File112. 未来への約束
バリバリバリバリバリ――……
天地を結ぶ爆音。
閃光に奪われる視界。
雷――それはプラズマそのものであり、火系の竜であるスザクが操れる数少ない物質のひとつだ。
カイリがリュシアスを殺すのに、魔法詠唱の必要はなかった。
ただスザクに命じればよかった。
今までそれをしなかっただけだ。
これまで一度も、兵器であるスザクを兵器として扱うことはなかった。
カイリにとってスザクは、けして兵器ではなく愛情を感じる存在だ。
異性に対する愛情とは違うその感情を、家族愛や兄弟愛に近いとカイリは思っている。
もしカイリに子供がいれば、親子愛に近いと思ったかもしれない。
そのスザクが雲間で光る雷を集め、リュシアスの頭上に落とした。
ビャッコとの戦闘を経て格段に向上した彼女のナノマシン操作効率は、〈一気通貫・度等2〉をはるかに超える威力の落雷を生んだ。
スザク自身は、自分が兵器であることを自然に受け入れている。
竜とはそういう存在であり、攻めよりも守りを好むゲンブでさえ、それは変わらない。
カイリからの攻撃命令にスザクが躊躇いを感じる理由は微塵もなく、喜びを感じてさえいた。
――カイリの敵は私の敵。敵を殲滅するのが竜の役目。役目を果たしたら、カイリは私を褒めるべき。
かつてスザクが口にしたその言葉こそが、彼女の行動原理を明確に示している。
――決闘はやめだ。
カイリのその宣言が、竜たちの意識を切り替えた。
ルール無用の戦闘へ移行したその瞬間に、兵器としてのスイッチが入った。
自分の主人は誰で、主人の敵は誰なのか。
それが冷酷に判断される。
スザクにとっての主人はカイリであり、カイリの敵はリュシアス。
ビャッコにとっての主人はリュシアスであり、リュシアスの敵はカイリ。
そしてビャッコはすぐに気づいた。
雷雲に覆われたこの場所が、すでに火系の戦場であることに。
風系の竜であるビャッコの命令を、火系の竜であるスザクの命令がたやすく上書きし、その逆を許さない。
それがナノマシンシステムの厳格なルール――火は水に弱く、水は土に弱く、土は風に弱く――風は火に弱い。
――……リュシア――――ス!
ビャッコにできたのは、ただ青ざめた顔で叫ぶことだけだった。
「“同調”を実現するためには、四体の竜と絆を深める必要がある。だけど、竜たちが自由意志を失うことはない」
カイリの声は落ち着いている。
その言葉をリュシアスは、地面から斜めに突き出した岩の天井の下で聞いた。
ゲンブが瞬時に造った岩の屋根が、雷の直撃を防いでいた。
「ゲンブはゲンブの判断で、あなたを助けた。繰り返すけど、竜たちが自由意志を失うことはない。だからこそ強引にではなく、時間をかけて親密度を上げる必要があるんだ」
カイリはリュシアスが何を言おうと、ビャッコを連れていくつもりだ。
そして――。
――確かに妹竜である私たちは、セイリュウ姉さんに勝てないかもしれない。でも、あなたなら勝てるのではありませんか、元帥さん?
ビャッコがそれを拒否しない確信がすでにあった。
「リュシアス。俺を信じてくれとは言わない。だけどビャッコがあなたを想う気持ちを信じるなら、俺に預けてくれないか? ただ一緒に過ごすだけだ。洗脳するわけじゃない」
「嫌だと言ったら?」
リュシアスの鋭い眼光がカイリに向けられている。
「俺を殺していけ、カイリ」
ぽつりとリュシアスが言った。
カイリはただ彼を見つめている。
「ビャッコは俺が死ぬまでそばにいると約束した。俺も同じだ。だが……俺が死んだ後までビャッコを縛るつもりはない。ただし……おとなしく殺されはせぬがな」
勝手に構えるリュシアスに対し、カイリに恐れはない。
リュシアスが岩の下から出てくるまでの間に度等を乗せた〈衣蔽甲〉を詠唱済みだ。
その時――。
「リュシアス」
カイリとリュシアスの間に割って入ったのはビャッコだった。
互いに見つめ合うリュシアスとビャッコ。
ビャッコがゆっくりと言った。
「精霊と違い、竜は主人が死んでも主人を忘れることはありません。それでも私は、あなたが死ねば別の新たな主人を求めるでしょう。恐ろしいことに……竜が主人を求める本能には、それほどの強制力があります」
「ビャッコ……」
ビャッコの声が恐怖に震える。
凶悪な戦力である竜の安全装置――それがロボット三原則に代わって設定された“主人を求める性質”。
その絶対のルールから竜が逃れるすべはない。
リュシアスの灰色の瞳が濡れ光る。
「プログラムである精霊系の竜が、物理的に死ぬことはまずありません。ですが今の私にとって、新しい主人を慕う未来の私は別人です。それは今の私が……死ぬことと同じです」
ビャッコの灰白色の瞳から涙がこぼれた。
「私は、本気の元帥さんには勝てません。ましてや彼には火系のスザクがついています。あなたを守るために……あなたの未来のために私にできることは、元帥さんとともに世界を救うことだと……そう考えます。あなたの夢――ドワーフ族の未来のためにも……生きてください、リュシアス」
リュシアスが、自分の倍の背丈があるビャッコの腰に抱きつき泣いていた。
その銀の髪を、ビャッコの滑らかな手が撫でている。
「愛しています、リュシアス」
「俺もだ、ビャッコ。俺には、おまえだけだ」
南の空に、雲の切れ間が見えた。
そこから射しこんだ光に照らされて、西側の雲が明るく光っている。
「マティ」
カイリが声をかけた。
「はい」
返事をするマティに、カイリは無表情のままだ。
「三人目の決闘の相手に、君を指定したことは忘れてくれ」
「…………はい」
カイリがマティに背を向けた。
「一か月程度で済むのか、半年以上かかるのかはわからない。世界を救うことができたら、マティに伝えたいことがある。その時に、すべて話すよ」
「……今は話せないことですか?」
振り返ったカイリとマティの視線が重なる。
「……そうだね。今の俺には話す資格がない。でも――」
見つめ合うふたりは、互いに相手の心を探っているように見える。
「――必ずその資格を、俺は手に入れる。そのためにできることは何でもする。それが今できる……未来への約束だ」
「わかりました」
雲が流れ、大地に光が射した。
ピージはすでに東の地平線に見える太陽の下へ消えた後のようだ。
〈離位置〉の呪文を唱えるカイリと、そのそばに立つ四人の竜が長い影を作る。
その足元でレインが胸を撫で下ろしていた。
「……ヒヤヒヤしたが、結局こうなったな。まあ、家の精の俺がついていくのだから、身の回りの世話については心配するな」
カイリたちが〈離位置〉の光の中へ消える。
それを見送ったレイウルフが、リュシアスに話しかけた。
「テクニティファ様の“回転する死の嵐”を拝見できなかったのが残念です。同じ原理で〈一気通貫〉を重ねがけすれば、研究所を破壊した〈龍威槍〉を超える魔法さえ見られたかもしれません」
「ああ、それはないな。テクの“回転する死の嵐”は特別だ。フェアリ族であるテクが、カイ・リューベンスフィアの世話をする二千年の家事の中で〈拝丁〉を極めた成果らしいからな。テクにとっては、料理を作るのと同じ要領らしい」
豊かなひげを涙で濡らしたままのリュシアスはそう言ったが、まだうまく笑えないようだった。
ふたりが見つめるのは、宙に浮く妖精の背中だ。
この日、カイリと四人の竜は姿を消した。
彼らが再び姿を見せるのは十一か月後――世界が滅びると言われるタイムリミットの直前である。
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