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竜を連れた魔法使い Rev.1  作者: 笹谷周平
Folder05. エルフの族長
33/120

File033. 先代


 年老いたエルフのソロン。

 彼は涙を落とし、ヒザから床に崩れた。


「カイ様。どうか、この愚か者に罰を……お与えくださいませ」


 あっけにとられるカイリ。

 老人に泣かれ、ましてや罰を求められる経験など初めてのことだった。


「何度も、助けていただきました。私はカイ様の優しさに気づいていたのでございます。それにもかかわらず、私はただ……カイ様に反発して……。あの日も、エルフ族の慣習にこだわる私のせいで、カイ様は……」


 声は震え、涙で濡れた白いひげが光っている。

 何も言えないでいるカイリの前で、ソロンが床にうずくまった。

 顔を伏せたまま嗚咽を漏らしている。


 困ったカイリが視線を向けると、マティがもらい泣きの涙を浮かべていた。



「……九十年以上前のことです」


 ソロンとは対照的に、マティの声は落ち着いていた。


「世界の滅びまであと百年たらずという状況で、マスター……先代のカイは、遅々として進まない予言書の解読を諦める決断をしました。そして四人の仲間とともに、世界を救うための情報を探す旅に出たんです」

「それは……賭けだな」


 カイリが漏らした言葉に、宙に浮く妖精が頷いた。


「そうです。あてのない旅でした。それでもマスターは、寿命が尽きるまでの数十年を、ほとんど進まない予言書の解読に費やすよりはマシだと、そう判断したんです」


 その判断は正しい。

 カイリはそう思った。

 世界を救うヒントが見つかる可能性がどれほどあったのかはわからない。

 だが予言書の解読を続けても、先代カイが世界を救う方法にだとりつけたとは到底思えなかった。


 そして旅の成果について、これまでにマティがカイリに話したことはない。

 それどころか先代カイの旅について語るのは初めてだった。

 出会ったときのマティはすでに世界を救うことを諦め、少なくとも表面上はその滅びを受け入れていた。

 つまり――。


「旅の成果はなかったんだな」


 床のソロンがびくりと震えた。


「私が……旅を終わらせてしまったのでございます。私のせいでカイ様は……命を落とされたのでございます……」


 マティが丸めた指で目尻の涙をぬぐい、微笑んだ。


「成果がなかったわけじゃないわ、ソロン。旅のもうひとつの目的は、それなりに果たせたんだから」


 それは〈離位置テレポート〉で移動できる範囲の拡大だった。

 すでに千九百年を超えて生きていたマティが、まだ訪れたことがない土地へ旅をする。

 そうすることで、彼女が〈離位置テレポート〉で行ける場所を増やし続けたのだ。


「およそ百年後に召喚される最後のカイ・リューベンスフィアを〈離位置テレポート〉でどこへでも連れて行けるようにしておくこと。それはきっと役に立つはずだと、マスターはそう信じていました」



 ――俺さ、百年後にもう一度、カイ・リューベンスフィアとして生まれ変わるぜ。


 マティの脳裏に蘇る先代カイの言葉。

 まだ若い彼が、谷底で死ぬ間際に残した言葉だった。

 それが本心からのものだったのか、それとも悲しむ仲間を思ってのことだったのか、今でもマティにはわからない。


 そして九十一年後の今、彼が生まれ変わることはなかった。

 召喚された二十一代目のカイ・リューベンスフィア――カイリは、マティのことを知らなかったし性格がまるで違っていた。


 ――その時は、みんなで一緒に旅の続きをしよう。フェアリのマティはもちろん、百年後ならエステルやリュシアスもまだ生きてんだろ? ソロンのクソジジイは、エルフっつってもギリギリかもだけどなっ。


 仰向けで横たわったままニカッっと笑う先代カイ。

 そばには悲壮な表情で立ち尽くすソロンと、大粒の涙をこぼすマティがいるだけだった。

 彼が愛したエステルは、エルフ族の最大戦力――森林防衛隊隊長として、三年振りに勃発したドワーフ族との大戦に赴いている。

 むせた口から血の塊があふれ、頬とライトブラウンの髪を汚した。


 ――ああそうだ、例の魔法は唱えてあるから安心してくれ。マティがペロッとひと舐めするキスで発動することになってる。わりぃが、かけ直しはできそうもねぇ……から……頼むぜ、マティ。


 カイ・リューベンスフィアが代々続けてきた〈翻逸トランスレート〉の事前詠唱。

 それは異世界から召喚される次代のカイ・リューベンスフィアが言語の違いで困らないように、発動条件をマティの行動で指定するものだった。

 彼はそれを旅に出る直前に唱えていたが、いつでもかけ直せると思っていた。

 そのわずか三年後に命を落とすことになるとは思っていなかったし、その死に場所がたまたま一切の魔法が発動しない特殊な土地になるとは予想できるはずもなかった。


 回復魔法も〈離位置テレポート〉も使えない。

 先代カイの後頭部からみるみる広がっていく血だまりを、ソロンとマティはただ見ていることしかできなかった。


 異世界で巡りあった一人の女エルフのために、世界を救うことを決して諦めなかった先代カイ。

 彼は、死を前にしてさえ諦める素振りを見せなかった。


 ――百年後が楽しみ……だ……ぜ……。





「私のせいでございます。私が慣習に反することを恐れたばかりに……悪魔憑きの赤子を救おうとしたカイ様は……」


 身体を丸めたソロンが自分を責め続けている。

 そんな彼に歩み寄るカイリ。

 そうすることが正しいのかどうかわからないまま、老エルフの震える肩に手を置いた。

 九十一年という長い歳月を、後悔の中で生きてきた男が顔を上げる。


「その……ソロンさん。俺は先代ではありません。ですからあなたを罰することも、ゆるすこともできません。ただ――」


 ソロンが無言のままカイリを見つめ返した。

 生まれ変わりなどという奇跡が都合よく起きることなどないと、彼も理性ではわかっていた。

 許しを請うべき相手は、もうこの世にいないのだ。


「ソロンさん、俺は必ず……この世界を救います。それがあなたと先代のために、俺ができることのすべてだと信じます」


 再び涙を浮かべた老人が、カイリの腕をつかんでうつむいた。

 長い時間そうしていた彼が顔を上げたとき、カイリは老人の目に力を感じることができた。


「私にできることがあれば何でもご協力いたしましょう。カイ様は予言書の解読を続けるのでございますか? それとも情報を探す旅の続きを?」

「どちらでもありません。旅は必要ですが、行き先は決まっています。それからできれば俺のことはカイリと呼んでください。呼び捨てでかまいません」


 不思議そうな顔のソロンに、どこから説明するべきか悩むカイリだった。



  ***



 地面に巨大な縦穴を作った発掘現場から、百メートルほど離れた簡易宿舎の一室。

 窓から川のせせらぎが聞こえる狭い部屋に、背もたれ付きの簡素な椅子が丸テーブルを囲むように置かれ、三人のエルフと一人の娘が座っていた。

 金髪金目の若い男が、正面に座る女に問いかけた。


「……ではエステル様。まだ神殿へはお戻りにならないということでしょうか?」

「そうではない。残り三体の竜を探す役目はレイウルフ、おまえとゲンブに託す」


 意表をつかれたレイウルフだったが、驚いたのは一瞬だった。


 ――おまえには森林防衛隊よりも重要な任務を与えることになる。


 族長のエステルがそう宣言したのは昨日のことだ。

 そんな任務は族長と六神官を除けば領外へ赴く類のものしかありえなかった。

 族長は論外であり、六神官になるにはレイウルフは若すぎた。

 数ある役職の中で、唯一年齢制限が設けられているのが六神官である。


「“それ”がなければ、私が自分で竜探しを続けるつもりだったのだがな」


 エステルが視線を向けたレイウルフの右手には、薄手の皮手袋レザーグローブが付けられていた。

 指の部分には布が詰めてある。


 治癒術師――汎数レベル2魔法として回復魔法〈産触導潤キュア〉を習得した魔術師――の魔法により、レイウルフの右手は新しい皮膚を再生している。

 だが失われた指が生えてくることはない。

 戦場では四肢を失うことさえ珍しくないが、日常生活に影響を与えるような身体欠損は隠すのが普通だった。

 おおやけの場で見せびらかすものではないし、戦いの場で相手に弱点を教える必要はないからだ。


 若い部下の落ち着いた様子を確認して話を続けるエステル。


「私の留守が長期化したことで、六神官どもの機嫌がすこぶる悪いらしい」


 六神官たちはエステルがどこで何をしているかを知っているが、全員がその行動に賛同しているわけではなかった。

 エステルの味方はソロンだけであり、彼女が“六神官ども”と口にするときは、ソロンもまた六神官の一人であることを忘れている。


「ここで、弓を引けないおまえに武の象徴である森林防衛隊隊長を続けさせれば、今度こそ奴らが何を言いだすかわからんからな。おまえが抜ける分をカバーするためにも、私がおとなしく神殿に戻るしかあるまい」


 山積みの書類に埋もれる日々を思うとウンザリするがな――と付け加えると、エステルは左側に座る口ひげの男に目くばせした。

 族長とともに先に部屋で待っていた彼が話を引き継ぐ。


「もうひとつ、そろそろ族長不在というわけにはいかない理由があります」


 ラウエルの真剣な表情を見て、レイウルフはすぐに思いいたった。


「……ドワーフ族の繁殖期が終わる時期ですね」


 頷くエステルとラウエル。

 その意味がわからないのは、なぜ自分が呼ばれたのかさえわからない黒髪の少女だけだった。




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