File037. 消散言《サイレント》
カイリたちが発掘現場に現れる一時間ほど前。
エルフ族神殿護衛隊に属する騎士隊隊長のラウエルは、口ひげを親指でさすっていた。
それは彼が困り果てたときに見せる癖である。
離れた場所にいる妹竜に、ゲンブから呼びかけることができる――。
それを知った族長のエステルが、すぐに妹竜を呼ぶことにしたからだ。
「エステル様、竜を呼び寄せるのであれば、少なくとも森林防衛隊の半分を配置して対応するべきです。我々だけでは昨日の二の舞になりかねません」
殺気を放つゲンブを前にして、騎士隊六名がまるで動けなかった。
その事実がラウエルの顔を苦々しくさせていた。
「大丈夫ですわ、ラウエルさん」
ゲンブの冷静な声が部屋にいる三人の注目を集めた。
「竜には属性があり、属性に基づいた相性があります。わたくしはソリッド……土系の竜で、妹はプラズマ……火系の竜です。土と火の間に強弱関係はありません」
「ふむ、六精霊の属性のようなものかね?」
ラウエルが属性の相性という概念をすぐに理解できたのは、この世界に存在する六精霊になじみがあるからだった。
六精霊のうち相性があるのは次の四精霊である。
火の精は水の精に弱く、水の精は土の精に弱く、土の精は風の精に弱く、風の精は火の精に弱い。
“三すくみ”ならぬ“四すくみ”の関係である。
ゲンブは精霊の存在を知らなかったが、ラウエルの話を聞いて答えた。
竜の四姉妹がもつ属性とその相性は、四精霊のそれと同じであると。
「では土である君と火の竜は同等の力関係にあるということだろう。相手が軍を連れていた場合、やはり我々だけでは……」
「同等ではありませんわ」
ゲンブは落ち着いている。
ただしその表情には翳りが見えた。
「竜は成長します。二か月早く生まれたわたくしの、妹に対するアドバンテージは圧倒的です。人の姿で言えば十六歳相当のわたくしに対して、昨日生まれたばかりの妹はまだ五歳児程度でしょう。その差は、使いこなせるエネルギー量の差となります。そして竜の力の前には、同行する兵が十万だろうと百万だろうと、誤差の範囲ですわ」
「…………」
黙り込んでしまうラウエル。
嬉しそうな顔で二人の会話を聞いていたエステルが、何かを思いついたように問いかけた。
「ゲンブ、おまえは魔法の存在を知っているか? 例えば汎数6の魔法を使いこなす相手に、おまえは勝てるか? 敵はラウエルのような騎士や戦士ばかりではないぞ」
エステルの言葉は明らかにカイ・リューベンスフィアを意識したものだった。
歴史に登場する彼が汎数6までの魔法を使用したことは、ラウエルとレイウルフも知っている。
人類史上最強の存在とされており、一般に魔術師が使える魔法が汎数2までであるのに対し、最近召喚された二十一代目がすでに汎数4の魔法を使用したことがレイウルフの報告でわかっている。
エステルにとって想定される最悪のケースは、カイ・リューベンスフィアと竜が一緒にいることだった。
「魔法……。この時代に対するわたくしの知識は、二か月の間に皆様の会話から得たものだけですが……魔法とは役名のことでしょうか?」
「そうだ」
考え込む素振りを見せるゲンブ。
「汎数6程度であれば問題になりません。役名についての詳細な知識はわたくしの中にありませんが、竜に有効な魔法の汎数は13以上のはずです」
「ほう……」
エステルが目を細めた。
その横でラウエルが狼狽している。
「レ……汎数13……だと。そんな魔法が、この世に存在するというのか」
その時、エルフの族長は全く別のことを考えていた。
「ちなみに、その魔法の役名と要俳がわかるか?」
「いいえ。竜には役名を扱う機能はありません。必要がないからですわ」
首を横に振るゲンブを見て、エステルは「そうか」とだけつぶやいた。
そして族長の質問の意味をようやく理解したレイウルフとラウエルが、やや遅れて大きな落胆の様子を見せた。
ゲンブが高汎数の役名を唱えられるのであれば、魔法が得意なエルフ族にとって、魔術師が魔法を習得するために必要な四つの要素がすべて揃うことになる。
魔法の役名とその要俳を知ること。
正確な発音を伝える師匠がいること。
正確な発音を聞き分ける才があること。
正確な発音を発声する才があること。
魔法が得意な種族と言っても、それは他種族と比べればという意味であり個人差もある。
現に発掘現場で労働に従事していたエルフたちのほとんどは、全く魔法を使えない。
それでもエルフ族の中から、カイ・リューベンスフィアをはるかに超える魔術師が誕生する可能性――それは極めて魅力的なものだった。
「いずれにしろ、呼ばれた竜とともに現れるのが予言書を解読したカイ・リューベンスフィアである可能性はある。今の時代、世界を救うために動いている者は限られるからな」
発掘現場に近い〈離位置〉の出現ポイントはわかっている。
すぐに戦闘を想定した配置の指示が出され、四人の長い会話が終わった。
宿舎から発掘現場のテントへ向かおうとするレイウルフをゲンブが呼び止めた。
「どうしました、ゲンブ」
「父上、わたくしは妹と……スザクと戦いたくはありません。竜の精神は、四体が協力することを前提として設計されています。ただそれでも父上が望むのであれば、わたくしは……」
俯いた少女の肩が震えている。
会話の途中でゲンブの表情に見えた翳りの正体をレイウルフは知った。
妹を呼ぶことを提案したのは彼女自身だが、それは効率を重視した上で主人のために発言したにすぎない。
「相手の竜が参戦するまでは、君は姿を見せてはいけないことになっています。それでも君が妹と戦うことになったなら……」
ゲンブの両肩にレイウルフが両手を置いた。
「その時は躊躇せず、君の圧倒的な力で一気にねじ伏せるのです。一瞬でかたを付けることができれば、互いに傷つけあわずに済むはずです」
「……はい。ありがとうございます、父上」
涙を浮かべつつも笑みを見せるゲンブだった。
***
「エステル、久しぶ――」
「テクニティファは黙っていてくれ」
エステルの冷え切った言葉がマティの口を閉ざした。
エルフの族長はカイリを見つめたままであり、その態度にマティはショックを受けているようだった。
それでもカイリは彼女がマティに返事をしたことで、彼女が今でもマティをかつての仲間と認めていることを感じ取った。
(ならば、まずは紳士的に礼を返そう。本来なら外から現れた俺が先に名乗るべきだったんだろうし)
「初めまして、エステルさん。二十一代目カイ・リューベンスフィアのカイリと申します。ここに埋まっていた土系の竜を譲り受けにきました」
「……カインではないようだな、安心したよ」
「?」
エステルの言葉を理解できないカイリだったが、冷え切った彼女の瞳がさらに温度を下げるのを感じた。
少なくとも自分はマティのように仲間とは認識されていない。
たとえマティが連れてきた者であっても、彼女には関係ないということだ。
それはカイリにとっても同じである。
エステルがかつてのマティの仲間であっても、なすべきことは決まっている。
「では問おう、カイリ。何のために竜を欲する?」
互いの表情を読みあうカイリとエステル。
二人ともおだやかな口調だが、張り詰めた空気がマティに緊張の汗をかかせた。
「世界を救うために」
カイリの返事を聞いたエステルが満足そうな笑みを浮かべた。
「同じ理由で命じる。おまえの竜を置いてこの場を去れ」
(あ……)
マティは直感した。
できれば避けたかったカイリとエステルの戦闘が、今から始まってしまうことを。
そして同時に思い出した。
戦闘になるのであれば、カイリに伝えておくべきことがあったことを。
「カイリ、エステルは――!」
「近づくな、マティ!」
近寄ろうとするマティにカイリが気を取られたその刹那。
すべてを決する事前詠唱魔法が、エステルの口から発せられた。
「〈消散言〉」
マティは自分の愚かさを呪うことしかできなかった。
どうして忘れていたのだろうか、と。
エステルが、先代カイ・リューベンスフィアであるカインから受け継ぎ、汎数4までの魔法をマスターしているということを。
それをカイリに伝えておくべきだったということを――。
汎数4の魔法〈消散言〉。
それは相手が魔術師である限りどんな大魔術師であっても関係なく、先に発動したほうが勝利する。
そんな魔法である。
無効化する魔法は存在しない。