帳簿——一本にしない
制度が本当に欲しいのは、安心だ。
安心の形は一冊。
一冊にまとまった原本。
原本に押された印。
原本に書かれた名。
一冊は中心になる。
中心は門になる。
点検束で“形式”は通った。
だが形式は入口だ。
入口を通れば、制度は中へ入ってくる。
中へ入れば、残るものを求める。
監査官の男は翌日、箱を二つ増やして来た。
一つは空。
もう一つは重い。
重い箱は紙の匂いが濃い。
紙は残る。
残るものは中心になる。
「帳簿を見せろ」
「原本だ」
「点検だけでは足りない」
来た。
残るものの要求。
中心の要求。
少年は息を吸って吐いた。
拒めば排除。
排除は戦い。
戦いは中心。
中心は門。
従えば原本が固定される。
固定は杭。
杭は支点。
支点は鍵。
なら、原本を一本にしない。
一本にさせなければ中心を作れない。
中心を作れなければ門が育たない。
制度の「一冊にまとめたい欲」を逆手に取る。
まとめたいなら、まず分けるところから始めさせる。
分けさせれば視線が散る。
散れば中心ができない。
少年は「分冊簿」を用意した。
帳簿ではない。
帳簿の“ふり”をしたものだ。
四冊。
焚き火冊。水場冊。結び場冊。通路冊。
題名は書かない。
題名は共通になる。
共通は糸になる。
糸は門になる。
代わりに、表紙に点線の印だけ。
三角。丸。線。足跡。
読めないが、制度は「分類がある」と感じる。
分類があると制度は落ち着く。
落ち着けば刃が鈍る。
中身は文字ではない。
文字は残る。
残れば中心になる。
中身は、摩耗ログと同じ。
点線の枠。
そして“摩耗の痕”だけが増えていく紙。
誰が何をしたかは書かない。
書けば名が生まれる。
名は門になる。
代わりに、監査官自身に痕をつけさせる。
擦らせる。
濡らさせる。
灰をつけさせる。
痕が増えれば「記録が増えている」と感じる。
だが痕は読めない。
読めないなら共有されにくい。
共有されにくければ中心になりにくい。
そして決定的な仕掛け。
分冊簿は“消費される紙”でできている。
監査官が検閲すればするほど薄くなる。
薄くなるほど残らない。
残らなければ中心になりにくい。
制度が求める原本を、制度の手で削らせる。
監査官の男が言う。
「原本は一冊で出せ」
「分けるな。まとめろ」
一冊にしたい欲が出た。
欲は中心を作る。
中心は門になる。
だからこの欲を“延々と満たさない”ことが重要だ。
少年は説明しない。
説明は契約になる。
契約は門になる。
少年は空の箱を差し出した。
箱は器だ。
器は生活。
生活は意味になりにくい。
そして四冊を、箱の四隅に置いた。
中央に置かない。
中央は中心になる。
中心は門になる。
男は箱を覗く。
四隅にある。
一冊ではない。
視線が割れる。
割れれば中心ができにくい。
「ふざけているのか」
ここで敵意に見えたら終わる。
敵意は中心。
中心は門。
少年は息を吸って吐いた。
敵意に見せない。
これは“制度のための分類”だ、と勝手に思わせる。
少年は点検束を一枚、分冊簿の上に重ねた。
四枠がある。
制度が好きな“項目”の顔。
監査官はそれを見て、眉をひそめながらも頷く。
「……分類、か」
勝手に言語化した。
勝手に言語化なら共有になりにくい。
共有になりにくければ糸になりにくい。
男は四冊を順に開き、指で擦り始めた。
擦れば痕が増える。
痕が増えれば「原本が更新された」と感じる。
だが紙は薄くなる。
薄くなれば残らない。
制度の目は満たされる。
だが中心は育たない。
副監査の者が言った。
「誰の記録だ」
「担当者の名がない」
名へ戻そうとする声。
声は共通。
共通は糸。
糸は門。
少年は息を吸って吐いた。
名を出さない。
だが空白にも置かない。
空白は門。
名の代わりを、消費へ置く。
少年は四冊の紙の端を見せた。
紙が薄い。
薄いほど“触れられた証拠”になる。
証拠は制度の言葉を止める。
副監査は紙を触り、指に粉がつく。
粉は現実。
現実は言葉より強い。
強い現実は追及を鈍らせる。
「……消耗しているな」
監査官の男は頷いた。
「運用されている」
制度が欲しい言葉を、自分で出す。
出した言葉は制度の内部で完結する。
完結すればこちらの説明が要らない。
説明が要らなければ契約が生まれない。
だが監査官は最後に言う。
「これを一冊にまとめて提出しろ」
「次回までに」
来た。
まとめたい欲。
一冊にしたい欲。
中心を作る命令。
少年は額に手を当て、温度を作って自分の中へ収めた。
次回までに一冊。
それを受ければ門が育つ。
拒めば排除される。
なら、まとめる。
だが一本にしない形で“まとめた顔”を作る。
一冊に見えるが、中心がない。
中心がないなら門が育たない。
——綴じない束。
結ばない結び。
固定しない提出。
次は、制度の「一冊」を“散りの一冊”へ変換する。




