち、自律思考するロボットが人間社会で脅威とならないために必要な大原則。
アイザック・アシモフのSF小説に初めて登場したとされるそれは、その後様々な作品や現実の研究開発者に影響を与えていた。
未来の公共サービスとして開発された精霊にもそれが適用されている。
(フェスに王を攻撃させたときは、スザクが殺されたと聞いてキレていたんだな、俺。精霊が人を攻撃できないことなんて、すっかり忘れていた)
もしフェスが戦闘精霊でなければ、あの場の全員が王とセイリュウに“粛清”されていただろう。
戦闘精霊がどういうものかは、わかった。
ナノマシンシステムが稼働して五千万年。
その長い年月の間に膨大な知識を学習し、成長を続けてきた精霊たちの中に、ロボット三原則から逸脱する個体が生まれたのだろうとカイリは予想した。
当時の開発者にしてみれば、ありえない不具合のはずだ。
だがその確率がほぼゼロであっても、完全にゼロでない限り、五千万年の間に繰り返された無限とも言える試行回数の前では、どこかで必ず起こる事象なのかもしれない。
ふと、視線を感じて顔を上げるカイリ。
ゲンブとビャッコのふたりが彼を見つめていた。
声を発したのはゲンブだ。
「カイリさん。わたくしたち竜もまたフェスと同じ精霊系――つまり、ナノマシンシステム上で稼働するプログラムであり、AIで思考していますわ。ですが、兵器であるわたくしたちに人を攻撃できないという制約はないはずです」
「そうだね、ゲンブ。六精霊とは違って、竜のAIにはロボット三原則が適用されていない」
ゲンブが緊張していることに気づくカイリだったが、その理由はすぐにわかった。
「ロボット三原則とは、人類にとってロボットが脅威とならないための原則のはずです。その……いつか竜が、自分の主人を傷つけるような可能性があるのでしょうか?」
正確に答えるなら、「ある」だとカイリは思った。
兵器とは究極の暴力装置であり、反社会的な存在だ。
その力が思いもかけず主人に害を及ぼす可能性は常に存在する。
だが、兵器である竜にはロボット三原則を適用できない。
人に危害を加えないという第一則が兵器という存在と矛盾していることはもちろん、人に与えられた命令に服従するという第二則は、敵の命令にも従うことを意味する。さらに自己を守るという第三則により戦闘を拒否するようでは、やはり兵器として失格だ。
「たしかに竜のAIにはロボット三原則が適用されていない。だけど、それに代わる原則――ロボット三原則よりも高い自由度と柔軟性を維持しつつ、人がAIと安心して付き合える唯一の原則が竜には適用されているんだ」
真顔でカイリを見つめ、次の言葉を待つゲンブとビャッコ。
最初から会話を聞いていないスザクはログハウスの室内をキョロキョロと見回していて、今はエルローズの剣を手入れする家の精の様子を眺めている。
「“人間の主人を求める性質をもつこと”――それが竜のAIに課せられた唯一の原則だよ。それがある限り、竜が主人の信頼を失うことはない。たとえ偶発的に主人を傷つけるような事件が起きたとしても、その原則が主人と竜の絆を保証するんだ」
納得していいのかどうかわからない、曖昧な表情のゲンブとビャッコ。
だがロボット三原則であっても、偶発的な事故の可能性は常にある。
その点では、竜も精霊も同じなのだ。
「カイリ……」
ぽつりとつぶやいたのは、いつの間にか椅子から立ち上がっていたスザクだった。
「どうしよう。セイリュウ姉が呼んでる」
前にもこんなことがあったなと思うカイリ。
(あれはエルフ領の第一催事場で、スザクがゲンブの呼び出しを受けたときだったか)
どれだけ遠く離れていても、姉竜は妹竜に呼びかけることができる。
それは竜どうしの近距離通信回線を開く能力や、距離に関係なく姉竜が妹竜の状態を感知できる能力とともに、竜が持つ独自機能のひとつだ。
その信号を受け、ゲンブとビャッコも顔を見合わせていた。