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竜を連れた魔法使い Rev.1  作者: 笹谷周平
Folder09. 雪と星の聖女
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File066. 揺れる心


 レンガの廃屋に挟まれた狭い通りは、天井が雪でできたトンネルになっている。

 袋小路の雪の壁に穴があき、ダウンコートのファー付きフードを深くかぶったふたりの人物が姿を見せた。

 ふたりとも背に大きな荷物を背負っている。

 注意深く周囲を観察するが、人の気配はないようだ。


「誰もいないねっ」


 明るい声を発した小柄な人物のフードからは、ややクセのある赤毛が見え隠れしている。


「スザクの索敵で確認してから侵入場所を決めたんだ。戦力的な脅威はないと思うよ。けど、眠っている人や戦力外の人はいるかもしれないから、静かにいこう」

「うん、わかった」


 真正面から覗きこまないと顔が見えないフード姿は、逆に怪しまれたり目立ったりするかもしれない。

 そのときはフードをおろせばいい――というのが、レイウルフの案だった。


 紺のステッチが入ったライトグレーのダウンコートは、エルフ族が族長の捜索を偽装するために用意していたものだ。

 レイウルフがゲンブを発見したときに着用していたものと同じである。


 そして今カイリはスザクを連れ、雪に埋もれた街に潜入していた。


 人気のない狭い通りを少し歩くと、正面に雪の壁が見えた。

 行き止まりかと思ったがT字路になっていて、左右は建物と雪の壁に挟まれた道になっている。

 そして、その上には雪の天井がなかった。


 闇に近い赤色の曇天。

 右側の空の下には天と地を貫く切り立った山脈が遠くに見え、巨大な雪の壁のようだった。

 左側の空の下にはいくつかの雪の小山が見え、その表面に暖かい光が漏れる窓が並んでいる。

 雪に埋もれた建築物の、高層階の窓のようだ。


「あっちが街の中心かな」

「カイリ、人がいるっ。たくさん集まってるみたい」


 ドキリとするカイリだが、左右と背後の狭い通りに人影はない。


「左通路の先、三二六メートル。数は……五十二」


 スザクの索敵が、この街の住人を見つけたようだ。


「結構、多いな。何をしてるんだろ?」

「え、わかんないけど……いくつかの小隊が集合しているような感じ?」


 さっぱりわからない。

 いきなり大勢の人間に接触することは避けたかったが、様子を見なければ始まらない――とカイリは思った。



  ***



 スタスタと無言のまま先を歩くゲンブの後をレイウルフが追っていた。


 雪壁と建物に挟まれた細い道。

 ふたりともフードをかぶったダウンコート姿だが、レイウルフはさらにフードの下にバンダナを巻いていた。

 耳の上半分が隠されるため、フードを下ろしてもエルフ族と気づかれる可能性は低い。


(ゲンブ……)


 皆と分かれてから、ゲンブはほとんど口を開いていなかった。

 最低限の受け答えはするものの、レイウルフを見る表情かおにいつもの嬉しそうな笑みはなく、どこか冷たいものをレイウルフは感じていた。


(皆の前でゲンブの気持ちに言及したのは、まずかったですね。ゲンブが怒るのも当然です)


 効率を優先し、ゲンブへの配慮を後回しにした自覚はある。

 私情から発言した彼女をたしなめる意味もあったのだが、もう少し言いようがあったかもしれない。


 その点に関しては謝っておこうとレイウルフは思った。


「ゲンブ、先ほどは――」

「父上」


 立ち止まったゲンブが、自分を見上げていることに気づくレイウルフ。

 フードからストレートの黒髪がこぼれている。


「父上、わたくしは自分を許せません」

「……え、いえ、ゲンブ、配慮が足りなかったのは私のほうです。君の気持ちまで否定するつもりは――」

「わたくしは竜として、失格です。“欠陥品”ですわ」


 ゲンブの言葉の意味を、レイウルフは理解できなかった。


「……ゲンブ?」


 そして黙ったままだった彼女が、想像以上に思い悩んでいたことを知った。


「わたくしは、父上の竜です。主である父上に仕え、父上の望みをかなえることがわたくしの存在理由ですわ。それなのに……父上に指摘されるまで、わたくしは自分の中に別の感情があることを自覚していませんでした」


 レイウルフを見つめる黒い瞳から、まっすぐに涙がすべり落ちた。

 震える声。


「なぜでしょうか? スザクも、ビャッコ姉さんも、自分の主とともに歩むことを喜びとしているのに、なぜわたくしはあのとき、カイリさんとふたりになることを望んだりなど――」


 少女の両目から溢れる涙が止まらない。

 その心情を思い、レイウルフの心が締めつけられた。


(いけない。こんなときこそ、私が冷静に考えてあげなければ)


 答えを与える必要はない。

 彼女が望んでいるのは論理的な答えではなく、苦しみから救われること。

 そのためには、彼女自身が答えを見つけるしかない。


「こんなとき、時間をかけてただ君の話を聞くのもいいでしょう。ですが、君は賢い子です。欲しているのは慰めではなく、答えにたどりつくためのヒント――ですね?」


 こくりと頷くゲンブ。

 手と袖で涙をぬぐう。


 すこしの間をおいて、レイウルフが口を開いた。


「カイリに出会ったばかりのとき、君はむしろ彼を警戒していましたね。それが決定的な好意に変わったのは、おそらく彼が私の指を治してくれたときでしょう。私が指を失ったことを、君は自分のせいだと思い、ずっと後悔していましたから」


 ゲンブが左右に首を振った。


「違います、父上。竜が主を慕う気持ちは、そんなことで変わったりしませんわ」


 その言葉を聞き、レイウルフはしばらく黙った。

 これが人の子の話であれば、恋心を理屈で説明しようとすること自体がナンセンスだ。

 だがゲンブは竜である。

 竜とは精霊のようなものだと、カイリから聞いていた。

 精霊は契約によって人に仕える。

 竜も同じだと。


 そもそも精霊は人に恋をすることなどない。


(ゲンブが抱いているのは淡い恋心というレベルではなく――)


 主人を鞍替えする――そういうレベルの話だと気づき、ゲンブが動揺している理由を理解した。


(ゲンブは自分のことを“欠陥品”とまで言いました。それほどに、ゲンブにとってショックなことなのですね)


「……そもそも君は、最初から私を“父上”と呼びましたね。一般的に父とは、いずれ娘を嫁に出す立場にあります。だから、君がカイリに想いを寄せていることに気づいても、私はそれほど不自然には感じませんでした」

「それは……」


 こんどはゲンブがうつむき、考え込んだ。


「……自然に出た言葉です。今でも、私にとって父上は父上です。でも、だからといって竜が嫁にいくなど、ありえません」


 くすりと笑うレイウルフ。


「そうですね。ですが、スザクはカイリを父とは呼んでいません。おそらく最初からそうでしょう。カイリと私の違いが何か、わかりますか?」

「父上とカイリさんは全然違いますわ。カイリさんがカイ・リューベンスフィアだから……でしょうか?」


 首を横に振ったレイウルフがフードを下ろした。


「カイ・リューベンスフィアかどうかなど、出会ったばかりでわかるのですか? 彼と私の決定的な違いは――」


 少しだけバンダナを持ち上げ、長くとがった耳を見せるレイウルフ。

 すぐに隠し、フードをかぶり直した。


「彼がヒューマン族で、私がエルフ族だということです。そしてゲンブ、君たち竜の外見は、ヒューマン族です」

「…………」


 意外な発想に驚いたゲンブだったが、竜が日本の兵器だったことを考えれば可能性はあるように思えた。


(明らかに外見が日本人離れしている父上を、無意識下で真の主人と認めていなかった――?)


「いえ、それはおかしいですわ、父上。だってビャッコ姉さんは、ドワーフ族のリュシアスをまるで伴侶のように慕っています」

「そうですね。この理由は、君とスザクの状況の違いを説明するものです。もうひとつ、君とビャッコの状況の違いがあります」


 レイウルフの説明を聞いたゲンブが息をのんだ。


「ビャッコ姉さんは……生まれてから十年間ずっと……地下で独りだった?」

「リュシアスからそう聞きました。主人を必要とする竜が、主人不在のまま十年を孤独に過ごし、初めて現れたのが彼だったそうです」


 ゲンブの顔が青ざめていた。


(わたくしには想像できない……そんな絶望的な孤独を……主人のいない世界を……)


「君が目覚めたのは、私たちエルフ族が穴を掘り進めている最中ということでしたね。外の会話を聞いて、私たちの言葉を覚えたと。そんな状況だった君にとって、外にいる誰が最初に目の前に現れるか――というのは、偶然で決まったようなものではありませんか? 子が親を選べないのと同じように」


 思いつめた表情のゲンブに、レイウルフが言葉を続ける。


「ですがビャッコにとっては、リュシアスが世界で唯一の主人に見えたことでしょう。生まれてから数十日でカイリ――ヒューマン族の存在を知った君とは、状況が大きく違います」


 再びゲンブが涙を流していることに、レイウルフは気づいた。


「わたくしは……ビャッコ姉さんが苦手でした。属性の相性とかではありませんわ。主人を優先するあまり周囲と協調しようとしない姉さんを理解できませんでした。だって竜は本来、協力してこそ最大無比の戦力たりえるのです。でも……今の話を聞いて、わたくしは……自分の悩みが贅沢なものだと思い知りましたわ」

「ゲンブ……」


 その日、ゲンブは初めてレイウルフの腕の中で泣いた。

 姉の気持ちを思い、自分のふがいなさを思い、大声を上げて泣き続けた。




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