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竜を連れた魔法使い Rev.1  作者: 笹谷周平
Folder14. 譲れない願い
111/120

File111. 悲痛な叫び


 暗い――。

 厚い雨雲が夜のように世界を暗くし、降り注ぐ大雨がさらに視界を悪くしている。

 大地では溜まった雨水が少しでも低い方へと流れ続けている。


 カイリは死を覚悟していた。

 強い意志を持ってそう決めたわけではない。

 疲れきった身体(からだ)が、葛藤に追い詰められた精神(こころ)が、すべてを終わらせることをぼんやりと受け入れていた。

 事前詠唱していた魔法は、攻撃系も防御系も一切解除(キャンセル)している。


 暗い視界の中で、二十歩分の距離をおいて立つリュシアスのシルエットは見えるが、表情までは判別できなかった。

 それでも彼が発する本気の殺気は、まるで和太鼓の連打音が腹に響くように伝わってくる。

 それが生命の終わりを前にして鋭くなった感覚のせいなのか、あるいは世界を満たすナノマシンによるものなのか、カイリにはわからない。


 ――戻せッ……ビャッコを戻しやがれッ……!


 ビャッコの失われた左脚を見て、逆上したときのリュシアスの言葉。

 彼にとってビャッコとは、世界のすべてと引き換えにしてでも守りたい大切な存在なのだ。


 ――カインは俺を歓迎してくれたが、小僧は違うのか?


 パーティへの参加を自ら表明したときのリュシアスの笑顔。

 不器用だが真っ直ぐで、それでいて慎重で優しい不思議なドワーフ族。


 そんな彼に愛されたビャッコは、まるでリュシアスの勝利を確信しているかのように冷静に、愛する主人を見つめている。



 そしてついに――大地がまばゆい光に照らされた。



 大気を切り裂く重低音が轟く中、無言で駆けるリュシアス。

 水が跳ねるが、その足運びは安定している。


 わずか一呼吸で詰まるカイリとの間合い。

 筋肉の(かたまり)のような太い腕がしなり、戦斧(バトルアクス)がリュシアスの背後から頭上を越えて振り下ろされる。

 その先端が音速を超える――。


 再び瞬いた雷光が、世界を青白く染めた。


 見開かれたリュシアスの灰色(アッシュグレー)の瞳。

 見開かれたカイリの黒色(オニキス)の瞳。

 カイリの顔に、落ちる影。


「――――!」


 音速を超えた戦斧(バトルアクス)は、ドワーフ族の筋力であっても絶対に止まることはない。

 その斧が弾かれ、リュシアスの背後の空へ消えた。



 リュシアスの正面に、光に照らされたマティの顔があった。

 小さな身体で手足をいっぱいに広げ、カイリをかばうように浮いている。

 その白シャツと濃紺色(ネイビーブルー)胸当付(サロペット)ロングスカート、そして青みがかった透明な(はね)を雨に濡らして。


 厚さ五十センチの壁を打ち砕いたリュシアスの一撃である。

 たとえマティが〈衣蔽甲(シールド)〉の魔法を使っていたとしても、止まるはずはなかった。


(カイリがかけていた防御魔法か――)


 連なる六角形の光の盾を見て、リュシアスは思い出した。

 半透明のサナトゥリアと出会う前に自分にもかけられた役満(フルコマンド)の魔法〈障遮鱗(プロテクト)〉のことを。

 その〈障遮鱗(プロテクト)〉に戦斧(バトルアクス)を打ちつけたにもかかわらず、腕が骨折したり脱臼したりしなかったのはドワーフ族の頑丈さゆえだ。


 (にら)むマティと、(しび)れる右腕をかばうリュシアスの視線がぶつかる。


「……決闘を邪魔するのは大罪だぞ、テク」


 マティの出現に驚いたカイリも、リュシアスの言葉で我に返る。


「そこをどいてくれ、マティ」


 カイリがマティにも〈障遮鱗(プロテクト)〉の魔法をかけていたのは、こんなことのためではなかった。

 万が一リュシアスとの決闘で生き残った場合の、次のマティとの決闘で彼女を傷つけないための保険だ。


 カイリはマティにも決闘を申し込んだが、竜たちを連れていくことにマティが反対するとは思っていない。

 レイウルフやリュシアスに決闘を持ちかけたのとは別の理由があった。

 だが、いずれにしてもリュシアスとの決着がまだついていない。


 リュシアスと睨みあったまま、マティが口を開く。

 その声は信念に満ちていた。


「……絶対にどきません。絶対に、私がカイリを殺させません」


 その小さな身体からは想像できない迫力に、リュシアスがたじろいだ。


「やめろ、マティ。これは俺が決めたこ――」


 そう話すカイリに、振り返ったマティが叫んだ。


「あなたは約束したでしょう。この世界を救ってみせると。言ったでしょう、任せてくれと。あれは嘘ですか? 二千年にわたる私の思いを、もてあそんだというのですか?」

「…………!」


 言葉が出ないカイリ。

 リュシアスはようやく理解した。

 マティが身体を震わせるほど怒っていたのはレイウルフに対してではなく、世界を救う決断を仲間に任せるカイリに対してだったのだと。


 身体を震わせるマティの両目から涙がこぼれた。


「カイリ……あなたがここで死んだら、私は絶対にあなたを許しません。あなたを呪って、私も死にます」


 きっぱりと言い放つマティに、カイリの表情が固まった。


「俺は――」


 返す言葉がなかった。

 マティの思いにくらべて、自分にはまだ甘えがあったのだと思い知る。

 

 世界を救うという思いが、マティの半分もあったと言えるだろうか?

 死を覚悟したことは、ただの逃げではなかったか?


 ――マスター、この世界を救ってください。私たちが生きるかけがえのないこの世界を。お願いします……そのためなら私、どんなことでもしますから。私の夢を……かなえて……くら……しぁ……ひ。


 顔をクシャクシャにして泣いていた小さな妖精。

 そこには契約書もなく、立会人もいなかった。

 それでも互いに心臓を差し出すほどの思いを込めて、確かに交わしたのだ。

 二人だけの“約束”を――。




 カイリが静かに顔を上げた。


「……ごめん、マティ。俺がどうかしていた」


 その目がリュシアスを見つめる。


「……ごめん、リュシアス。本当に、これだけは譲れない。譲れない願いなんだ」

「気にすることはない」


 不敵な笑みを浮かべるリュシアス。


「大切な女のために決闘をすることは、ドワーフ族ではよくあることだ」


 武器を失った彼が(こぶし)を構えた。

 ドワーフ族の多くは体術でも一流だ。

 腕の痺れはすでに治っている。


「……ま、待って」


 思わずふたりの間に飛び込んでしまったマティだったが、このままでは確実にカイリが死ぬ未来しか見えない。


 リュシアスとの決闘の前に、カイリが初志の玉(ガイドジェム)の色を赤くするのをマティは見ていた。

 マティが知る限り、初志の玉(ガイドジェム)が赤くなるのは〈薬杯(ヒーリング)〉を“ポイズン”モードで使用する場合と、〈免全(キャンセル)〉を“全解除(オールキャンセル)”モードで使用する場合だけである。

 ここまでのカイリの行動を見ていれば、それが“全解除(オールキャンセル)”モード――自分がかけたすべての事前詠唱魔法を無効化する魔法――であったことは間違いない。


 事実、彼女の予想はすべて当たっていた。

 わざわざ初志の玉(ガイドジェム)を出したのは、カイリが初めて使うモードだったからだ。


 つまり、カイリには事前詠唱魔法がひとつも残されていない。

 そしてリュシアスが、呪文詠唱の時間をカイリに与えるとも思えない。



 宙に浮くマティの肩に、そっと触れる手があった。

 驚いて振り返るマティ。

 それは、いつの間にか近くまできていたセイリュウだった。


「フェアリ族。もう大丈夫です」


 雨の中でマティを見つめるセイリュウの瑠璃色(ラピスラズリ)の瞳は冷静だ。

 何が大丈夫なのかマティにはわからない。

 それでも千年の時を生きる竜の長女が、確信をもってその言葉を口にしたのだとわかる。


 ふたりが離れるのを確認し、リュシアスが腕を構えたまま問いかけた。


「仕切り直すか?」


 リュシアスにとって、二十歩分の距離が一呼吸の間でしかないことは証明済みだ。

 決闘を仕切り直したとしても、カイリに呪文詠唱の時間を与えるつもりは無い。

 そしてドワーフ族がその拳を一振りすれば、カイリの頭は風船のように破裂するだろう。


 だが迷いがなくなったカイリの顔に、追い詰められた者の焦りは見えない。


「決闘はやめだ」


 それはレインたちのところまで届く大きな声だった。

 その言葉の意味を、それが大声である理由を、正確に理解する者たちがいた。

 古代兵器――四人の竜である。


「なに?」


 リュシアスの左の眉が吊り上がる。


「すべての竜を連れていく。邪魔をするなら、リュシアス……あなたでも殺す」

「そうきたか」


 ニヤリと笑うリュシアスは、その意味をまだ正しく理解していなかった。

 彼が理解したのは、相手の尊厳を尊重するルールに縛られた決闘ではなく、ただの殺し合いになったということ。

 つまり何でもありということであり、その理解は間違っていない。


 近接戦闘を得意とするドワーフ族の武術大会で二十連覇を達成している彼は、カイリのどんな行動にも対応できると思っていた。

 カイリに事前詠唱魔法がないことをビャッコから聞いていたし、間合いも十分すぎるほど近い。

 負ける要素がないと思い込んだとしても、それは無理もないことだった。

 カイリはこれまで、その“力”を戦闘で使ったことは一度もないのだから。


「……リュシア――――ス!」


 真っ青になったビャッコの悲痛な叫びを、リュシアスは遠くに聞いた。

 彼女には止められない。

 ナノマシンシステムの厳格なルールがそれを許さない。


 条件は揃っている。

 カイリはただ、その言葉を口にするだけで良かった。


「やれ、スザク」


 皆の視線が集まる先で、スザクが右手を掲げていた。




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