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英雄の名が消える朝、弟子だけが師を呼んだ  作者: swingout777
第9章 悔い——名の手前で散らす

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呼びかけ——名は外からも来る

名は、内側からだけ立ち上がるのではない。


外からも来る。

呼ばれる。

頼られる。

助けを求められる。


その瞬間、師の輪郭は完成する。

完成すれば音になる。

音になれば名になる。

名になれば門になる。


危険は、正しさと一緒に来る。


困ったとき、助けを呼ぶ。

それは正しい。

正しいから共通になる。

共通は糸になる。

糸は門になる。


少年は息を吸って吐いた。


呼ぶことは禁じられない。

禁じれば空白が生まれる。

空白は門になる。

禁じれば余計に“呼びたい”が強くなる。


なら、呼びかけを禁止せずに、名へ届かせない。


呼びかけの着地点を変える。

人ではなく、物へ落とす。

物へ落とせば共有の中心が人にならない。

中心が人にならなければ、師の輪郭は完成しにくい。


少年は三つの「呼び落とし」を作った。


一つ目は札。

呼びたい気持ちが湧いたら、札を一枚置く。

無文字の札。

点線で“口の形”だけが描かれている。

口は呼びかけの印。

札は言葉を持たない。

言葉を持たないから共通語になりにくい。


二つ目は器。

呼びたいが強いときは、器を一つ前へ押し出す。

水の器。

器は生活の道具だ。

生活は意味になりにくい。

意味になりにくいなら契約になりにくい。

契約になりにくいなら門になりにくい。


三つ目は縄。

切羽詰まったときは、縄の端を一回だけ引く。

引くが、合図にしない。

合図は拍になる。

拍は糸になる。

だから縄は“各自で違う引き方”にする。

短く引く者、撫でる者、添える者、浮かせる者。

所作は分けてある。

共通にならない。


これら三つは“呼びかけの受け皿”だ。

受け皿があれば、人の名へ落ちにくい。

名へ落ちにくければ師の欠けは回りにくい。


重要なのは、三つを使い分ける規則を固定しないことだ。

固定は読まれる。

だから微差で都度変える。


風が止まったら札。

灰が舞ったら器。

水面が揺れたら縄。

ただし二つ重なったら逆へずらす。

微差で揺らす。

揺らせば中心ができない。


夜、危機が来た。


見張り台の陰で、兵が倒れた。

倒れたのは疲労だ。

だが疲労は恐怖に似る。

恐怖は呼びかけを生む。

呼びかけは名を生む。


近くの兵の喉が動く。

声が出そうになる。


——師を呼ぶ声。


呼ばれれば師の輪郭が完成する。

完成すれば名になる。

名になれば門になる。


少年は近づかない。

近づけば中心になる。

中心は門になる。


少年はただ、通路の端に置かれた“口札”を一枚、そっと前へ滑らせた。

声はない。

視線も集めない。

札が置かれるだけ。


兵は声を出さず、札を見て理解した。

呼びたい気持ちを、札へ落とす。

札を一枚置く。

置いた札は消費紙だ。

触れれば薄くなる。

薄くなれば中心になりにくい。


それでも危ない。

呼びたいの熱は残る。

熱は共通になりやすい。

共通は糸になる。


そこで器が押し出された。


水の器が、倒れた兵のそばへ置かれる。

置くのは命令ではない。

微差だ。

水面が揺れたから。

揺れが合図ではなく、選択の微差になった。


器が置かれると、呼びかけは言葉を失う。

言葉を失えば名へ届きにくい。

名へ届きにくければ師の輪郭は完成しにくい。


倒れた兵が水を含む。

息が戻る。

戻る息は拍にならない。

揃えない。

各自が各自の呼吸で散る。


薄さが寄ろうとした。

だが寄れない。

声がない。

名がない。

中心がない。


しかし、最大の危機は最後に来た。


倒れた兵が、うわごとのように一つ音を漏らした。

音は短い。

だが音は「誰かを呼ぶ形」だった。


呼び形が出ると、周囲の心が同時に動く。

同時は糸になる。

糸は門になる。


師の欠けが鳴る。

名が、内側から浮く。

外の呼び形が、内の輪郭を完成させようとする。


師の口元が、わずかに動く。

名が来る。


少年は止めない。

止めると中心になる。

中心は門になる。


代わりに縄。


結び場の縄が、一回だけ引かれた。

引くのは合図ではない。

引き方が班ごとに違う。

しかも微差で都度変わる。

短く、撫でて、添えて、浮かせる。

所作が揃わないから拍にならない。


縄の動きは、呼び形の着地点を“物”へずらす。

耳は音を追う。

音は縄へ落ちる。

縄へ落ちれば名へ届きにくい。


同時に、師の前へ割れ輪札が置かれる。

悔いの杭を薄める札。

師は割れ目に指を添え、離す。

添えて離す。

押さない。

固定しない。


輪郭が割れた。

名が完成しない。

音にならない。

門にならない。


欠けの鳴りが、細く引いて消えた。


夜更け、焚き火のそばで、隊は言葉を使わずに整列した。


整列は中心を作る。

だが今日は整列しない。

溜まりを作らない。

散って、戻って、散って、戻る。

生活の流れのまま。


師は前に立たない。

立たないことで、名の中心を作らない。

それでも隊は回った。

札と器と縄が、呼びかけを受け止めたからだ。


少年は額に手を当て、温度を作って自分の中へ収めた。


外から来る名は、物へ落とせる。

呼びかけを禁止せずに、名へ届かせない道がある。


だがこの道は、師を“名を持たない存在”へ近づける。

名を持たない生き方は、救いでもあり、孤独でもある。


次章は、その孤独に踏み込む。

師が“師であること”を、名なしで続けられるか。

弟子が、名なしの師を支えられるか。

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