File081. 戦闘精霊
「びっくりしたぁ。ビャッコ姉と同じ攻撃をくらったんだよ。死ぬかと思った」
自分の体験を語るスザクの口調は、死にかけたとは思えないくらいに元気ハツラツだ。
レイウルフとリュシアスを解放したカイリたちは、湖が見える村の出口付近を歩いていた。
「ああ、無事で本当によかった」
どれほど心配したのかを伝えたいカイリだったが、口から出た言葉はそれだけだ。
生きる気力さえ根こそぎ奪われそうになったあの喪失感を、どう伝えればいいのかわからなかった。
「そ、そろそろ離れてください、リュシアス」
身長差によりビャッコの腰にしがみついていたリュシアスが、ゆっくりと離れる。
その顔もひげも涙まみれだ。
「よがっだ……ビャッゴが無事で、本当によがっだ」
それを見たレイウルフとマティが優しく笑う。
素直に感情を表現できるリュシアスを、少し羨ましく感じるカイリだった。
「見た、ゲンブ? ビャッコ姉の顔が真っ赤だよ」
「ビャッコ姉さんが照れる顔を見るのは初めてですね」
「ビャッコ姉、可愛い」
ひそひそと話すスザクとゲンブの小声に心の中で同意しながら、カイリは陽光で輝く湖を眺めた。
(……マティの笑顔に元気がない)
理由はわかっている。
ヒューマン王が初代カイ・リューベンスフィアだと、セイリュウはそう語った。
二千年の時を生き長らえているのだと。
それがマティを混乱させているのだ。
(俺も混乱しているんだよな)
“不死システム”やそれに類似するシステムの記述は予言書には無かった。
(たぶん古代の布と同じように、予言書より後に作られたシステムだ。あの状況でセイリュウが嘘を口にしたとは思えないし、突然会話を打ち切って空へ消えたのは復活した王の元へ向かったんだろう。ただ、気になるのは――)
――初代カイ・リューベンスフィアは偉大で懐が深く、私にとって敬愛すべき人物でした。そしてその名を継いだマスターたちのことも私は尊敬しています。
出会った当初に聞いたマティの言葉。
その人物像が、どうしてもヒューマン王の言動と一致しない。
「二千年も生きていると人格も変わるってことかな。それともセイリュウや“王の力”とやらを手に入れて性格が豹変した、とか?」
どちらもあまり考えたくない内容だった。
マティが混乱し塞ぎこんでいる理由は、まさにそこだろうと思うからだ。
「カイリ」
湖を眺めて考え込むカイリに話しかけたのは、マティ本人だった。
「二千年前にマスターの最後を看取ったのは私です。九十八歳で死んだマスターの死因はおそらく老衰で、妖精の樹海の奥地に私がひとりで遺体を埋めました」
「マティ……」
「先ほどは取り乱してしまい、申し訳ありませんでした。あの男がマスターであるはずがないと、理性ではわかっているんです。ただ、もし本当にマスターが生き返ってくれたならと、つい考えて……しま……」
笑顔を作るマティの黒い瞳が濡れ光り、涙が筋となって頬を伝った。
「申し訳……ありま……せん。あまりにもそっくりだったんです。あの男が、マスターがまだお元気だった頃に……」
「いいんだ。話してくれてありがとう、マティ」
王の年齢は五十代か六十代くらいであるようにカイリには見えた。
となるとやはり別人の可能性が高いと思えるが、そうであればわざわざ初代カイ・リューベンスフィアの名を持ち出す理由がわからない。
竜、そして王の力とやらを手に入れた彼が他人のフリをする必要があるとは思えないし、ましてや自分に逆らえないセイリュウを騙す理由などないはずである。
(となると、やはり初代本人なのか? 不死システムとやらに若返りの機能があってもおかしくはないしな。あー、でもそれなら、二十代くらいまで若返りそうなもんじゃないか?)
ふわりと。
悩むカイリの前を小さな何かが横切った。
緑がかった半透明の精霊。
背中の翅も半透明の緑色で、マティの翅に見られるような翅脈はなく、皮膚の延長のように見える。
「風の精か」
その存在に思い当たったカイリの視界の下方で、赤色の何かが動いた。
湖の水面へと続く長い斜面を見おろし、生い茂る草葉の間に小さな赤色のトカゲを発見する。
さらにダブドと同じ修道服の老いた小人、手のひらサイズの水瓶から顔を出す若い女の小人、さらには茶色のボロ布を身に着けた青年の小人までいた。
「なぜ、こんなところに精霊たちが……」
マティがそうつぶやくのとほぼ同時に、遠くからかけられる四人の男の声。
「来い、風の精」
「来い、火の精」
「来い、土の精」
「来い、水の精」
精霊たちは一斉に声の方を向いて素早く移動したが、水に浸かる水の精だけは困り顔で頭を傾けるだけだった。
そこに二人の男女が近づき、短髪の男が水瓶を拾う。
一方の金髪の女は、唯一呼ばれなかった青年の小人の前でかがんだ。
「行くわよ、家の精」
家の精と呼ばれた青年の小人が女のモッズコートに飛びつき、肩の上まで這い上がる。
その様子を斜面の上から眺めるカイリたちを、女が背筋を伸ばして見上げた。
精霊を連れる本来の姿を取り戻した精霊騎士団のエルローズたちである。
「あの女エルフから、戦闘精霊を取り返してくれてありがとう」
「しかも女エルフとの契約はしっかり解除されていて、すぐに再契約できました。ありがとう、改めまして。僕は水の精使いのアルシン」
残りの男たちもそれぞれの精霊を連れて集まってきた。
その中で一番目立つのがブラウンヘアをオールバックにした男だ。
「火の精使いのサリンだ。あんたの木の精を使った攻撃は見事だった」
続けて残り二人の男も声をかける。
「風の精使いのシランってもんだ。あんたの木の精、フェスっていう名前持ちだろ? そう呼んでたよな? そいつ、さっきので死んじまったリシンっていう変態野郎が使っていた戦闘精霊だぜ」
「土の精使いのホスフィンだ。俺としては反対なんだが、まあ、リーダーの意向だから仕方がねぇ。希少な戦闘精霊だが、リシンの形見はあんたが持っていてくれ」
続けざまにかけられる声に戸惑うカイリ。
「ま、待ってください。俺は何も取り返していません。気づいたらそこに精霊たちがいたんです」
「そう? 少なくともフェスは、この村に来る前から取り返していたはずよね? まあ、どっちでもいいわ。あんた、王に敵対してるんでしょ? 森の精使いとして、あたしの仲間にならない?」
エルローズからの突然の勧誘に、とっさに反応できないカイリだったが、あらためて自己紹介をすることにした。
確かめたいことがあったからだ。
「俺の名はカイリと言います。二十一代目のカイ・リューベンスフィアです」
「カイ・リューベ……? そういえば、王があんたのことを二十一代目とか呼んでいたわね。異国の貴族か何かなの?」
(やはり……か)
ヒューマン領ではカイ・リューベンスフィアの名が知られていないことをカイリは確認した。
それはそうだろう。
かつてどのカイ・リューベンスフィアも、ヒューマン領まで来たことはないはずなのだから。
村長がカイリをその名で呼んだのは、王からそう伝えられていたからにすぎない。
(ますます、王がカイ・リューベンスフィアを名乗る理由がわからないな。まさか、噂で聞いた魔術師の名前を偽名として使っているだけとかじゃないよな?)
「エルローズさん、フェスはもう俺たちの仲間だから、返す気はありませんよ。同じように、俺もすでにここにいるマティのパーティメンバーなんです。な、リーダー?」
いきなり話を振られたマティが慌てふためく。
「え、はい? ええ、もちろんです。カイリは私のパーティメンバーです」
胸を張る小さな妖精を見て、くすりと笑うエルローズ。
「いいわ。あんたらだけで王を倒してくれても一向にかまわないし、これも縁ってやつよね。そうね……一回だけならカイリの頼みごとを聞いてあげるから、何かあれば頼ってきて」
「ありがとうございます」
「ええ、できれば次にヒョウエに会ったときに、その、あたし……いえ、あたしらが戦闘精霊を取り戻して、まだまだ活躍中だと伝えてちょうだい」
二コリと笑うエルローズに、カイリもニコリと返した。
「それは別料金で。そのお代と言ってはなんですが、“戦闘精霊”について教えていただけませんか?」
「ええっ、そんなことも知らずにフェスを使っていたわけ?」
「え?」
呆れるエルローズと動揺するカイリ。
カイリがマティを振り返るが、二千年を生きているはずの妖精は首を横に振るだけだった。