File080. 二千年の隷属
静寂の中、最初に声を発したのは精霊騎士団の男たちだった。
「やりやがった、あいつ」
「本当に王を……」
「彼が戦闘精霊を持っていたとは、驚きです」
ヒューマン王の死。
カイリにとってそれは、スザクのかたき討ちと言えるものではあった。
だがそれで、スザクがこの世にもういないという喪失感が埋まることはない。
一生埋められることはないだろう。
そしてヒューマン王の死は、四体目の竜であるセイリュウを手に入れるひとつの形でもあった。
だがそれも、今さら無意味なことである。
セイリュウを手に入れても、四体の竜が揃うことはもう永久にないのだから。
――この世界は、あと一年で滅びます。
初めて出会ったときの、マティのセリフ。
それが確定したのだ。
二十一代目のカイ・リューベンスフィアとして、世界を滅びから救うというマティとの大切な約束を守れなかった。
カイリにとってそれは、この世界で生きる意味の喪失でもある。
そんな二重の喪失感の底に沈むカイリの目に、セイリュウの姿が映っていた。
ヒューマン王の身体がすり潰される瞬間、彼女は初めて驚愕の表情を見せた。
だがそれはほんの一瞬で、すでにいつもの寂しげな表情に戻っている。
その言葉は、カイリの口から自然に出たものだった。
「セイリュウ、君を手に入れるにはどうしたらいい?」
スザクの身代わりとして求める気持ちが働いた――。
そう言われればそうかもしれないが、カイリにその自覚はない。
ただカイリには、彼女が自分と同じように寂しそうに見えたのだ。
「ご主人様がお亡くなりになれば、あなたのものになってもかまいません」
そう答えるセイリュウ。
まるで王がまだ死んでいないかのようなセリフだが、そうではないだろうとカイリは思った。
予言書の内容をすべて記憶しているカイリは、竜に主人を求める性質があることを知っている。
それはとある理由で、いわゆる“ロボット三原則”に代わり竜の人工知能に設定された性質である。
そのため、主人を失った竜が敵国に寝返ることがないよう、“箱”による竜誕生の契約時に、自分の死後に主人を引き継ぐ人物を設定する任意項目がある。
竜への口頭命令による変更や追加も可能なため、もし王が何人もの後継者を設定していた場合には、その全員を相手にする必要があった。
だがセイリュウのセリフは、後継者がひとりしかいないことを意味する――カイリはそう解釈した。
「君の表情を見る限り、今度の主人もろくな奴じゃなさそうだ」
寂しげに微笑むセイリュウ。
「何か勘違いをされているようですね。私の主人は過去にも未来にもひとりだけ」
「……どういうことだ?」
ふとカイリは思った。
もしかしたら、セイリュウも自由な竜なのだろうか――と。
箱による契約を結ばずに生まれたスザクたちは自由な竜である。
主人を求める竜の性質によってそれぞれの主人を定めてはいるが、その主人がシステム上に登録されているわけではない。
箱がすでにその役目を終えた今、彼女たちにシステム上の主人が登録されることは永久にないだろう。
そしてこれはカイリの想像にすぎないが、おそらく自由な竜は自由であるからこそ、主人の死後もその人物を主人として定め続ける場合がありえる。
竜には、精霊のように前の主人を忘れるという特性は無いのだから。
だがそうだとすれば、先ほどのセリフの意味がわからない。
――ご主人様がお亡くなりになれば、あなたのものになってもかまいません。
「まだ、わからないのですか?」
セイリュウの深い湖のような蒼い瞳がカイリを見つめた。
高圧的でも挑戦的でもなく、むしろひどく苦しそうに。
「私の主人はカイ・リューベンスフィアです」
「……俺だっていうのか?」
ますます混乱するカイリ。
その背後で、カイリの視界の外で、ずっと静かだったマティの声が聞こえた。
「そんな……まさか、本当にマスター……」
俯く真っ青な顔の前に持ち上げられた震える両手。
見開かれた黒い瞳。
そのつぶやきを無視して、セイリュウがはっきりと言った。
自分の首にある黒い首輪に触れながら。
「カイ・リューベンスフィアは二千年前から不老であり、不死です。私は二千年前に生まれてからもうずっと、システムに縛られた奴隷。このように自由な会話が許されるのも、“不死システム”が彼を復活させるまでの、あと数分だけのこと――」
「そん……な……」
エルローズだった。
いつの間にか意識を取り戻した彼女が、サリンに支えられて上半身を起こしていた。
フードが外れ、美しくカールした金髪の間に覗く顔が歪んでいる。
「そんなばかな話がある? 民が……あたしらヒューマン族が、王のせいでどれだけ苦しんでると思ってるのよ? 身体を潰されても生き返るって……そんな化物を、いったいどうやって倒せっていうの?」
カイリの心に何かが引っかかっていた。
たしかに今の話が本当なら、セイリュウの言葉のすべてに辻褄が合う……が。
……そしてカイリは思い出した。
「まってくれ、セイリュウ。王が潰されたとき、君はたしかに驚いていたはずだ」
「そうですね。私としたことが、完全に不意を突かれたというのもありますが――」
そういう驚きかたではなかったとカイリは記憶している。
生まれて初めて、信じられない経験をしたという表情だった。
「何もできないはずの状態から、いったいどうやって姉竜の感知を騙したのか……。たしかに死んだと思ったスザクが、生きていることに驚いたのです。疑わしきはあの――」
そこでセイリュウの顔つきが変わった。
この部屋に現れたときと同じ、冷たい無表情に。
「――お別れです」
それだけを言葉にし、白い光に包まれるセイリュウ。
その光が大きさを増す。
「まずい。フェス、ガードを――」
ガラガラと大きな音をたてて、二階建ての宿屋が倒壊した。
セイリュウの姿が消え、蒼いウロコがキラキラと光を反射する巨大なドラゴンが出現する。
ビャッコの二倍の大きさ――大型旅客機並みである。
地上に影をつくり、大空へ舞い上がる蒼竜。
強風と瓦礫が降り注ぐ中、木の精の枝で造られた大きなカゴに守られて、カイリたちが空を見上げていた。
セイリュウが飛び去る方角は南南西。
カイリたちが目指す方向である。
ゆっくりと木の枝がほどけていき、すべての触覚器が地下へ消えると、カイリの肩にフェスが姿を見せた。
褐色肌の小人が口を大きくあけてあくびをする。
「お疲れさま、フェス。どこで何があるかわからないから村中に根を張ってもらったけど、大変だっただろ?」
「あの…… はい。フェスは しばらく寝る です。でもその前に 報告がある です」
カイリが続きを促すと、フェスが再びあくびをしながら言う。
「あの…… 北北東七十メートルの場所に レイウルフさんとリュシアスさんが 捕まっている です」
「了解。もう寝ていいよ、フェス」
「おやすみなさい です」
そうして休止携行形態――木の精の種――になったフェスをポケットに入れるカイリ。
宙に浮くマティはまだ呆然としている。
精霊騎士団の面々はすでに姿を消していた。
ランファたち母娘はもちろん、一階にいたはずの村長やダイゴたちもフェスに守られていたようで、互いの無事を確認している。
そしてカイリは気づいた。
湖の方角から歩いてくるゲンブとビャッコ、そして笑顔で駆けてくる赤髪の少女に。
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