表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
机上の空論と嗤われた研究者、異世界の寒村に転生する ~理屈だけで、国を獲ります~  作者: 鉄菊
エンポリア編

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
36/41

第36話 谷に人が集まる

はじめまして。鉄菊と申します。

本作は「机上の空論」と嗤われ続けた経営学者が、異世界の弱小領地に転生し、誰も知らない”理屈”だけで成り上がっていく物語です。

更新は毎日18時です!

なるべく続けていきます。

よろしければブックマークをお願いします!

忌み地の柵を焼いてから五日が過ぎた。


 その朝、谷の口が騒がしかった。ノルドが息を切らして囲炉裏端へ駆け込んできたとき、ロゴスはまだ鹵獲した命令書の束を読み返していた。


「ロゴス。谷の入り口に人が集まっとる」

「盗賊ですか」

「いや」ノルドは首を振った。「痩せて荷を背負った連中だ。女も子供もいる。……二十、いや、もっと増えとる」


 ロゴスが谷の口へ出てみると、そこには見知らぬ群れがいた。ぼろを纏い、鍋や寝具を負い、痩せた足で立っている。焼けた村から流れてきた者。盗賊に畑を刈られ逃げ場を失った者。彼らはみな同じ噂を辿ってここへ来た。――東の谷に、獣と盗賊を退けた村がある。あそこなら生きられる、と。


 噂はロゴスが思うより遠く速く広がっていた。


(勝ちは、こういう形でも伝わるのか)


 群れの中の老人が、震える手でロゴスの袖を掴んだ。あなた様が、あの理屈で村を守ったという子か。頼む、ここに置いてくれ。何でもする。その後ろで、乳飲み子を抱いた女が黙って頭を垂れた。飢えた目が幾つも、こちらを見ていた。


---


 村長ゲオルグの家に、村の顔役が集まった。


「追い返すしかあるまい」太った顔役のボルクが、まず口を開いた。「この谷が、どれだけぎりぎりで喰いつないでおるか、お前さんがいちばん知っておろう、ロゴス。勝ちはした。だが蔵は空だ。あの二十や三十の口を養う糧など、どこにもない。情けをかけて共倒れになるより、今のうちに帰ってもらうがいい」


「追い返せば、あの中の何人かは行き倒れます」ロゴスは静かに言った。「それに――手が欲しいのは、こちらのほうです」


 ボルクが眉を寄せた。ロゴスは続けた。


「垣根は立てた。守る番も回し始めた。ですが谷は広く、人の手はまるで足りていない。荒れたまま放ってある土地はいくらでもある。番に立てる肩も足りない。あの群れの中に、鍬を握って冬を越せる働き手が幾人かでもいるなら――それは追い返すには惜しい、生きた手です」


「ならば全部入れて、炊き出しでもするか」ボルクが鼻を鳴らした。「甘いことを。あの手の噂を聞いて集まる連中の大半は、種を蒔く気なぞない。温かい粥にありつきたいだけの、ただ飯食らいだ。入れてみろ、蔵の底をさらって喰い荒らし、痩せたと見るや次の村へ流れていくぞ。……働き者と怠け者を、どうやって見分ける。額に書いてあるわけでもあるまい」


 ロゴスは黙った。ボルクの言うことは、半分は正しかった。


(――そこだ。いちばんの難所は、糧の乏しさではない)


 問題は、群れの中に「本気で土地を興す手」と「喰い逃げする口」が混じっていて、その二つが見分けられないことだった。誰に問うても答えは同じだ。俺は働く、真面目にやる、と。口では善い働き手も、ただ飯食らいも、寸分たがわず同じ顔をする。良い品も悪い品も同じ棚に並べば、買い手には見分けがつかない。ならばと問い詰めても無駄だ。飢えた者は、こちらの聞きたい言葉をこそ、いちばん上手に並べてみせる。


 見分けられぬまま全部追い返せば、喉から手が出るほど欲しい働き手まで一緒に失う。全部入れれば、怠け者に蔵を喰い潰される。どちらも谷を痩せさせる。


「一人ずつ、俺が面通しして選り分ける」ボルクが胸を張った。「屈強なのだけ残せばいい」

「腕っ節と、根気は別物です」ロゴスは首を振った。「見た目も、言葉も嘘をつく。……人に問うても、人を見ても、選り分けはできません」


「では、どうしろと言う」


 ロゴスは顔を上げた。


「人に選ばせるのをやめます。――こちらが掟を一つ立てて、あの者たち自身に、勝手に選り分かれてもらう」


---


 その日の午後。ロゴスは谷の口の群れの前に立った。傍らにオルドとガイルが控えた。


「聞いてほしい」ロゴスは腹から声を出した。飾りのない、率直な声で。「この谷に、今日食える温かい粥はない。施しを求めて来たのなら、ここには何もない。それは先に言っておく」


 群れがどよめいた。落胆の声。舌打ち。ロゴスは構わず続けた。


「だが土地はある。谷の縁の、荒れて誰のものでもない一枚を、望む者に分ける。種は貸す。実りが返れば、その分だけ返してもらう。垣根の立て方も、畑の興し方も、番の回し方も、こちらが教える。……そしてその土地は、その日からお前のものだ。誰にも刈らせぬ、お前だけの畑になる」


 一人の男が叫んだ。今日の飯はどうなる。


「ない」ロゴスははっきりと言った。「最初の実りが返るのは、半年も先だ。それまでは己で持ってきたもので繋ぐしかない。おまけに、来た日から番に立ってもらう。谷を守る槍衾の、一角を担ってもらう。……楽ではない。半年、痩せた土地に鍬を入れ、夜は槍を持って柵に立つ。その果てにようやく、己の畑と、己の実りがある。それが、この谷がお前たちに出せる、たった一つの取り決めだ」


 群れが、ざわりと二つに割れていくのが見えた。


(――言葉で選り分けようとするから、嘘に化かされる。ならば選り分けるのは、掟のほうだ)


 ロゴスは胸の内で、その理屈を確かめていた。温かい粥だけを求めて来た者に、この取り決めは何一つ旨みがない。今日の飯は出ず、半年の労と夜番だけが先に来る。そんな割の合わぬ話を、喰い逃げのつもりの者がわざわざ引き受けるはずがない。彼らは自分から背を向け、次の村へ流れていく。――残るのは、半年先の「己の畑」のために、今日の空腹と夜番を呑める者だけだ。誰かに選ばれたのではない。取り決めそのものが、本気の手と喰い逃げの口を、勝手にふるい分ける。


 果たして群れは割れた。


 罵り声をあげて背を向ける者たちがいた。施しもない村に用はない、と。その数は、思ったより多かった。だが谷の口に、なお残る者たちがいた。


 乳飲み子を抱いた女が、痩せた腕で前へ出た。いちばん危ない、いちばん痩せた一枚でいい。それが我が子の畑になるのなら。焼けた村を捨ててきた若者が、その隣に並んだ。俺は鍬も握れる、夜番も立つ。半年、待つ。老人が、震える足で、それでも一歩を踏み出した。


 残ったのは十数人。多くはない。だが、その一人一人が、自分の足でこの取り決めを選んだ者たちだった。


 ガイルが感嘆の息を漏らした。「……誰も選っておらんのに、ちゃんと選り分かれた」

「土地と、半年と、夜番が、選り分けたんです」ロゴスは残った顔ぶれを見渡した。「私は取り決めを一つ、置いただけだ」


 オルドが、その残った十数人を見て、低く笑った。「使えん飯食らいはひとりでに消え、根性のある奴だけが残った、か。……振り方を教える手が、少し増えたな」


 散り散りだった駒が、また一つ、盤に戻る。奪われた城でも、失った座でもない。自分の足で「この谷で生きる」と選んだ、生きた手が。ロゴスは静かな手応えを胸に刻んだ。テロスは獣を繋ぎ兵を揃え、力で人を並べる。自分は、人が自分から集まりたくなる仕組みを、一つずつ組んでいく。――同じ盤の上で。


---


 夕刻。新しい住人たちが谷の縁へ散り、荒れた一枚ずつの前で、思い思いに寝床をこしらえ始めた。細い煙が、あちこちの縁から立ち上る。昨日まで無人だった谷の縁に、いくつもの竈の火が灯った。


 ロゴスがその眺めに目を細めていると、ノルドがそっと傍らに寄ってきた。声を落として言う。


「……ロゴス。あの中に、一人、妙なのがいる」


 ノルドが顎で示したのは、若者に混じって黙々と柴を集める、一人の男だった。年の頃は三十ばかり。取り決めを聞いて、真っ先に、迷いなく残ると決めた男。


「手だ」ノルドが囁いた。「鍬なんぞ握ったことのない手をしとる。豆一つない。畑を捨てて逃げてきた百姓の手じゃない。……それに、あいつは番の回し方を聞いたとき、いちばん熱心に頷いた。畑の話より、番の話に食いついた。谷のどこに柵があって、どこが手薄か。あの目は、そればっかり測っとった」


 ロゴスの背を、あの寒けが、また薄く撫でた。


(――踵の沈まぬ足。凪いだ目。……その底知れなさが、この谷の縁にまで)


 彼は理屈の綻びを、遅れて悟った。あの取り決めは、たしかに喰い逃げの口をふるい落とす。半年と夜番を呑める「働く覚悟」のある者だけを残す。だが――ふるいにかけたのは「働く覚悟」であって、「谷への忠」ではなかった。腹の底に別の企てを抱えた者でも、鍬と一枚の土地を差し出されれば、喜んで柵の内へ入ってくる。番に立つ顔をして、谷の手薄を測るために。よくできた取り決めは、本気の入植者を選り分けると同時に、辛抱強い"目"をも、招き入れてしまう。


「追い出すか」ノルドが低く問うた。


 ロゴスはしばらく、竈の火の連なりを見ていた。


「……いえ」やがて静かに言った。「証はない。手が柔いだけでは、罪には問えません。それに――今この谷は、一人でも多くの手が要る。追い出せば、あちらは"気づかれた"と知るだけだ」彼はその男の背を、目の端に留めた。「泳がせます。ただし、いつでも見えるところに。あの目が何を測り、その先の誰へ報せるのか。……こちらが先に、それを測る」


 谷の縁で、竈の火が一つ、また一つと増えていく。焼けた村を捨ててきた者たちの、細い煙。その眺めは、ロゴスの胸を確かに温めた。散った駒は、少しずつ盤へ戻る。谷は、人の手を得ていく。


 だがその同じ火の連なりのどこかに、こちらを測る冷たい目が、一つ、紛れている。


「谷に、人が集まる」ロゴスは暮れゆく空へ、低く呟いた。「……その一人一人が、味方とは限らない」


(続く)


---


【今回の理論メモ】メカニズムデザイン(自己選択・スクリーニング)――人を見分けるのをやめ、「取り決め」に選り分けさせる


 良い働き手と、ただ飯食らい。真面目な買い手と、踏み倒す気の客。人の"中身"は外から見えず、問い詰めても相手はこちらの聞きたい言葉を並べます。良い品も悪い品も同じ棚に並べば見分けがつかない――これを「情報の非対称性」、悪い側だけが残る困りごとを「レモン市場(逆選択)」と呼びます。ここで多くの人は「もっとよく見よう」「もっと問い詰めよう」とします。ですが、見た目も言葉も嘘をつく。人を直に見分けるのは、たいてい失敗します。


 そこで発想を逆さにするのが「メカニズムデザイン(自己選択・スクリーニング)」です。人を選り分けるのをやめ、"取り決め(ルール)"のほうに選り分けさせる。ロゴスがやったのは、これです。施し=温かい粥を出せば、喰い逃げの口ほど群がります。そこで彼は逆に「今日の飯はなし。半年の労と夜番の先に、己の畑がある」という、割の合う相手が限られる取り決めを置いた。喰い逃げのつもりの者には、この話は何の旨みもないので、自分から去る。本気の者だけが残る。誰も選んでいないのに、ちゃんと選り分かれる。


 現実でも効きます。「本気の人だけ来てほしい」なら、あえて手間や小さな負担を入り口に置く(無料より、少額でも身銭を切らせる/即時の見返りを遅らせる)。すると、旨みだけ求める人は自分でふるい落ちます。要は――相手の"型"によって旨みが変わる取り決めを設計し、選択そのものに本音を語らせること。ただし注意も一つ。ふるいは「払う気のある人」は選り分けても、「隠れた企て」までは弾けません。よくできた仕組みは、本気の味方と、辛抱強い曲者を、同じ門から通してしまうのです。

ここまで読んでいただき、ありがとうございます!


人を見分けるのをやめ、"取り決め"に選り分けさせる。

施しではなく「半年と夜番の先の、己の畑」で、本気の手だけが残りました。


 散った駒が、少しずつ谷へ戻ります。

 ――ですがその火の連なりに、こちらを測る冷たい目が一つ。


 次回、谷はさらに人を得て、そして狭くなります。

 感想・ブックマーク・評価が、何よりの力になります!

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ