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机上の空論と嗤われた研究者、異世界の寒村に転生する ~理屈だけで、国を獲ります~  作者: 鉄菊
エンポリア編

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34/42

第34話 鞍部の楔

はじめまして。鉄菊と申します。

本作は「机上の空論」と嗤われ続けた経営学者が、異世界の弱小領地に転生し、誰も知らない”理屈”だけで成り上がっていく物語です。

更新は毎日18時です!

なるべく続けていきます。

よろしければブックマークをお願いします!

事を起こすのは加勢の着く前夜と決めた。


 ロゴスは乏しい手を二つに割った。一つは稜線の鞍部を押さえる断ちの手。ノルドと村の足の速い若者十。そしてセレナと二人の魔導師。もう一つは柵の正面に"見せる"手。オルドと村の槍衾二十。リノと残りの魔導師。


「肝心なのは」ロゴスは闇の中で皆に囁いた。「あちらに"どこを守ればいいか"を見誤らせることです。兵とは詭道なり――昔の兵書にそうあります。戦はだまし合いだ、と。強いところを弱く見せ。弱いところを強く見せ。……あちらの目を、こちらの"見せたい方"へ釘付けにする」


 彼は柵の正面を指した。


「オルド隊は宵の口に、柵の正面で大きく暴れます。松明を村の倍掲げ、鬨をあげ、リノの魔法で闇を焼く。……いかにも"本隊が正面から攻めかかる"ように見せる。あちらは慌てて四十の槍を正面の守りに寄せるでしょう。……その隙に」


 視線を稜線の鞍部へ移す。


「ノルド隊は闇に紛れて鞍部を押さえる。あちらが正面ばかりを見ているあいだに、背後の細道を断つ。……あちらの目が"火の手"に奪われるほど、"糧の道"はがら空きになる。派手な正面は囮。静かな背後が本命だ」


(――人の目は、大きく動くもの明るいものに吸い寄せられる。派手な正面で目を奪えば。……本当の刃は、暗く静かな背後から届く)


 セレナがその深い眼差しでロゴスを見た。


「あなたは力を二つに割った。……ふつう少ない手を割るのは下策よ。どちらも薄くなる」


「割ったのではありません」ロゴスは首を振った。「片方は"戦う手"ではない。"あちらの目を掴んで離さない手"です。囮に勝ちは要らない。ただあちらの四十の目を、宵から夜明けまで正面に縛りつけてくれれば、それで役目は果たせる。……本当に決めるのは、鞍部の静かな十二人だ」


---


 宵の口。柵の正面が燃えた。


 オルドの鬨が闇を裂いた。二十の松明が村の倍の数に見えるよう間を空けて掲げられ、槍衾が地を踏み鳴らす。リノの放った炎の魔法が柵の丸太を舐め、夜空を赤く焦がした。柵の内からけたたましい警鐘が鳴り、揃いの槍が次々と正面の櫓へ殺到する影が見えた。


 ――かかった。


 その正面が火に沸くころ。稜線の鞍部では、ロゴスとノルド隊が闇を這っていた。松明は灯さない。ノルドの知る獣道を、星明かりだけで辿る。切り立った両脇の岩。細く狭まった道。まさに四年前の隘路と同じ地形だ。


「ここだ」ノルドが囁いた。「加勢は必ずここを通る。他に道はない」


 村の若者たちが岩陰に伏せ、そろえた槍を伏せた。セレナと二人の魔導師が、道の要に静かな術を仕込む。ロゴスは鞍部のいちばん高い岩の上から、東の闇を見張った。


 果たして夜半。東の間道を、幾つもの松明が列をなして上ってきた。ギルドの加勢。整然と揃った足。だが――彼らは"背後を突かれる"とは露ほども思っていなかった。柵の正面が燃えていると聞いて急ぎ駆けつける、その足取りには隙があった。彼らの頭の中には、たった一つの絵しかなかった。「正面の敵を挟み撃ちにする」。その"少し前の盤"への答えを抱えたまま、彼らは狭い鞍部へ吸い込まれてきた。


 列の頭が鞍部のいちばん狭まった一点に達した、その刹那。


 セレナの杖が閃いた。道の要に仕込まれた術が弾け、行く手に青白い炎の壁が立ち上る。加勢の列がつんのめり、後続ともつれた。そして、そのもつれた一点へ。


「――今だ!」


 ロゴスの合図で角笛が一つ鳴った。


 両脇の岩陰から、村のそろえた槍がいっせいに突き出された。狭い道。相手は数を力に変えられない。訓練された加勢の兵も、この地形の前では一人ずつしか戦えなかった。前は炎の壁。後ろは後続のつかえ。左右は切り立った岩と槍衾。――逃げ場がなかった。


 半刻のうちに加勢は崩れた。討たれ、あるいは来た道を転げるように退いていった。鞍部はロゴスたちの手に落ちた。加勢が通る唯一の道。柵へ糧を運ぶ唯一の道。その二つの綱が、たった一つの楔で断たれた。


 ロゴスは討ち取った加勢の旗を拾い上げた。ギルドの紋。そしてその旗竿に括られた命令書には――柵の施設を"何としても守れ、中の"荷"を外へ逃がすな"と、あった。


(――荷。……あの馴らし獣を"荷"と書いている)


---


 だが、勝ち鬨はあげられなかった。


 東の加勢を退けた、その報せが柵の内へ届いたとたん。柵の内の様子が一変した。正面で暴れていたオルド隊への応戦がぴたりと止み――代わりに柵の奥から、地を揺るがす咆哮が上がった。一つではない。幾つも。腹の底に響く、あの四年前のキメラと同じ歪んだ獣の声。


 ロゴスの背が凍った。命令書の意味が氷解した。"荷を外へ逃がすな"。加勢が来ないと、糧が断たれたと悟った施設は。追い詰められ――囲いの獣を"逃がす"のではなく。"放つ"ことを選んだのだ。飼い殺しにするくらいなら。繋いだ鎖を解いて、こちらへけしかける。四年前、瓦礫の施設を一瞬で自壊させた、あのテロスの冷たさと同じ。使えぬと見た手札は、迷わず燃やす。


「セレナさん!」ロゴスは叫んだ。「柵の獣が放たれる! ……あれが群れで村へなだれ込めば、垣根も隊列もひとたまりもない! 私たちの勝ちは、加勢を断ったことではなかった!」


 彼は東の白みかけた空の下、咆哮の上がる柵を見据えた。SWOTの四つの桝で見抜いた、あのいちばん太い線。敵の最大の牙にして、最大の急所。馴らし獣は鎖でしか繋がれていない。放たれた今こそ――その鎖の"繋ぎ手"を断つ、ただ一つの好機であり。断てねば、獣が造り主ごとこの谷のすべてを喰らい尽くす、最悪の刻だった。


「本当の決着は、これからだ」ロゴスは割れた加勢の旗を握りしめた。「獣使いを討つ。……あの鎖を断つ。私たちが喰われる前に」


 東の稜線の向こうで、歪んだ獣の影が幾つも柵を越え、朝靄の谷へ雪崩れ落ちてくるのが見えた。


(続く)


---


【今回の理論メモ】孫子「兵は詭道なり」――派手な正面は囮、静かな背後が本命


 『孫子』は、戦いの本質をたった一言で言い切ります。「兵は詭道なり」――戦とは、だまし合いである、と。強いのに弱く見せ、弱いのに強く見せる。近づいているのに遠いと思わせ、遠いのに近いと思わせる。要は、相手にこちらの本当の強さ・位置・狙いを"誤解させる"こと。相手が「ここを守ればいい」と信じ込んだ、その裏をかく。戦力で劣る側が大きな相手に勝つとき、その勝ちの多くは、剣の強さではなく、この"誤解させる技術"から生まれています。


 ロゴスは乏しい手を二つに割りました。一見、下策です。少ない兵を割れば、どちらも薄くなる。ですが、彼が割ったのは「二つの戦う手」ではなく、「囮の手」と「本命の手」でした。柵の正面で、松明を倍に見せ、鬨をあげ、魔法で夜空を焼く――いかにも本隊が攻めかかるように。人の目は、大きく動くもの明るいものに吸い寄せられる。敵の四十の目が"火の手"に釘付けになるほど、背後の"糧の道"はがら空きになる。派手な正面は囮、静かな背後が本命。囮に勝ちは要らない。ただ、敵の目を縛りつけてくれれば、役目は果たせる。そして、暗く静かな鞍部で、本当の刃が加勢の綱を断つ。


 現実でも、これは効きます。交渉で、本当に欲しい条件を目立たせず、別のところで派手に譲って見せる。競争で、相手の注意を一方に引きつけ、手薄になったところで本命を通す。大切なのは、自分のリソースを「全部、正面から、正直にぶつける」のをやめること。どこで相手の目を引き、どこで本当の勝負をかけるか。注意という、相手の"限られた資源"をどう誘導するかが、力の差を覆す鍵になります。ただし――だまし合いに勝っても、それで戦が終わるとは限りません。追い詰められた敵は、しばしば、最も危険な最後の手を切ってくるのですから。

ここまで読んでいただき、ありがとうございます!


 派手な正面は囮、静かな背後が本命。「兵は詭道なり」です。

 鞍部で加勢を断ち、柵を孤立させました。


 ですが追い詰められた敵は、最後の手を切ります。

 ――繋いだ獣の、鎖を解く。


 次回、クライマックス。感想・ブックマーク・評価が力になります!

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