支点——責任を受け取って柱にならない
責任者は、柱だ。
柱は中心になる。
中心は門になる。
夕方、女は紙を差し出した。
厚い紙ではない。
だが印がある。
印は残る。
残るものは中心になる。
女は言った。
「現場判断を尊重する」
「だが責任者を置く」
「事故が起きた時、誰が説明する?」
説明。
言葉。
共通。
糸。
門。
研究班の男が言う。
「責任者が必要だ」
照合係が言う。
「責任者の署名が必要だ」
教義班の老人が言う。
「名を立てよ」
「名を立てれば封じられる」
名。
柱。
中心。
少年は息を吸って吐いた。
責任者にされると柱になる。
柱になれば中心になる。
中心は門。
だが拒めない。
拒めば権限が奪われる。
奪われれば生活が止まり、条件が揃う。
条件が揃えば門が作られる。
受ける。
受けるが柱にならない。
責任者を“人”にしない。
責任者を“巡回工程”にする。
そして自分は——工程の支点になる。
支点は動く。
動く支点は固定になりにくい。
女は紙面を指で叩いた。
「責任者欄」
空欄。
空欄は中心になる。
中心は門になる。
研究班が言う。
「ここに署名を」
署名は鍵。
鍵は門を開く。
少年は紙に触れない。
触れれば契約になる。
契約は門。
少年は息を吸って吐いた。
署名を避ける。
だが拒否に見せない。
署名の形を、署名でなくする。
痕跡。
摩耗。
薄くなる印。
署名の代わりに、工程の痕を残す。
少年は点検束を一枚、女の前に置いた。
四枠の点線。
焚き火、水場、結び場、通路。
そして欠け印の札を四つ、紙の外側に置く。
言葉にしづらい印。
共通になりにくい印。
女が理解する。
賢い目が、すぐ言葉を作る。
「責任者は巡回工程」
「責任は工程が負う」
「人名は固定しない」
照合係が反発する。
「工程は署名できない」
研究班も言う。
「署名がないと承認が通らない」
女が冷たく言う。
「承認は通すためのものではない」
「事故を防ぐためのもの」
「署名が事故を増やすなら不要」
教義班が唸る。
「名を避け続けるのか」
女が言う。
「名は最後」
「責任は今だ」
責任。
彼女は責任に縛られている。
縛られている者は、名を立てにくい。
それでも照合係は食い下がる。
「では説明は誰がする」
「工程が喋るのか」
説明。
説明は中心を作る。
中心は門。
少年は息を吸って吐いた。
説明を“説明”にしない。
説明を“点検痕の提示”にする。
言葉ではなく痕。
痕は薄くなる。
薄くなれば共通になりにくい。
だが誰かが提示しなければならない。
提示する者が柱になる。
柱になれば中心。
中心は門。
提示する者は、固定されない者でなければならない。
固定されない提示者。
それが支点。
私が提示する。
だが私の名を立てない。
私の名ではなく、工程の順番で立つ。
少年は責任者欄の横に、指で“擦り痕”を一度だけ入れた。
文字ではない。
署名ではない。
ただの摩耗。
照合係が言う。
「何だそれは」
研究班が言う。
「記録にならない」
女が言う。
「点検痕だ」
「巡回工程の履行痕」
「署名より改竄しにくい」
改竄しにくい。
制度が好きな言葉。
照合係は渋い顔で折れた。
「……証跡として扱う」
紙に“責任者の署名”は乗らなかった。
代わりに“工程の痕”が乗った。
痕は薄くなる。
薄くなれば中心になりにくい。
しかし問題は残る。
女の視線は少年から外れない。
核を探す目。
柱を探す目。
女は言った。
「点検痕を提示する担当を置く」
「誰が出す?」
担当。
固定。
柱。
少年は息を吸って吐いた。
担当を置けば柱になる。
柱は中心。
中心は門。
担当を“ローテーション”にする。
ローテーションは揺れる。
揺れるなら共通になりにくい。
担当を「通路の順番」にする。
人名ではなく順番。
順番は変わる。
変わるなら固定になりにくい。
少年は通路の四枠を指でなぞった。
焚き火。
水場。
結び場。
通路。
そして札を一つ滑らせる。
足跡の札。
札は止まらない。
止まらないなら中心になりにくい。
女が言う。
「提示担当は巡回順」
「巡回順に従い、点検痕を提示する」
「人名は不要」
研究班が小さく舌打ちする。
「逃げだ」
女が言う。
「逃げではない」
「事故防止のための構造だ」
「固定すると事故が増える」
事故。
責任。
それが彼女の鎖。
教義班の老人が低く言った。
「支点ができた」
「柱ではない支点」
「だが支点もまた——門になり得る」
老人は正しい。
支点は中心に似ている。
似ているものは誤解される。
誤解されれば名が立つ。
名が立てば門が育つ。
少年は額に手を当て、温度を作って自分の中へ収めた。
支点は完成した。
だが支点が“名”になる前に、次へ進めなければならない。
最終章は第18章。
第17章は準備。
第18章で決着。
支点の使い方を、間違えれば門が開く。
正しく使えば門は閉じる。
師を中心にしない。
現場を中心にしない。
私も中心にならない。
中心の外側で、中心をずらす。
それが支点の役目。
女は最後に言った。
「権限移譲は保留」
「現場判断を尊重する」
「ただし上位へ報告する」
「次は“最終判断”が降りる」
最終判断。
それは第17章の影。
少年は静かに息を吐いた。
来る。
次は、言葉でも餌でもない。
最終判断——切断だ。
切断される前に、
切断が成立しない形を作る。
支点で、最後の準備をする。




