根——ほどかずに整える
群発が引いたあと、野営地には疲労が残った。
疲労は静かに残る。
静かに残るほど、共通になる。
共通になれば糸になる。
糸になれば、また薄さが寄る。
少年は疲労を放置しない。
放置しないために、疲労も分ける。
役割を分け、作業を分け、視線を分ける。
恐怖を分けたように、疲労も分ける。
それでも、ひとつだけ分けられないものがある。
“拍”だ。
群発は同時だった。
同時は場所ではなく時間の共通。
時間の共通は、どこにいても追ってくる。
野営地のどこに散っても、同じ瞬間に薄さが寄るなら、避けようがない。
師は焚き火の前で、静かに言った。
「……拍は、結び目から来る」
師の声は短い。
短さは危険。
だが今は説明の短さだ。
返事を求めない短さ。
師は続ける代わりに、地面へ札を置いた。
無文字の札。
そこに点線で、結び目の形を描く。
きゅっと締まった中心。
そこから伸びる余り糸。
余り糸は散った。
散ったはずなのに、拍だけは残っている。
少年は理解する。
締めた核の結び目は閉じた。
閉じたが、締めた力の“リズム”は残る。
残るリズムが拍になる。
拍が野営地へ届く。
届いた拍が群発を作る。
つまり根は、結び目そのもの。
結び目をほどかずに、拍だけを整えなければならない。
ほどくのは無理だ。
ほどけば核が開く。
開けば名が要求される。
要求されれば全部が終わる。
だから整える。
締めた結び目を触らず、外縁の“振動”だけを殺す。
振動を殺せば拍が消える。
拍が消えれば同時が消える。
同時が消えれば群発は起きにくい。
師は、少年の顔を見た。
呼び名は出ない。
だが視線が言う。
——外へ出るのはお前だ。
少年は頷く。
頷きの中で欠けた呼ばれ方の空白が疼く。
疼きは怖さだ。
怖さは共通になりやすい。
共通は糸になる。
だから怖さも分ける。
怖さを言葉にしない。
怖さを日課に落とす。
問題は、師の同行だった。
師が外へ出れば、結び目の近くで欠けが反応する。
欠けが反応すれば鍵が勝手に回る。
勝手に回れば門が芽吹く。
門が芽吹けば核が開く。
師が最適なのに、師は最適でいられない。
それが欠けの代償だ。
隊長が、迷う目をした。
師なしで結び目に触れるのは危険だ。
危険だが、師が行けばもっと危険。
危険の種類が違う。
少年は、師を同行させない理由を“生活運用”として提示した。
理由は感情ではなく手順にする。
手順にすれば共有されにくい。
共有されにくければ糸にならない。
少年は札を置いた。
無文字の札に点線で、役割の分解を書いた。
一、師:内側の順序維持(札回し・役割分解・生活音許可・共通語監視)
二、隊長:内側の指揮補佐(札の更新・交代管理・水と火の分配)
三、少年:外側の整え(拍の根の探索・余り糸の残響の縫い)
四、小隊:外側の補助(札師・古参)
師は内側の“順序維持”に固定される。
固定は危険だ。固定は支点だ。
だがこの固定は人に固定しない。
順序に固定する。
師を錨にせず、師の作業を錨にする。
錨は人ではなく日課。
日課は散らせる。
散らせる錨は門になりにくい。
師はその札を見て、ゆっくり息を吐いた。
悔しさがある。
しかし悔しさを言葉にしない。
言葉にすれば共通になる。
共通になれば糸になる。
師は縄を叩いた。
短。
長。
短。
了承の合図。
声ではない。
名ではない。
芯になりにくい返事。
少年も同じ合図を返した。
短。
長。
短。
出発の準備は、声なしで進んだ。
札師が札を揃える。
古参が縄を点検する。
水係が器を分ける。
火係が薪を散らす。
歩係が歩幅のずらし方を示す。
全員が違う作業をしている。
違う作業は恐怖を分ける。
恐怖が分かれれば共通にならない。
共通にならなければ糸にならない。
師は最後に、少年の額を見る。
触れない。
触れれば繋がる。
繋がれば支点になる。
支点になれば錨になる。
代わりに、師は掌を見せた。
掌は「戻れ」の掌ではない。
「戻ってもよい」の掌だ。
命令ではなく許可。
許可は契約になりにくい。
少年は頷き、額に手を当て、温度を作った。
温度を作って、自分の中に収める。
全員の共通にしない。
共通にしなければ糸にならない。
野営地を出る直前、縫い跡が一瞬だけ光った。
短い光。
短い光の向こうで、拍が鳴る。
とく、とく、とく。
心臓の拍に似ている。
似ているから危険だ。
心臓は全員に共通だからだ。
少年は息を吸って吐いた。
心臓の拍を共通にしない。
共通にしないために、歩幅を変える。
呼吸を変える。
生活音を散らす。
そうして、外へ出る。
結び目をほどかずに整えるために。
拍を殺すために。
群発を終わらせるために。
師は背中で短長短を叩いた。
短。
長。
短。
少年は振り返らずに、同じ合図を返した。
短。
長。
短。
それが、今の師弟の言葉だった。




