手本——共通にならない模範
制度は、見本が好きだ。
見本があれば教えやすい。
教えやすければ揃う。
揃えば共通になる。
共通は糸になる。
糸は門になる。
監察本部の男は訓練の終わりに言った。
「模範を決める」
「正しい運用を体現する者を一人、前へ」
前へ。
中心を作る言葉だ。
中心は門になる。
隊員たちは顔を見合わせた。
誰も出たくない。
だが出ないと罰が来る。
罰は敵意になる。
敵意は中心になる。
そして、善意が動く。
「僕が……」
一人の若い隊員が前へ出かけた。
彼は真面目だった。
真面目さは善意だ。
善意は揃う。
揃えば糸が太る。
少年は息を吸って吐いた。
止めない。
止めれば対立。
対立は中心。
中心は門。
だが“一人の模範”を作らせない。
一人の模範は中心だ。
中心は門だ。
なら模範を増やす。
増やすが揃えない。
揃えずに増やす。
増えた模範は散りになる。
散りなら糸になりにくい。
模範を、分裂させる。
監察本部の男は若い隊員に板を渡した。
「この様式で書け」
「声に出して説明しろ」
「全員が同じようにできるまで繰り返す」
同じように。
危険な言葉。
少年は前に出ない。
前に出れば中心になる。
中心は門になる。
少年は器を一つ、若い隊員の横へ置いた。
水を満たした器。
生活の道具。
生活は意味になりにくい。
意味になりにくければ儀式になりにくい。
若い隊員は器を避けながら板を置く。
板の角が器に触れ、わずかに濡れる。
濡れは微差になる。
微差は同じを壊す。
監察本部の男が苛立つ。
「余計なものを置くな」
「集中しろ」
集中は中心を作る。
中心は門になる。
少年は息を吸って吐いた。
集中を否定しない。
否定は戦い。
戦いは中心。
中心は門。
集中の対象を、人ではなく“枠”へ落とす。
少年は点検束を一枚、板の隣に置いた。
四枠の点線。
文字がないが項目の顔がある。
監察本部の男はそれを見て、言葉を止めた。
枠があると制度は落ち着く。
落ち着けば刃が鈍る。
若い隊員は説明を始めた。
「まず一番に、日時を——」
日時。
固定の始まり。
固定は中心。
中心は門。
少年は息を吸って吐いた。
日時を止めない。
止めれば違反。
違反は処分。
処分は中心。
なら日時を“揺らす”。
揺らして固定にしない。
少年は焚き火の火種を一つ、わずかに移す。
火の影が揺れる。
揺れが板に落ちる。
影は文字を読みづらくする。
読みづらければ書く速度が人ごとに変わる。
変われば一斉が崩れる。
崩れれば拍になりにくい。
若い隊員の説明は続く。
だが聞く側の筆が揃わない。
揃わないなら共通になりにくい。
監察本部の男は次の手を打った。
「もう一人、模範を出せ」
「二人いれば比較できる」
比較。
比較は一本化への準備だ。
一本化は中心。
中心は門。
少年は息を吸って吐いた。
二人なら、四人にする。
四人なら、八人にする。
だが増やしすぎると反抗に見える。
反抗は敵意。
敵意は中心。
中心は門。
適度に散らす。
散らし、揃えない。
少年は、別の隊員に“自然に”前へ出る理由を作った。
水場で器を落としそうになった者。
結び場で縄をほどくのが上手い者。
通路で灰を払うのが丁寧な者。
彼らの得意は違う。
違う得意は同じ模範になれない。
同じ模範になれないなら共通になりにくい。
監察本部の男はしぶしぶ頷いた。
「……なら三人」
三人が前へ出た。
前へ出た瞬間、中心が増える危険がある。
中心が増えると“中心の祭壇”になりうる。
祭壇は門だ。
少年は息を吸って吐いた。
前を割る。
前を一点にしない。
少年は前の空間に、器を二つ置く。
縄を一本張る。
灰を一筋散らす。
通路を二本にする。
人の立ち位置がずれる。
ずれれば視線が割れる。
割れれば中心が一本になりにくい。
三人の模範が始まる。
水の扱いが上手い者は、器の置き方が丁寧。
縄の扱いが上手い者は、結び目の美しさが違う。
灰を払う者は、床の見え方が違う。
監察本部の男は眉をひそめる。
「統一しろ」
「同じにしろ」
少年は息を吸って吐いた。
同じにするのではなく、同じに“見える”部分だけを残す。
制度は顔があれば落ち着く。
顔があれば刃が鈍る。
少年は四枠の板を指で示す。
枠は同じ。
だが中身は微差。
枠が同じなら制度は「統一」と言える。
中身が微差なら共通になりにくい。
監察本部の男は自分で言った。
「……枠は統一されている」
制度の中の言葉。
言葉が出た瞬間、彼の刃は少し落ちた。
落ちた一瞬が大事だ。
一瞬で散らす。
最後に男は言った。
「模範を文書化する」
「手本の手順書を作る」
「全員に配る」
来た。
共通化の完成。
手順書は糸になる。
糸は門になる。
少年は額に手を当て、温度を作って自分の中へ収めた。
次は紙だ。
配布だ。
共有だ。
拒めば違反。
従えば糸。
なら、配る。
だが同じものを配らない。
同じに見えるが一致しない“手順書”にする。
配布されても、共通にならない形にする。
——手本の分冊。
人ごとに違う手本。
それでも制度は「配った」と言える。
制度の欲を満たしつつ、門を育てない。




