File036. 邂逅
そろそろ正午のはずだが太陽は変わらず西の地平線に浮かび、この世界をオレンジ色に照らしている。
枝が短く背の高い木々の間から、水平に近い角度で光の筋が差し込んでいた。
標高が高い森の中。
なだらかに傾斜した柔らかい地面を少し歩くと、向かいの森を背景にした平らで広い場所が見えた。
踏み固められた広場には布で覆われて中が見えない大型のテントや、岩を積んだ手押し車らしきものが見える。
森の中から眺めるその景色は陽光に照らされて眩しく、カイリは目を細めた。
(あれか……ずいぶんでかいな。ここからじゃ深さはわからないけど、エルフ族が竜を掘り出した穴に違いない)
広場の中央に直径が三十メートルほどの巨大な穴が口を開けていた。
ただしエルフの姿は見あたらない。
人の気配がなかった。
背後を確認するカイリ。
そこではフェスを頭に載せた体長三メートルの紅い竜があくびをしていた。
細身で体は長いが、頭の高さはカイリより少し低いくらいなままのスザクである。
スザクが“ゲンブお姉ちゃん”と呼んだ竜が、スザクに呼びかけたことはわかっている。
“ゲンブお姉ちゃん”はすでに生まれているということだ。
マティの〈離位置〉でここまで来てはみたものの、竜を手に入れたエルフ族がすでにこの場所を離れている可能性は十分にあった。
「来るのが遅かったかな」
「…………」
隣に浮いている妖精に声をかけたカイリは、彼女の表情が硬いことに気づいた。
つい先ほどまではエルフの族長エステルに会える嬉しさで浮かれていたはずのマティ。
その彼女が、今は緊張した面持ちで周囲に視線を走らせている。
「マティ?」
「……テントや木の陰にざっと五十人ほどです、カイリ」
いつもより低めのマティの声に、動きを止めるカイリ。
カイリに人の気配は感じられない。
だがマティの言葉は、潜んでいる敵の数を示しているとしか思えなかった。
「警戒されているのかな? それとも……」
「狩猟を生活の一部とするエルフ族は動物の気配に敏感ですが、フェアリ族の探知能力には到底及びません。つまり私たちの接近に気づいて対応しているわけではなく――」
「待ち伏せ、か」
マティが頷くのを確認したカイリがスザクを振り返った。
「フェスとスザクはここで待っていてくれ」
「わかった です」
「クィ」
素直な一人と一匹に微笑むと、広場へ出ようとするカイリ。
マティが慌てた。
「待ってください、カイリ。どうするつもりですか? まずは私がエステルに――」
「だめだ、マティ。竜がいなければ、これはマティとエステルさんが旧知の再会を果たすだけの訪問だったかもしれない。だけどそうじゃない。今から始まるのは、この世界でおそらく初めての――」
カイリの真剣な瞳を見たマティは、ただ黙って次の言葉を待った。
カイリの“覚悟”を感じ取っていた。
「――竜を持つ者どうしの邂逅になる」
(ソロンさんは言った。エルフの族長は世界を救うために竜を探していると。そのために必要な竜が四体いることも知っていた。つまり、目的は俺と同じだ)
エステルとカイリは四体の竜を求める者どうしである。
そして竜が仕えるのは一人の主人のみ。
(俺はどんなことをしてでも四体の竜を手に入れる。その思いは相手も同じだろう。そうしなければ世界を救えないのだから。マティとエステルがかつての“仲間”だとしても、それは関係ない)
心配げな様子のマティにカイリが声をかけた。
「今朝、ガーディさんの村で俺が〈方定〉をかけていたのを覚えてる? この時が来るのはわかっていたし、そのための準備もしてきた。事前詠唱もそれなりに用意してあるしね。今の俺は、サナトゥリアや首輪の人に襲われたときのような後れをとることはないつもりだ」
「…………戦闘になるということでしょうか?」
マティには仲間に対する甘さや甘えがある。
九十年以上会っていなかったソロンにあっさりと竜のことを口にしたのもそうだし、エステルとも会えばわかりあえると信じているふしがある。
だがそれに流されるわけにはいかないとカイリは思っていた。
「相手の事情によっては話し合いで竜を譲り受けるという選択肢もあるかもしれない。だけどエステルさんは世界を救うために竜を探していると聞いた。もしエステルさんが本気で世界を救うつもりなら、俺と同じことを考え、戦いの準備をしてきたはずだ」
エルフ族が待ち伏せしている相手は自分たちに違いないとカイリは確信していた。
スザクを呼んだのは、エルフ族が手に入れたであろう竜なのだから。
最初はその竜が姉として、後から生まれたスザクに話しかけてきただけだと思っていた。
だがエルフ族が待ち伏せしている状況を考慮すれば、スザクを呼んだのは姉竜を従える主人の思惑によるものと推測できる。
「マティは一緒に森から出てもかまわない。でも俺のそばには近づかないようにしてくれ」
「わかりました」
広場に出たとたん、エルフ族数十人による矢の集中射撃を受けるかもしれない。
そう進言したマティにカイリは「大丈夫」と答えた。
それが撃たれることはないという読みなのか、撃たれても平気だという自信なのか、マティにはわからない。
ただカイリが落ち着いていることはわかった。
木の精のフェスに屋敷が襲われたときのことを思い出す。
あの時もカイリは落ち着いて〈散暗光〉を展開させていた。
ただその時はすべての魔法を手に入れたというだけの、戦闘経験がないカイリの薄っぺらい自信だった。
だが今は違う。
二度の戦いを経験し、油断や状況によりあっさりと命を落とす可能性があることをカイリは身をもって学んでいる。
戦闘経験豊富とまではとても言えないが、それを積むだけの下地が今のカイリにはあるとマティは思った。
無言のまま森から出る二人。
エルフ族は姿を隠したままであり、カイリも黙ったままだ。
最初に声を発したのは、いつものようにマティだった。
「姿を見せなさい、エルフ族。私はフェアリ族のテクニティファ・マティ・マヌファ。悠久の時を生き、エルフ族に魔法を伝えし者。エルフの末裔は礼を軽んじる愚か者ですか?」
マティの脳裏に思い出されるサナトゥリアの顔。
彼女はマティや族長のエステルさえ呼び捨てにした。
自分の立場がどこまで通用するのかは、マティ自身にもわからない。
風が吹き抜け、木々の枝がわずかに揺れた。
気がつくと、大型テントのそばに一人のエルフが立っていた。
身に纏う立派なローブはなめらかな光沢を放ち、それが古代の布で仕立てられた逸品であることが想像される。
陽光を反射して輝く白い髪は長いストレートで風になびき、灰緑色の瞳は理知的ですべてを見透かすようだった。
彼女は完全にマティを無視し、カイリを睨んでいる。
「エルフ族を束ねるエステルだ。おまえがカイ・リューベンスフィアだな?」
堂々とした態度の彼女からは、その存在の大きさを示すオーラが感じられた。
二十代前半の外見は長寿のエルフ族ゆえであり、二百歳になるエステルが見つめるカイリはわずか十八歳の子供に過ぎない。