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竜を連れた魔法使い Rev.1  作者: 笹谷周平
Folder03. 竜たちの覚醒
17/120

File017. 薬杯《ヒーリング》


 ライトブルーの短いストレートヘアが風に揺れた。

 葉擦れの音が左から右へと波のように流れていく森の中で、紺色のチャイナドレスに身を包んだ若い女は無言のままだった。

 年齢は二十代(なか)ばくらいだろうか。

 その首には黒い皮製の首輪がついていて、金属製のDカンや美錠が鈍い光を放っている。


「……答える気はないようね」


 マティの声がやや低くなる。


 ――高目移行放棄ランクアップキャンセル……


 呪文を口にした途端、黙り込むマティ。

 そのままゲホゲホとき込む。


「マティ……?」


 カイリが声をかけても反応がない。

 せきが止まったと思ったら、のどからヒューヒューと乾いた音がした。

 苦悶の表情を浮かべて女をにらみつけている。


「マティ!」


 ――高目移ランクアッ……


 呪文を唱えようとしたカイリを、マティと同じ現象が襲った。

 それは急激なのどの渇きだった。

 突然、のどから水分が奪われたのだ。

 それだけのことで声が出ない。

 呪文を詠唱できない。


 咳き込むカイリ。

 のどが切れて口から血が飛んだ。

 呼吸をするだけで裂けるような痛みがのどに走る。


(くそ……事前詠唱の話を聞いたばかりだったのに、準備をしていなかった)


 いきなり戦闘になるとは思っていなかったのだから、仕方がないのかもしれない。

 それでもカイリは事前詠唱の重要性を痛感していた。

 目の前の女が一体何者なのか、何をされたのか、さっぱりわからないが攻撃を受けたことは間違いない。


「……自分の身を守ること。それがご主人様のご命令の中で第二に優先される事項です」


 意外なほどに優しく、慈愛を感じさせるような声音だった。

 美しくなまめかしい肢体と優雅な物腰、そして人間離れした圧倒的な威圧感――。

 その瞳が深い青色に光っているようにカイリには見えた。

 彼女が地上に舞い降りた女神だと言われれば、すぐに信じたかもしれない。

 ――こんな状況でなければ。


「あなたたちの命を一瞬で奪うことは、呼吸するよりも簡単なこと。ですが、今回のご命令の中に他者の命を奪うことは含まれておりません。私を攻撃しようとさえしなければ、そのように苦しむこともなかったでしょう」

「かはっ」


 苦しくて地面を転がるカイリ。

 そのまま池の水面に顔を突っ込んで緑色に濁った水をすすった。


(のどの水分がなくなるだけで、こんなに苦しいものなのか……)


 とにかくのどをうるおす。

 切れたのどにしみる痛みは、渇きの苦しみよりマシだった。

 雑菌や微生物による病気や腹痛の心配も後回しだ。

 呼吸もままならない状態からなんとか回復する。


「マティ!」


 吐き気をおさえつつ地面に倒れていたマティを左手で支え、水をすくった右手を口元に当てた。


「とにかく飲むんだ。呼吸が楽になる」


 マティが綺麗とは言えない水を口に含み、飲み込んだ。

 うつろな瞳でカイリを見上げる。


「ありがと……ございま……」


 マティのかすれた声を聞いて安心したカイリは、チャイナドレスの女を振り返った。


「おまえは一体……」


 そこに女の姿はなかった。

 そう認識するのと同時に、目を開けていられないほどの強風がカイリを襲い、池の水面に高さが三十センチもある波を生んだ。


 バサッ


 上空から聞こえる大きな羽音。

 森の木々に遮られて見えないが、何か巨大な生物が飛び去っていく音が確かに聞こえる。


「く……」


 微生物入りの水を飲み込んだ胃が早速痛みを感じていた。

 かすかな声でゆっくりと呪文を唱えるカイリ。


 ――高目移行放棄ランクアップキャンセル汎数レベル

 ――通模インプット要俳キーワード

 ――は巡りの力を得てを保ち、としするにするを


 初志の玉(ガイドジェム)が現れ、その色が変わっていく。

 すぐに赤色で固定された。


 ――転配コンパイル

 ――役名コマンド


「〈薬杯ヒーリング〉」


 カイリの手の中でマティの小さな身体が白く輝いた。


「〈薬杯ヒーリング〉の“ポイズン”モードだ。殺菌のための“ディジズ”モードと、のどをいためているだろうから“インジュリ”モードもかけるよ」


 “ポイズン”モードは中毒症状に対する中和効果、“ディジズ”モードは発病に対する侵入物質や異常部の除去効果、“インジュリ”モードは傷に対する補修効果がある。

 それぞれ初志の玉(ガイドジェム)の色を赤、緑、デフォルトの白にすることで設定可能だ。

 初志の玉(ガイドジェム)の色は本来魔法の威力を決めるものだが、〈薬杯ヒーリング〉や〈散暗光ライト〉のように色によって効果が変わる魔法も存在する。



 カイリの手の上で弱々しく首を横に振るマティ。

 その顔色はかなり悪い。


「どうして? まだ、しゃべるのもつらいだろ?」


 つらいはずのマティが口を開いた。


「カイ……リの治療を……先に……」

「……ばか。黙ってろ」


 抗議の視線を無視し、痛む胃をおさえながら〈薬杯ヒーリング〉の魔法をマティにかけ続けるカイリ。


(どう見てもマティのほうが苦しそうなんだから、おとなしく治療されてろよな)


 自分の痛みは自分でわかる。

 だが身体が小さいフェアリ族にとってのダメージを想像することは難しい。


 そんなカイリの心配をよそに、“インジュリ”モードをかけ終える頃にはマティの顔色はすっかりよくなっていた。


 すぐに抗議の声をぶつけるマティ。


「カイリ、あなたは世界を救うために必要な人であって……」

「ばか。誰のために世界を救うと思って……」

「ば……。に、二度もこの私に向かって……二千年以上生きる私に向かって……」


 顔を真っ赤にして怒るマティの前でカイリが倒れた。

 顔が赤く、吐く息が荒い。


「はは……嘘みたいに元気になったな。良かっ……た」


 笑うカイリの額に慌てて触れるマティ。


「カイリ……ひどい熱」


 真っ青になったマティが〈薬杯ヒーリング〉の呪文を口にする。


(どうしてそんな風に笑えるの? こんな目にあったのは、未知の相手にいきなり魔法を仕掛けた私の迂闊うかつさのせいなのに……)


 三つのモードを順番にかけていく。

 汎数レベル1魔法の〈薬杯ヒーリング〉はマティも習得していた。


 やがてカイリの顔色がよくなり、熱が下がったのを確認して安堵するマティ。

 地面に仰向あおむけに横たわったまま、黒髪の青年が寝息を立てていた。


(早起きだったし、朝から緊張の連続だったもんね……)


「ふぁ……」


 大きなあくびをすると、そのままカイリのローブの上に横たわるマティ。


(この森に危険な生物はいないけど……さっきみたいな侵入者が来るかも……私が見張っていないと……)


 数秒後にはマティの意識も落ちていた。

 二人の寝息が池のほとりで静かなリズムを刻んでいた。




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