File053. 竜の火炎
その時、赤いドラゴンとなったスザクと白いドラゴンであるビャッコの距離は六十メートルにまで詰まっていた。
血の気が引くビャッコ。
(近づけすぎた――)
そう思ったときには手遅れだったのだ。
そもそもリュシアスとともに接近した百メートルがぎりぎりであり、それより一歩でもスザクを近づけさせてはいけなかった。
竜脈を通じて集められ、マイクロ波で届けられた膨大なエネルギー。
赤竜の口から、炎のブレス――竜の火炎――が吐き出されていた。
白い肢体をひねって強く羽ばたき、風の力も借りて上空へ回避しようとする白竜。
絶対に下へ逃げてはいけない。
上空にしか勝機はない。
そう考えるビャッコだったが全身に熱線を浴び、下半身の感覚が消え失せる。
(なんてことなの……)
思うように風を操れなかった。
思うような加速で上昇できなかった。
それは当然なのだ。
竜はその特性によって、特定状態の物質を操る。
ゲンブなら固体を、ビャッコなら気体を、そしてスザクならプラズマを。
操作できる範囲は自分の半径百メートル以内。
スザクとビャッコの距離も百メートル以内。
その中にいる限り、スザクが吐いた竜の火炎をビャッコが防ぐことはできないのである。
なぜなら竜の火炎を吐くということは、その意思の中に竜の火炎の軌道も含まれ、その軌道を維持しているのは周囲のナノマシン群だからだ。
ビャッコが風を操り上昇しようとしても、そこにいるナノマシンは竜の火炎の軌道を維持する作業を優先する。
同じナノマシンに二体の竜が干渉したとき、その優先順位が決まっている。
スザクの近接距離――ナノマシン操作可能範囲――にいる限り、すべての攻防においてスザクの優位が継続する。
白竜の下半身は黒く変色し、左足がその付け根から消失していた。
そしてスザクからの距離百メートルを超えて広がった竜の火炎は、見渡す限りの大地を焼き払い、直径三十キロ――東京から八王子に到達するほどの範囲――を焦土と化した。
山々を覆う木々は燃え、火山の噴煙よりも巨大な黒煙が大空に立ち昇る。
だがビャッコはまだ生きている。
それはスザクが自分の弱点――火系の竜に特有の欠点――をカバーすることを優先したためだ。
――火系の竜には他の竜にはない重大な欠陥があります。
闘いの前にビャッコがリュシアスに伝えた言葉。
スザク自身にもわかっていた。
それはほとんどの状況において、周囲にプラズマが存在しないという事実である。
ゲンブには大地がある。
ビャッコには大気がある。
自分の近くにも、敵の近くにも。
だがスザクにはプラズマがない。
少なくとも先ほどまで、ここにはなかった。
だからスザクは自分でプラズマを作るしかなかったのである。
現在、周辺の大地は炎――プラズマ――に包まれている。
プラズマに囲まれた戦場ができあがっていた。
地上付近にいるナノマシンは、今やそのすべてがスザクの味方である。
片足を失った白竜は上昇を続けていた。
できるだけ上へ。
(スザクが上空から地上の炎を操れる限界高度は百メートル。そこからさらに上方に向けて炎を操れる距離も百メートル。つまり高度二百メートル以上まで上昇し、かつスザクとの距離百メートル以上を維持できれば、周囲のナノマシンは私の味方になる)
たとえスザクが再び竜の火炎を吐いても、それを風の力で防げるようになるのだ。
問題は――。
(あの様子では、地上にいたドワーフたちは全滅した可能性が高い。……リュシアスが悲しむわね)
***
カイリのそばで赤い竜に変化したスザクは、すぐにビャッコに向かって飛んだ。
風を操るビャッコとは違い、スザクが飛ぶためには翼がある竜形態になる必要があった。
ブレスを吐くためにも。
彼女の大きさは体長十五メートルにまで成長している。
そしてビャッコが風の神衣を解除し、白竜に変化する輝きが見えた。
その体長は三十メートル。
スザクの倍である。
(ビャッコ姉、闘うよ。究極の兵器である私たち竜を相手にできるのは、竜だけ。強くなるには……どんな状況でもカイリを守れるくらい強くなるには……同じ竜と闘って、学習するしかないよねっ)
後方にいるカイリとマティにブレスの輻射熱が影響しないと思える距離まで離れると、スザクはいきなり竜の火炎を放射した。
出し惜しみする理由はない。
そもそも炎や雷を作り出さなければ、火系のスザクには攻防手段がないのだから。
スザクからビャッコまでの距離、六十メートル。
直接ビャッコを狙えば、あるいは一撃で仕留められたかもしれない。
だが失敗すれば戦況がどう転ぶか、スザクには予想できなかった。
だからまずは地上を炎で包むことで、自分の欠点を少しでもカバーしようとした。
どす黒い煙が大空を覆う、超大規模の山林火災。
ドワーフ族が降下直後に土の精たちに命じた森林破壊など、現状にくらべれば可愛いものだった。
(後でカイリに怒られるかな? レイウルフさんたちは〈離位置〉で退避したはずだし、かまわないよね)
***
地表を焼くための竜の火炎。
その熱量はすさまじく、ブレスの軌道近くにいたビャッコから左足を奪っていた。
竜にはそもそも、身体に損傷を与えるほどの強敵がほとんど存在しない。
そして損傷したとしても、通常であれば人の姿を経由して変身することで無傷の身体を取り戻せる。
だが、竜による攻撃で受けた傷は別だった。
姉竜が妹竜に対して優位に設定されていることからわかるように、竜は竜を攻撃することを想定して設計されている。
ナノマシンを介したその攻撃は、精霊系である竜のプログラムそのものに干渉するのだ。
身体の構成情報に直接損傷を受けるため、人の姿になっても、そこからドラゴンの姿に戻っても、プログラムが修復されるまで傷が治ることはない。
自動修復には日数がかかるし、生命維持に必要な器官を失えば人や竜の姿で生きることができなくなる。
そして人工知能プログラムに相当する頭部を失えば、プログラムすべての機能が停止するのである。
(それが、竜の“死”……)
竜を殺すには、竜による攻撃かそれと同等の攻撃――汎数13以上の魔法――によって、竜のプログラムそのものに干渉する必要がある。
(でもここまでくれば、相手が火系でも私に負けはない)
天空。
渦巻く黒煙が視界の大半を覆ってはいても、そこが大気に包まれた戦場であることに変わりはなかった。
(風系の私にとって、火系のあなたはこの世で唯一の上位存在。成竜になって間もない今のうちに、ここで消えてもらうわ。私とリュシアスの幸せのために、ね)
索敵により、スザクまでの距離は正確に把握できている。
風の力を取り戻した今、二度とその距離を詰めさせる気はなかった。
左足を失ったせいで身体のバランス感覚にわずかな違和感はあるものの、空中での攻防に影響はない。
そしてビャッコには、思い通りにスザクを攻撃できる自信があった。
(繰り出した攻撃を微調整できるのは、互いに百メートル以内まで。そこから先は慣性と拡散で相手に到達することになる。その攻撃を、私は周囲の大気を操ることで退けられる。でもスザク、あなたには防御手段がない。ここにはプラズマがないから。そうね、せいぜいブレスで相殺するくらいかしら。そんな前方範囲の大技だけで、風系の攻撃を躱せやしないわよ)
白竜の姿が同心円状に歪んで見えた。
それは彼女が前方の空気に濃淡を作っていることを意味している。
(大量の空気を真空で包み、小さくしていく。断熱圧縮された空気は液化することなくエネルギーを蓄積して……)
直径一センチほどになった透明な球が、次から次へと生み出される。
(あまり小さくすると発光してしまうわね。あぶない、あぶない……)
気体がエネルギーを蓄積し続ければ、高温化した分子はやがて電離し光を放つプラズマとなる。
そうなった瞬間、それは気体を操るビャッコの手を離れ、プラズマを操るスザクの支配下に置かれてしまうだろう。
(それでもスザクを百メートル以内に近づけなければ問題ないわけだけど。……余計なリスクを負う気はないわ)
光の加減でしか見分けることができない空気球。
その数が何千何万個と増えていき、ビャッコの周囲百メートルの空間を埋め尽くした。
そしてスザクが近づくと同時に、すべての球が半径百メートルの外へ送り出される。
ビャッコの制御を離れた圧縮空気爆弾が、その膨大なエネルギーを解放した。