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竜を連れた魔法使い Rev.1  作者: 笹谷周平
Folder15. 生命ある限り
117/120

File117. 新たな聖女


 かつて生まれたばかりのスザクは、天に向けて竜の雷撃(ドラゴンストローク)を放った。

 それは光の柱となり天を貫いたが、それでもその到達高度は数十キロメートルにすぎない。


 一方、静止衛星であるピージが昨日まで維持していた赤道上の軌道は高度三万五千七百八十六キロメートル。

 桁が三つも多い。

 その距離は地球の直径の約三倍であり、完全な宇宙空間だ。

 もちろん、そこにナノマシンは存在しない。


 そのピージが自動落下プログラムにより地球への落下を始め、地上からの距離が三万キロメートルにまで近づく地点。

 それがカイリと四人の竜が立つ台座の位置であり、そこから放たれたトリプル役満(フルコマンド)通移位相枢暗光大産源(ホワイトホール)〉は、時空に干渉し大量のナノマシンをピージに送り届けた。


 茶色の砂漠半球と白色の氷半球、そしてそれらを分ける緑色の生命圏で三色に塗り分けられた地球を背景に、ナノマシンの奔流に飲みこまれるピージ。

 ダブル役満(フルコマンド)の約十倍に達するエネルギーが地上の一点に集められ放出されたにもかかわらず、ピージのセンサ類は反応しない。

 それらは自動落下プログラムにより、すでに封印されていた。


「……ありがとう、みんな。成功だ」


 静かにそうつぶやいたカイリが、地面に倒れた。

 四人の竜たちもまた地にヒザをつき、次々と倒れる。


 舞い上がった砂嵐がおさまる頃、エルローズたちがカイリの元へ駆けた。



  ***



 雪雲に覆われた暗い空の下に、判別できるのは大地の起伏だけという雪景色。

 その厚さ十メートルに達する雪の下に、木造の日本家屋があった。


(いつ来ても不思議だわ。これだけの雪に埋もれて、どうして潰れないのかしら?)


 〈離位置(テレポート)〉の出現ポイントからここまで雪のトンネルを通ってきたランファは、玄関の引き戸の前で背後を振り返った。

 どういう仕掛けなのかはわからないが、この玄関前はもちろん、トンネル内も明るく寒くもなかった。

 玄関には呼び鈴のたぐいもノッカーもないので、いつものように大きな声で呼びかける。


「ごめんください。ヒョウエ先生はご在宅でしょうか?」


 まるで彼女の到着がわかっていたかのように、すぐに戸が開いた。


「こんにちは、蘭花(ランファ)さん。おや、今日はひとりなのかい?」


 黒髪のひょろりとした甚平(じんべい)姿の男が、魅力的な笑顔で迎える。

 二十代後半に見えるヒョウエを前に、三十代のランファの頬が赤く染まった。


「そ、その、大丈夫です。三時間後に出現地点(テレポータル)まで迎えに来てもらうことになっていますから」

「ああ、そうなんだ。僕は魔法を使えないから、ヒューマン領まで送ってあげられなくてゴメンね。いつも通り、定期メンテナンスには一時間もかからないと思うから、残りの時間はウチでくつろいでもらってかまわないよ」

「はい、ありがとうございます」


 前回のメンテナンスまでは、雇った運行人(テレポーター)を玄関で待たせていた。

 だがそれではまずいことにランファは気づいたのだ。

 玄関の外から呼ぶ声が部屋の中まで聞こえるのだから、部屋で大きな声を出せば玄関まで聞こえていないわけがない。


「あの、すみません。予定日を一か月も遅れてしまって」

「僕はかまわないし、それくらいなら腕の機能に問題はないと思うけど……つらくなかったかい?」


 右腕をかばうように左手でおさえたランファの頬の赤みが、顔全体に広がった。


「せ、先生にはお見通しですよね。本当に、すみません……」

「気にしないで。とにかくてみようか。いつもの部屋へどうぞ」


 ドワーフ族が暮らす北の街の、さらに北にヒョウエの家はあった。

 彼が引き受けるのは、通常の医師による治療や魔法では治せない患者だけであり、対応する患者数はそれほど多くはない。

 たいていのケガや病気は、〈薬杯(ヒーリング)〉と〈産触導潤キュア〉で完治できるからだ。

 ましてやランファのように定期的にヒョウエの元を訪れる必要がある患者は、現在三人しかいない。




 和室に用意された座椅子に背をあずけ、いつものようにヒジ掛けに右腕を載せるランファ。

 袖がまくられ、滑らかな白い腕があらわになる。

 そのヒジにヒョウエの指が触れると、腕を一周するように皮膚の一部が浮き、右腕がヒジの部分から外れた。

 その瞬間、「ァ……」という小さな声がランファのノドから漏れる。

 慌てて顔をそむけ、左手で口を押さえたランファは首筋から耳まで真っ赤になっていた。


 外れた腕がスルリと引き抜かれ、中から骨のように白くて細い円柱状の棒が姿を見せる。

 それはヒジから生えており、表面が濡れ光って酸味のきいたチーズのような匂いが漂った。


 白い棒の表面を覆っているのは、排出された古い生体細胞の層だ。

 ここまでの量を溜め込めば、ひどい肩こり、腰痛、関節痛など、様々な自覚症状が表れる。

 それらに耐えてでもメンテナンスを遅らせた理由がランファにはあった。


 今日これからの時間を、たのしむためだ。


 遅らせるほどメンテナンスで受ける快感が増幅することを、彼女の身体が覚えてしまっている。


「いつものように、古くなった生体細胞をこれから除去するよ。死んだ細胞層の下には、むき出しの神経と血管が集まっているから直接触れることはできない。いつものように “蟲”を使ってクリーニングすることになるけど……いいかな?」

「は、はい、お願いします」




 二千万年前に人類の多種族化を招いた悪魔(ディアブロ)のウィルス。

 その猛威が変化させたのは、人類の遺伝子だけではない。

 カイリがガーディと一緒に乗ったラクダに似た動物がそうだったように、人以外の動植物も変化を遂げている。

 それらの変化が外見や身体能力などの違いだけで済んだ理由は、人類を存続させようとするナノマシンシステムの抵抗力によるものだ。

 だが、その抵抗力が発揮されず、大きく変化した存在もいた。


 精霊(スピリット)系の存在――六精霊の一部である。


 一部の個体は危険な特殊能力を身に着けた異形の存在となり、魔物モンスターと呼ばれた。

 不死アンデッドと呼ばれる魔物モンスターの一部には肉体を持たない種類さえ存在したが、それらを含む魔物モンスターたちは、ナノマシンシステムによるウィルス駆除が進むにつれ徐々に数を減らしていった。


 だが、それから二千万年の時が過ぎた今でも、ごく一部の土地には魔物モンスターが残っていることがある。

 様々な要素の干渉により、魔法が発動しないくらいにナノマシンの密度が低い場所。

 世界には、そんな場所がそれなりに点在する。

 ディアブロが封印されていたカラジャス山の洞窟奥や、ヒューマンの王が人為的に作り出したノマオイの村といった特殊な例もあるが、それら以外にも先代カイ・リューベンスフィアのカインが生命を落とした谷のように、自然に存在する場所があるのだ。

 そしてそんな場所の中でも特にナノマシン密度が低い場所の一部では、システムの抵抗力が十分に発揮されず魔物モンスターが存在し続けているのである。


 カイリがそうであったように、今の時代に魔物モンスターに遭遇することはまずない。

 だが可能性はゼロではなく、いつの時代にも不運な人間はいた。


 魔物モンスターから受けた傷には回復系魔法が効かない場合があり、ヒョウエの家へ定期的に通う三人の患者はその該当者だ。

 ランファの場合は、ノマオイの村がもともとナノマシン密度の低い場所とわずかに接していたこと、そこから迷い込んできた巨大な植物型の魔物モンスターと山菜取りの最中に遭遇したことが彼女の不幸だった。

 一緒に来ていた娘のリンファをかばおうとして、右腕のヒジから先を持っていかれたのである。


 魔物モンスターの正体は狂った精霊プログラムであり、その行動原理に理屈はない。

 捜しに来たダイゴがふたりを発見したときには魔物モンスターの姿はすでになく、その後は村人が魔物モンスターに遭遇することも無かった。





「あっ、あっ――――んんっっ!」


 部屋の外まで響く甲高いランファの声。

 メンテナンス開始からすでに十五分が過ぎようとしており、汗ばんだ身体が彼女の服の内側を湿らせている。

 最初は声を抑えようとしていた彼女だったが、その無駄な抵抗はとっくに放棄されていた。


 ランファの右ひじから生える白い棒の表面で、幾何学的な模様がうごめいている。

 それはドット柄とドット柄を重ねると濃淡の模様が表れるモアレ――干渉縞に似ていた。

 近づいてよく見れば、棒の表面を無数の小さな何かが動き回っていることがわかる。


 それら百ミクロン大の“蟲”たちは、メディカル・マイクロマシン――ナノマシンシステム上で機能する医療用の微小機械だ。

 アメリカ製ナノマシンの機能を模倣して後から実装された日本製のシステムだが、大きさはアメリカ製ナノマシンより千倍も大きくなってしまった上に、アメリカ製の特徴である人の脳をAIにコピーするというような電子的な作業はできない。


 それでも消毒や麻酔を省略でき、高度な技術水準の手術を医療用役名(メディカルコマンド)だけで実行できる“蟲”は便利であり、あらゆる細胞を再現可能なその機能は、五千万年の時を超えて老化しないヒョウエの身体を維持している。

 とはいえ、ヒョウエの記憶量は普通の人間と変わらない。

 印象が強ければ何千年も前のことを覚えていることもあるが、割と最近のことを忘れることも多かった。


 メディカル・マイクロマシンの治療能力はディアブロ・ウィルスの汚染力と拮抗しており、一部の魔物モンスターから受けた傷を無かったことにはできない。

 ランファの遺伝子情報から右腕を再生しても、やはりヒジから先がもげ落ちてしまうのだ。




 ハァハァと荒い息を吐いて座椅子にもたれかかるランファ。

 上気して湿った頬に乱れた髪の先が張り付いている。


 そんな彼女の腕と袖を元に戻すと、ヒョウエが優しく声をかけた。


「これで、しばらくは大丈夫だよ。次はまた三か月後に。この部屋でもう少し休んだら、風呂を使うといい。ウチにはシャワーがないけど、湯浴みならできるから」

「はい……先生……ありがとう、ございます」


 満足気に微笑むランファ。

 いつものことなので、着替えはしっかり用意している。


 音もなく立ち上がったヒョウエがつぶやいた。


「……珍しいな。今日はもう一人お客さんが来たようだ」


 ピクリと反応するランファ。


(女の患者さんかしら?)


 ランファがそう考えたとき、玄関の外から幼い少女の声が届いた。


「パパ――――ッ! 来たのよ――! 勝手に入っていいかしら――?」

「……………………」

「……………パパ?」


 首を傾けるヒョウエをランファが見つめている。


「……ヒョウエ先生、娘さんがいたのですか?」

「うーん、そういうのはもう、一万年くらい身に覚えが無いんだけど」

「え?」


 そこでヒョウエが何かに気づいた顔をした。


「一万年……あ、そうか。すっかり忘れていたけど――」

「パパの遺伝子の液、入れてもらいに来たのよ――!」


 ランファの顔がピシリと固まる。


 ガラリと開いたふすまから、ツヤのあるグレーの髪を跳ねるようなツインテールにした少女が表れた。


「パパ、見つけたのよ――!」


 ウフフと、嬉しそうに笑う彼女の年齢は十二、三歳くらいだろうか。

 街で暮らすドワーフ族の女たちよりは年上に見える。


「……ずいぶん大きな……お子さんですね……先生」

「お子さん……そうなるのかなぁ?」

「パパ、ギュウするのよっ!」


 そういって少女がヒョウエに飛びついた。

 再び固まるランファ。

 キスでもしかねない勢いである。


(こ、子供がいるのは、私も同じだし。でも、遺伝子の液って……)


「ええと……よくここがわかったね。君が生まれた山からはずいぶん離れていると思うけど」


 少女の身体を支えつつヒョウエが尋ねると、少女はすぐにヒョウエから離れた。


「うん、わたしね。ママよりかなり高性能に生まれたみたいなのよ。パパの座標もすぐにわかったし、ここまで一直線で(・・・・)来れちゃったわ」


 彼女が生まれたはずの大山脈――CODE TERRAFOEMER’S SATELLITE #26 “SNOW-STAR”の本体――は、街の東方に位置している。

 街の北にあるヒョウエの家まで物理的な意味で一直線に来たのだとしたら、ドワーフの街をかすめて被害が出ている可能性があった。


「ええと……君の名前は?」

「え、パパが決めてくれるのよね?」

「え、ああ、その話は後にして。その、来る途中で――」

「あ!」


 何かを思い出したように叫ぶ少女。

 ランファはすっかり蚊帳かやの外だ。


「あのね、来る途中で“でぃあぶろのこぴー”っていう子が地下にいて声をかけてきたわ。だけど、気づいたときにはき潰した後だったのよ。わたし、パパに早く会いたくて急いでいたから……あの……まずかったかしら?」


 少女が急にしおらしくなる。


「あー、その子のことは大丈夫。むしろ僕じゃ手を出せなくてずっと困っていたというか……そうか、その辺を通って来たなら大丈夫かな」

「良かったのよー。パパに怒られるかと思っちゃったわ」


 はは……と乾いた笑いを漏らすヒョウエ。


「怒らないよ。でも、次からは人間と同じ速さで、人間と同じように歩いて移動してくれるかな? 君のママもできていたから、ママより高性能な君なら簡単なはずだよ」

「うん、わかったわ!」


 ニコニコ顔の少女。

 いつの間にか部屋にランファの姿はなく、風呂から湯浴みの音が聞こえた。

 その音がバッシャ、バッシャとやけに激しい気がするのは、気のせいだろうとヒョウエは思うことにした。


 そして、ふと気づく。

 少女が真面目な顔で虚空を見つめていた。


「? どうかしたのかい?」


 視線を戻した少女がニコリと微笑んだ。


「パパ。高性能なわたしには、わかっちゃったのよ。今ね……」

「うん」

「……世界が救われたみたいだわ」

「……そっか」


 ヒョウエの表情がやわらいだ。


(そうか……カイサ。君の使命を、二十一代目が果たしてくれたよ)


「ところで、パパ」

「うん」

「わたしの名前のことと、パパの遺伝子の――」


 苦笑するヒョウエ。


「名前は決まってる」

「ほんとなの? なにかしら?」

「 “聖女”」


 少女がきょとんとした。


「それは、ママの名前じゃないかしら?」

「うん。おばあちゃんやひいおばあちゃんの名前でもある」

「そうなのね。うん、わかったわ!」


 すらりと襖が開いた。

 濡れた髪をタオルで押さえながら部屋に入ってきたのは、もちろんランファだ。

 目が座っていて、全身から威圧感を放っている。


「ヒョウエ先生。深い事情は存じ上げませんし、先生の名前のセンスをとやかく言う気もありませんけど」

「ど、どうしたんだい、ランファさん?」

「その子をどうするおつもりですか? ここで一緒に暮らすのでしょうか?」


 それは困るのだ。

 三か月後も六か月後も……いつまでもメンテナンスを受けたいランファにとっては。

 まさか同じ家に子供がいるのに、今までと同じようにメンテナンスを受けるというわけにはいかない。

 だが本当にヒョウエの子供であるなら、自分も一児の母として親子の絆を尊重したいと思っている。


 初めてランファの存在に気づいたという様子で、幼い聖女が首を傾ける。

 だがそんなはずはないと、ヒョウエは思った。

 高性能な彼女は、おそらくヒョウエの存在を探知した時点でランファの存在にも気づいたはずだと。

 むしろランファの存在に気づき、急いで山から下りてきた可能性さえある。

 彼女が生まれたのは、いつもは雪雲に覆われた空に星が輝いた十一か月も前のはずなのだから。


「パパ、こちらの綺麗なお姉さんは誰なのかしら?」

「患者さんだよ。僕はここで医者をやっているんだ」

「そうなのね。あのね、綺麗なお姉さん。わたしはすぐに山に帰るのよ」

「あ、そうなの?」


 気が抜けるランファ。

 それになぜか、思ったよりいい子な気がしてきた。

 自分の大人げない態度が急に恥ずかしくなる。


「うん、パパの遺伝子の液をわたしに入れてもらったらね」


 再びピシリとランファが固まり、ヒョウエが途方に暮れた。


せいちゃん、わざと誤解を生む言い回しをするのは、やめようね?」


 ヒョウエに名前で呼ばれ、新たな聖女は嬉しそうに微笑んだ。




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