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英雄の名が消える朝、弟子だけが師を呼んだ  作者: swingout777
第9章 悔い——名の手前で散らす

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輪郭——名になる前に散らす

名は、音として現れる前に、輪郭として立ち上がる。


顔。

手。

声の感触。

胸の奥の重さ。


輪郭はまだ名ではない。

まだ共通になりきらない。

だから扱える。

扱えるうちに散らせば、名が杭にならない。


師の視線が名を探した夜、少年は理解した。

名を封じるのでは遅い。

名が口に出れば共通になる。

共通は糸になる。

糸は門になる。


名の手前で止める。

止めるのではなく、散らす。

輪郭を散らす。

輪郭が散れば名になれない。


少年は息を吸って吐いた。

輪郭は一つに束ねるから強い。

束ねるから杭になる。

なら束ねない。

四つに割る。

四つに割って、それぞれ別の場所へ渡す。


視・触・聴・体。


視=顔や形の記憶。

触=手触りや温度の記憶。

聴=声の感触の記憶。

体=胸の重さ、喉の詰まり、膝の震え。


これらは同時に立ち上がると、名の輪郭が完成する。

完成した輪郭は音へ変わる。

音になれば名になる。

名になれば門になる。


だから同時を壊す。

四つを別々に渡す。

別々に渡せば、完成しない。

完成しなければ名にならない。


少年は四つの「輪郭札」を作った。


視札=点線で“欠けた目”。

触札=点線で“二重の指”。

聴札=点線で“割れた波”。

体札=点線で“沈む石”。


札は無文字。

そして消費紙。

触れれば薄くなり、自然減で消える。

残らない形は中心になりにくい。


渡す先も分けた。


視は灰へ。

灰は視界を曇らせ、形を溶かす。

触は土へ。

土は温度を奪い、手触りを混ぜる。

聴は水へ。

水は音を吸い、波形を崩す。

体は息へ。

息は内側の圧を逃がす。

ただし息は危険。拍になる。

だから体の息は“一回だけ”、短く流す。


選び方は固定しない。

固定は読まれる。

だから微差で都度選ぶ。

だが輪郭は四つ、全部を毎回扱う必要はない。

全部やると儀式になる。

儀式は共通になる。

共通は糸になる。


扱うのは“立ち上がった輪郭だけ”。

立ち上がっていないものは触らない。

触ると呼び出す。

呼び出せば強くなる。

強くなれば名になる。


師は自分で判断しない。

判断すると心が乗る。

心が乗れば杭になる。

だから札係が“観察”で決める。

観察は言葉にしない。

視線の遠さ。

指の硬さ。

喉の動き。

膝の震え。


観察で、最初に強い輪郭を一つだけ選び、札を置く。

師は添えるだけ。

添えて離す。

押さない。

固定しない。


試験は、火花と共に来た。


焚き火が爆ぜる。

光が跳ねる。

跳ねた光が師の目を叩く。


師の視線が遠くへ滑る。

遠い視線は顔を引く。

顔の輪郭が立ち上がる。


同時に喉が動く。

声の感触が口元まで上がる。

まだ音になっていない。

だが音になる直前だ。


名が来る。


少年は距離を取ったまま、視札を置いた。

欠けた目の札。

灰印のそば。

声はない。

視線も集めない。


師は札に指を添え、離す。

添えて離すだけ。

そして灰印の前で指先を一度擦り、離す。

灰が舞い、視界が揺らぐ。

揺らげば顔の輪郭が溶ける。

溶ければ名が完成しない。


喉の動きが、止まる。

だが体の重さは残る。

胸の奥が沈む。

沈みは杭になりやすい。

杭は支点になる。

支点は鍵を回す。


札係が体札を置こうとして——止めた。

同時は危険だ。

同時は輪郭を束ねる。

束ねれば完成する。

完成すれば名になる。


代わりに、通路の土印へ誘導する。

足音がひとつ。

歩幅がばらされ、師の膝の震えが少しだけほどける。

ほどければ体輪郭が薄くなる。


師は短い息を一回、外へ流す。

息印ではない。

ただ、生活の吐息。

揃えない。

一回だけ。

拍にしない。


鍵が回ろうとして——止まる。

止まる。

止まるが、悔いは消えない。

消えないが名になりきらない。

名になりきらなければ門になれない。


だが危機は、そこで終わらなかった。


若い兵が、焚き火の向こうで倒れかけた。

倒れかけた身体は過去を呼ぶ。

守れなかった層が同時に立ち上がる。

罪の層も立ち上がる。

輪郭が一気に束ねられる。


顔。

手触り。

声。

胸の重さ。


師の喉が、名の形を作る。

音になる直前。

名が口元まで来る。


ここで名が出れば終わる。

共通が生まれる。

糸が太くなる。

門が育つ。


少年は“止めない”。

止めると中心ができる。

中心は門になる。

代わりに“割る”。


札係が触札を、結び場の土印の前に落とす。

二重の指の札。

師は指を添え、離す。

そして土を一息分だけ掻く。

浅く。

浅く。

手触りの輪郭が土に混ざる。


同時に、別の兵が水場で聴札を落とす。

割れた波の札。

師はそこへ行かない。

行けば錨になる。

代わりに水係が指先を濡らし、乾くのに任せる。

水面が波を崩し、声の感触が散る。


視は灰で溶けている。

触は土へ混ざった。

聴は水へ崩れた。

体は息を一回だけ、短く流す。


輪郭が四つに割れた。

割れた輪郭は完成しない。

完成しないから名にならない。


師の口が、開きかけて——閉じる。

音にならない。

名にならない。

門にならない。


欠けの鳴りが、細く引いて消える。


夜更け、焚き火のそばで、師は何も言わずに水を飲んだ。


飲むのは清めではない。

意味にしない。

意味にすると契約になる。

契約は門になる。


飲むのは生活だ。

生活は強い。

強い生活は、中心を作りにくい。


少年は額に手を当て、温度を作って自分の中へ収めた。


輪郭は散らせる。

散らせば名になりにくい。

名になりにくければ門になりにくい。


だが名の危険は、ここで終わらない。

名は音になる前に、相手の側からも来る。

呼ばれた名。

呼ばれ方。

誰かが師を“師として”呼び戻す瞬間。


次は、外から来る名だ。

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