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英雄の名が消える朝、弟子だけが師を呼んだ  作者: swingout777
第9章 悔い——名の手前で散らす

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多重——土・灰・水・息へ渡す

逃げ道が一つだと、そこが門になる。


どれだけ小さくしても、

どれだけ無文字にしても、

どれだけ消費にしても、

繰り返せば規則が生まれる。


規則は歪みに読まれる。

読まれれば中心にされる。

中心にされれば門が育つ。


土へ渡す所作は効いた。

罪を言葉にさせず、抱え込ませず、杭にしきらせなかった。

だが続ければ、土が“渡す場所”として中心になってしまう。


だから渡す先を増やす。


土だけではなく、灰。

水だけではなく、息。

渡す先を微差で都度変える。

変えれば規則が薄くなる。

薄ければ掴まれにくい。


少年は四つの「渡し印」を作った。

無文字の小札だ。

点線の記号だけ。


・土印=浅い溝

・灰印=散る点

・水印=滴の輪

・息印=細い波


小札は分散配置。

焚き火の近くに灰印。

水場に水印。

通路の曲がり角に土印。

見張り台の陰に息印。

中央はない。

中央がなければ中心になりにくい。


選び方は決めない。

決めれば規則になる。

規則は歪みに読まれる。


選ぶのは“その瞬間の微差”だ。


薪が爆ぜたら灰。

水面が揺れたら水。

縄が擦れたら土。

風が止まったら息。


ただしこれは固定しない。

固定は読まれる。

だから微差が二つ重なったら、逆へずらす。

火花+無風なら灰ではなく息。

揺れ+灰舞いなら水ではなく土。

縄擦れ+滴なら土ではなく水。

爆ぜ+揺れなら灰ではなく土。


規則はある。

だが規則は薄い。

薄い規則は掴みにくい。


師は自分で選ばない。

選ぶと心が乗る。

心が乗れば杭になる。

だから札係が微差を見て、最寄りの渡し印を“示す”。

示すだけ。

言わない。

師はそれに添うだけ。

添って、離す。


灰へ渡す所作は、もっとも軽い。


灰印の前で、指先を一度だけ擦る。

擦るが、灰を掴まない。

掴むと所有になる。

所有は契約になりうる。

契約は門になる。


擦って、離す。

灰が勝手に舞う。

舞えば形が残らない。

形が残らなければ中心にならない。


水へ渡す所作は、もっとも冷たい。


水印の前で、指先を濡らす。

濡らして、乾くのに任せる。

拭かない。

拭くと“終わらせた”意味になる。

意味は契約になりうる。

乾くのは自然だ。

自然は中心になりにくい。


息へ渡す所作は、もっとも危険だ。


息は拍になる。

拍は糸になる。

だから息印は“一回だけ”。

深く吐くのではない。

短く、外へ流す。

揃えない。

揃えると拍になる。


土へ渡す所作は、もっとも確実だ。


浅く掻く。

一息分だけ。

形を残さない。

残らない形は中心になりにくい。


四つの逃げ道を持てば、歪みが一つを学んでも、残りが残る。

残りが残れば回避できる。

回避できるなら次を作れる。


夜、試験が来た。


見張り台の陰で、若い兵が震える。

その震えが過去へ繋がり、師の罪の層を叩いた。

罪は言葉を求める。

言葉は共通になる。

共通は糸になる。


師の喉が動く。

欠けが鳴る。

鍵が回ろうとする。


その瞬間、風が止まった。

無風。

息印。


札係が息印を一度だけ示す。

師は見張り台の陰へ半歩。

半歩だけ。

錨にならない距離で。


師は短く息を外へ流す。

一回だけ。

揃えない。

誰にも合わせない。

合わせないから拍にならない。


鍵が回ろうとして、止まる。

止まるが、罪は消えない。

消えないが杭になりきらない。


次に、焚き火が爆ぜた。

火花。

灰印。


師は灰印の前で指先を一度擦り、離す。

灰が舞う。

舞えば形が残らない。

形が残らなければ中心になれない。


水場では水面が揺れた。

水印。

水係が指先を濡らし、乾くのに任せる。

個別の所作。

所作も分けてある。

共通にならない。

共通にならなければ糸にならない。


薄さは寄り切れず、拡散した。


だが、危険は別のところから立ち上がった。


師の目が、ほんの一瞬だけ“名”を探した。


名は口に出されていない。

だが名を探す視線は、名に触れる前段階だ。

名は最も強い共通だ。

名が共有されれば糸は太くなる。

太い糸は門になる。


師の罪の層の奥に、誰かの名が眠っている。

命じて、犠牲にして、守れなくて。

その名が呼ばれたら、欠けは回りきるかもしれない。


少年は息を吸って吐いた。

ここから先は、運用や所作だけでは届かない。

名に触れる前に、名を“形のないまま渡す”必要がある。


名を消すのではない。

名を言わせないだけでもない。

名が立ち上がる前の“輪郭”を崩す。

輪郭を崩して、名を杭にしない。


師は掌を自分に向け、親指を添える。

添える。

触れずに近づけて離す。

それでも視線の奥に、呼びかけが残っている。


少年は額に手を当て、温度を作って自分の中へ収めた。


次は、名の手前。

名になりかける“輪郭”を散らす型。

そして、名を共有せずに抱える方法。

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